居酒屋の加藤周一:かもがわ出版: 2009年7月刊
これも図書館のリサイクル本に出てた本です。大変貴重な本だと思いますがさりげなくポンと置かれていたのでさっと持って参りました。今面白いのでアマゾンの中古本の値段を見たら4730円でした、あはは🤣。加藤周一とそのシンパの対談集と言って良いかなと思います。
談論風発、内容はどこのページをとっても当時の面白い話題をわかりやすくを取り上げていますが、1つだけ引用しておきます、この本がすでに多分葛飾区の図書館になく、中古本市場でも入手困難となるとするとちょっと悲しい。やはり日本はもしかしたら少しおかしくなっているかもしれないと思いました。僕の下駄箱改造本棚に置いておきますので読みたい方はお申し付け下さい(念のために調べましたが葛飾区中央図書館に一冊在庫があることがわかりました、失言でした、すいませんでした。少し前の出版の本を調べる人たちは少なくないと思いますのでこれが確保されているということがそういう人たちに対しても「平等」ということだと思いました)
244〜245ページより以下、引用
「違うこと」、それが「平等」、、
そう、「平等」。それが面白いんです。実はこのあいだ、日本人とフランス人の会議で議論をしたんです。「平等」という言葉はフランス語に訳せます。まあ、もともとがフランス語から日本語に訳したわけだから当たり前だけど(笑)。しかし、どうも意味が違うんじゃないかと言い出したんだ。「平等」ということで、理解している内容がフランスと日本では違うんですね。
日本で「平等」と言うと、「みんな同じだ」ってことでしょう。収入が同じで、服装が同じで、ゴルフするのも、マージャンするのも同じ。みんな「平等」に同じものを飲んで、同じものを食べる。つまり「行動が同じ」であることを「平等」と言うんですね。「平等」とコンフォーミズム(Conformism 大勢(たいせい)順応主義」)とはほとんど剥がせないぐらいにくっついていて、裏表になって生きているのが日本なんです。
ところが西ヨーロッパ、特にイギリスやフランスでの「平等」の考え方には、コンフォーミズムの面が全然ない。違う人間がたくさんいて、違えば違うほどいい、というくらいのもので、違う人間が同じ権利を持っている、ということが「平等」なんです。それはたとえば政治的権利であり、言論・表現の自由の権利です。「平等」ということで「どのような意見を持っていようと同じ権利がある」ことを意味するけれども、「意見が同じだ」ということは全く意味しない。
アメリカのハンバーガーの店にクリントンさんが行って注文したとしても、サーヴィスをしている人は「あっ、大統領だ」とは思うでしょうが、むやみにへりくだることはないでしょう。たてまえとして「商売が違う」ということがあるだけ、役割が違うだけなんだから。サーヴィスをしている人もクリントン大統領も本来対等です。まあ、僕は大統領には会ったことはありませんが(笑)、かなり有名な人でも、そんなに威張った感じではありませんね。「役割が違う」ということはあって、その違いは大きいけれども「平等」なんだ。少なくとも理想的にはね。実際には少し違うかもしれませんが。
中略…フランス人は、その会議のときに「共和制とは何か。少数派が尊重されることだ」と言っていました。ところが「多数意見がひっぱっていくことがデモクラシーである。少数意見は無視できればそのほうがいい。少数意見があることは不幸な事故である」という考えが、自民党支配の何十年も変わらぬ日本国中に浸透しているわけです。
引用以上。
(日本も根深い差別社会であると思います)
国民のへそみたいな安定装置、という表現は言い得て妙ですね。そのへそのおかげで6世紀・7世紀ごろから「何となく日本人」って感じて生きて来られたのですものね。私、共和制でもいいんじゃない?て言いましたけど、もし皇室を維持するより安上がりで税金の節約になると思っている人がいたらトンデモ勘違い。
ドイツにはパレス住まいの現役の大統領に加えて、存命の元大統領が現在3人おりまして、この人達の維持費が大変なんです。お小遣いは大体年間2500万円、それに秘書2人と運転手の給料、SPの費用、事務所の維持費、もちろん車も二台(どうして)、ときどき元大統領として超豪華な外国旅行も。
今は3人ですけど、この間まで5人でした。死ぬまで面倒みてもらえますが、みんなものすご~く長寿なんです。大統領以降の暮らしが楽すぎるのか、もともと頑丈で図太い人が大統領になるのか。
それであまり長年に渡って面倒みなくてもいいように、という配慮からか以前は大統領は年配の人がなる習わしだったけど、近年は若くなっちゃって、50代で就任して3年で引退した(スキャンダルがらみ)ヴルフなんかはまだ40年は軽く生きるから、年間2億かかるとして80億の予算(インフレは考慮しない)を組んでおかないと。それが3人ですからね。日本の皇室なんて慎ましいものですよ。いや、亡くなっても未亡人のための費用があるから(ヴルフの妻は今40代でっせ)、安心できない。
ね、だから共和制も考えものでしょ。
オバサン知識満載のびすこレポートでした。
どこかから「皇族だって好きで生まれてきたわけじゃない」って、彼らの「平等」を求める声が聞こえそう。それも一理ある。だから例えば20歳、あるいは22歳で、皇族を続けるか辞めるか、自ら選択してもらう、というのはどうですか。
皇族を辞める、と言えば、その後は一般人になるから皇族手当も勿論出ないし、SPもつかないし、特別扱いされることは一切ない。しかしそれまでに標準以上の教育は受けているのだから、独力で生きる素地はできているはず。親の方も(恐れ多い言い方ですが)、緊張をもって子育てするんじゃないでしょうか。
・・・でも実態見ると、フランスの人って自分より収入が多い、とか、自分よりいい家に住んでる、ということへの嫉妬がものすごいんですよ。同じ物を食べるとか飲むとか着るということはありませんけど、自分の選んだ飲み物・着る物が他の人の選んだものよりいいのだ!とやたら主張したがる。あるいは他の人の選択をこき下ろす。それが生きがい。この私ですらこう言い切れるほどひどい。
「平等」精神と「私は他の人とは違うのだ」精神のコンビネーションって、実に奇妙で厄介なシロモノです。国家レベルでもそうですけど。
日本でフランス文化・文芸を専門とする人には「観念論者」が多いと言いますが、こういう人達は普通のフランス人の暮らしやメンタリティを知らないんじゃないかなあ。頭はいいんでしょうが、それが何なんだ、って感じ。学者と呼ばれる人達、少なくとも三年は一般市民の生活をどっぷりとしてみる(観察ではない)ことを「批評」以前の条件とすべきだと思う。
フランスではいつも他人の言動に神経をとがらせ隙あらば非難しようと構えていて、1人当たりの精神安定剤の消費が世界で最高、というのも分かります(最近は英国がそれを凌いでいるそうです。百年戦争以来の大敵だから、この点でも負けちゃいられない)。
そうそう、共和制の件、日本もそうしたらいいんじゃない?だって皇室問題で「民主主義」とか「平等」を持ちだすようになったら、皇室の意味はないですよ。すべてが「生まれ」で決まるのが皇室・王室。これほど民主主義に反する存在はない。それでも「高貴な生まれ」の人々の存在を求める心理が群衆のどこかにあって、こえは古代から現代まで変わらない。だから皇家・王家だけは例外として、国民の総意のもとに(もちろん100%ではないけど)皇室が認められてきたわけですね。
それはそれで構いませんが、特別な存在を特別に許されている人々が「普通の人間の権利」とか「平等」とか言い出すと、実態はカオスになる。それなら天皇の代わりに大統領を国の首長とした方がすっきりしませんか。