ニッポン劣等食文化:山路健著:(社)農山漁村文化協会1990年3月刊
この本は…椎名誠の世界各地の探検の際の「醤油愛」とでも呼ぶべきコメントを彼の本で読み…その本の中にこの本の紹介がありました。あ、つまり椎名誠の書いた本の中にこの本の紹介がありました。最初に目次を拾います…
II章 永い学習から育まれた味覚の没個性性(アミノ酸文化論)
1 民族レベルの"偏食"と味覚の偏り
↑ は目次から拾いました、さらに目次の中の同じ章の、、
3 「孤高の味」うまみがもたらした功罪
味に幅のない日本料理
日本人の味…旨味と醤油
目次の引用以上
で、類推していただきたいのですが…要するに日本人の味覚について…それほどのもんじゃない…と言いたいらしいのです。
僕はこの本のタイトルにあるような内容よりもこの本の「日本人論」としての言及に興味を持ちましたので少し引用させていただきます。
204〜205ページ
日本的特殊性を持つモンスーン風土の構造は、湿気が媒体となって、ニつの形態のニ重性格から形成されていった。すなわち、一つは、自然が恵みを与えるとともに、猛威をふるうと言うジキル的性格とハイド的性格、ニつは、夏期において強いに日照と湿潤とが結合して熱帯・亜熱帯的草木を旺盛に繁茂させる一方、冬季においても寒冷と湿潤とが結びついて寒冷的草木を繁茂させる、という二重性格がこれである。
モンスーン風土に対応する人間の受容性は、日本人の場合には特殊形態を示す。というのは、四季の変化があまりにもはげしいことから、自然が恵みを与えると思えば、突発的な自然の暴威--夏季における台風や大雨--に脅かされる。めまぐるしい四季の変化によって、日本人の自然に対する受容性が感情を揺さぶり、その持久性を維持できないのである。いうなれば、日本人の感情の起伏が気短く変転するのは、活力ある自然の烈しい変化によるものである。
中略…
日本人は自然に反抗せずに恭順するが、内面においては、自然に反抗的な感情を抑えながら忍従して諦観するのである。換言していえば、日本人は持久性のない烈しい台風的性格の持ち主である反面、台風一過、あっさりと諦めてしまうところがある。桜の花に象徴されるように、日本人の気質には、かなわぬ相手と知りながらもあえて抵抗して散る、という枯淡の静かな諦めがある。これが日本人の持つ反抗を秘めた忍従である。武士の切腹・殉死、あるいは情死が美徳として讃美されるのも、この枯淡の諦観さによるのである。
つぎにやっと肝心な食に関する記述が続きますので引用します
喫食の拡大には勇気がいるが、この点、タコ、フグ、ウニ、ナメコなどの魚介類やキノコ類を試食して食性を拡げてきた日本人は、雑食民族と呼ぶにふさわしい。この日本人の雑食性を育んだのは、豊富な自然の幸を享受できる風土に安住していたことと、厳しい宗教的戒律に制約されずに喫食範囲を拡大できたことによる。引用以上。
(何でもかんでも醤油を使って味をごまかして、味音痴?な日本人に対して一石を投じようと言う著者の気持ちはわからないでもありませんが…山海の珍味にも事欠かない日本に置いて、何を言っても迫力がありません…あはは。それにこの本が書かれた30年前とは違い、今では日本食も世界中に所を得たとまでは言わないまでもかなり認知されてきたと感じます。
水稲栽培が日本人の共存をはぐくみ日本の気候が日本人の性格を形作り、身の回りにある豊富な食料、特に生鮮食料との相性が良い醤油が日本人の味覚を決定づけた…とでもコメントして…ちょっとこの著者に擦り寄ってお茶を濁すことにいたします)
ご飯と梅干しでお茶漬けなんて最高においしいと思います。これから日本酒の美味しい季節になりますね…日本人に生まれて良かったなと思います😀