風土:和辻哲郎著:岩波文庫1979年5月刊
副題に…人間学的考察、とある。風土が人間に及ぼす影響、とざっくり言っていいのかな。これは旅行記だと思った。それが証拠にどこから読んでも面白い。土地の風景、すなわち人間の風景だからだ。読み進めるうちにこれは読み飛ばす本ではないことに気がついて、保存用にアマゾンの中古本を発注した。遅まきながらこの本に出会えてよかった。イモヅルシキのおかげだ。白川静と梅原猛の対談の中に確かこの著者の名前が出て…すぐに図書館にリクエストしたのだった(この流れではなかったかもしれない、芋づる式であることには違いない)
北ヨーロッパ南ヨーロッパ地中海を取り巻く国々インド中国などなどが風土に根ざす人間性を解き明かしながら若々しい筆致で歴史的な流れに沿って語られていく。ざっくりと、快刀乱麻を断つごとし、啓蒙されました。その上でその特殊性が際立つ日本について言及しているところから個人的に興味のあるところを一箇所、所引用しておきます。うまくいくかどうか分かりませんが…日本の特殊性について、、、第三章 モンスーン的風土の特殊形態〜 一 .シナ〜ニ .日本〜イ .台風的性格 ロ 日本の珍しさ、、、の中の、、都市における日本の小さな家についてです。安普請の僕の家がまさにそれに該当するので興味を持ちました。家…畳の部屋が障子で仕切られています。いかにも安直で鍵はかかっていません。ヨーロッパの家では普通各部屋の鍵がかかるようになっている。そもそも家そのものが大きいですからね。こんな簡単な例を挙げて…日本人の精神構造を類推しているのです。ヨーロッパの家では玄関は各部屋の前にあると言う同定(見做し)です。一歩部屋を出れば廊下は道路と同じ。それが証拠に靴を履いたまま街に出る。
195〜196ページ…彼らはちょうど日本の家族が茶の間に集まってむだ話をしたりラディオを聞いたりすると同じ意味で、カフェーへ行って音楽をききカルタを遊ぶ。カフェーは茶の間であり、往来は廊下である。この点から言えば町全体が一つの「家」になる。鍵をもって個人が社会からおのれを距てる一つの関門を出れば、そこには共同の食堂、共同の茶の間、共同の書斎、共同の庭がある。
しからば廊下は往来であり、往来は廊下である。両者を判然と区切る関門はどこにもない。ということは、「家」の意味が一方では個人の私室にまで縮小され、他方では町全体に押しひろげられるということにほかならぬ。それはつまり「家」の意味が消失したということである。家がなくしてただ個人と社会とがあると言うことである。
日本には明らかに「家」がある。廊下は全然往来となることなく、また往来は全然廊下となることがない。その関門としての玄関あるいは入り口は、そこで截然と廊下・往来の別、内と外の別を立てている。我々は玄関をはいるときには「脱ぐ」ことを要し、玄関を出るときには「はく」ことを要する。配達夫も小僧もこの関門を入ることはできない。カフェーも飲食店もすべて「よその家」(傍点付き)であって、決して食堂や茶の間の意味を持たされない。食堂や茶の間はあくまでも私人的であって共同の性格を帯びることがない。
日本人はこのような「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎ得る。たといどれほど小さくとも、このような「家」としての資格を有するものを住居として求める。それほどの執着を起こさせる魅力はどこにあるのであろうか。引用以上。
この文が書かれたのが昭和4年(1929年)その2年前の1927年の世界の人口は20億人だったらしいこと、その頃のヨーロッパと日本、引用したのはこの項の一部であることを考えて、ツッコミはご遠慮いただくとして、、、我田引水でした。
(立石駅前に高層建築が立ち並び、街の様子が一変したとしても変わらないものはこの精神構造じゃないかと思いました。公共の概念が発展途上の僕ら…街にデモが少なく、政治に対する興味もいまいち、あちこちに存在する村構造、つまり感化力の少ない閉じた仲良しクラブ、伸び悩んでいるNPO法人の数なんかがとりあえず思い浮かびます。本当に大事なのは民間の盛り上げだと思います。お上の言うことを聞いていれば間違いない、の時代から百数十年経っても変わらないのは、僕らの昔ながらの精神構造だと思いました)
少し、その他、ヨーロッパに言及している箇所引用しておきます、、、
77ページ
我々の国土から出発して太陽と同じに東から西へ地球を回っていくと、まず初めにモンスーン地域の烈しい「湿潤」を体験し、次いで沙漠地域の徹底的な湿潤の否定、すなわち「乾燥」を体験する。しかるにヨーロッパに至ればもはや湿潤でもなければ乾燥でもない。否、湿潤であるとともに乾燥なのである。数字的に言えば、アラビアの雨量が日本の数十分の1であるに対してヨーロッパの雨量は日本の6、7分の1ないし3、4分の1である。体験的に言えばそれは湿潤と乾燥(傍点付き)との総合である。
127ページ
中略…冷たいあるいは生温い空気が都会を包んで全然流れることのない時、我々はあたかも空気が凝結あるいは膠着したかのように感ずる。かかるときには煙突の煙は乱れることもなくまっすぐに昇って雲の中に消えて行き、飛行機が空に描いた煙文字は永い間薄れずに形を保っている。そしてこのような空気の淀みの方がむしろ西欧の風土にとっては持ち味なのである。
128ページ
一般にドイツの樹木は直立している、と言ってもよい。このことはテューリンガーワルドのような山林においては一層著しい。林とは直立する樹木の並列であって、幹と幹とは精確に平行線をなしている。このような感じは日本の杉林・檜林にもまれである。
131ページ
このような温順の自然は、ただその温順さからのみ見れば、人間にとって最も都合の良いものである。温順の半面は土地が痩せていることであり、従って一人の支配する土地の面積は広くしなくてはならないが、しかし一人の労力を持って何倍もの土地を従えて行くことのできるのは、自然が温順だからである。昔ゲルマン人が半遊牧的な原始共産主義の社会を作っていたころには、そこは暗い森に覆われた恐ろしい土地であったかもしれない。しかし一度開墾され、人間の支配の下にもたらされるとともに、それはそむくことなく従って来る自然となったのである。実際西欧の土地は人間に徹底的に征服せられていると言ってよい。それは広々とした大陸であるにかかわらず、すみからすみまで人力の支配の届かない所がない。深いと言われる山でさえも、植林はすみずみまで行なわれ、道路は絶頂まで通じている。それは山の傾斜が緩慢だからであるが、しかしまさにそのゆえに山のどの部分の樹も馬車で運び出すことができるのである。だから西欧には利用され得えない土地はほとんどないと言ってよい。
132〜133ページ
中略…これを思うと西欧の自然の温順は自然に対する人間の「作業知」の開発と引き離すことのできないものである。従順な自然からは比較的容易に法則が見いだされる。そうして法則の発見は自然を一層従順にならしめる。かかることは突発的に人間に襲いかかる自然に対しては容易でなかった。そこで一方にはあくまでも法則を求めて精進する傾向が生まれ、他方には運を天に委せるようなあきらめの傾向が支配する。それが合理化の精神を栄えしめると否との岐れ路であった。
が、その限りにおいては西欧は一般にヨーロッパ的であって特に西欧的ではない。西欧的なるもの、従って近代の精神を捕え得るためには、我々は西欧の陰鬱に目を向けなくてはならぬ。(引用以上)
、、、と来て、この後、、西欧の陰鬱とは直接には日光が乏しいことである。、、、と続いて、レムブランドとヴェラスケスのお国柄、風土の違いによる陰影の表現の違いと言う興味ある文章が続くのですが今日はここまでにいたします。
…歴史的な背景を知らずにヨーロッパ見たって全然面白くない、
本当にそうなんですよ、私も最初は、ふーむ苔むした感じだなあ、お、なかなかロマンチックな雰囲気じゃないの、くらいの感想しか持たなかったのですが、その地の土台となっている文化や風土を知ると、観光にも膨らみが出てきます。同時にその歴史によっては、何百年もあとに極東から来た私にとっても共感を誘うものになる。
今の若い人は、というクリシェを繰り返しても仕方ないですが、日本人が来て「わあ、コンピューターゲームのお城みたいだなあ!」とか言うのにはがっくり。でもこちらの若い世代を見ていて、いずれは彼らもハイネが住んだ家やゲーテが泊った宿に興味を抱くようになるのだろう、と思います。でなければ、そういう由緒ある場所が今に至るまで大切にされていることはないでしょうから。