夜は暗くてはいけないか:乾正雄著:朝日選書1998年5月刊
19ページより引用
中略…空の暗いのはアルプスよりも北の国々だ。イギリスやドイツや、それからパリを含むフランスの大部分は、そこに入る。他にも、ベルギーもオランダも、オーストリアもスイスのあらかたも、北欧三国もというように、たくさんある。そういってよければ、私は、それらを総称して、「ブリューゲルの暗い空の下にある国々」といいたい位だ。(註:絵画🖼「雪中の狩人」でググれば暗い空と凍った水面の暗さを確認できますピーター・ブリューゲル(1世))
しかしながら、ドイツ語にはアーベントトラント、すなわち「黄昏の地」と言う言葉はすでにある。この言葉は、一般的には西洋、ないしヨーロッパをさすが、そこを暗い土地と自覚していなくては生まれない言葉だ。黄昏の地を意味通りに使えば、私のいう「ヨーロッパ」は必要十分に表現できる。引用以上。
、、、と、ヨーロッパと日本の空と水の色の、その暗さの捉え方の違いを気にしていただきながら…さらに引用いたします
74ページ
気候よりも光を意識させる土地、それがヨーロッパである。ヨーロッパの文化は、「光の文化」といってよい。これは、光と闇の往き来を意識した文化という意味である。光は、充満していればいるほど、よけい感じるというものではない。闇の中の一筋の光線こそ、かえって光を意識させるのだ。
90ページ
石の家に住むと言う事
中略…イマヌエル・カント(1724〜1804)は、80年の生涯を、生地ケーニヒスベルクですごし、数キロ以上の遠出をしたことがなかったという。これはめずらしくも有名な例である。「純粋理性批判」を書くまえですら、カントの名前はドイツ中に知られており、よその都市の大学から懇望されるされたこともあった。しかし、彼はついにケーニヒスベルク大学から動かなかった。後略…
(オランダの画家フェルメールについても言及している)
91〜92ページ
中略…フェルメール1632−75)はデルフトで生まれ、デルフトで死んだ。2度引っ越しをしているようだが、終始デルフトの中心部にとどまった。この画家については、若いころの記録がまったくないので、よその町で修行したかどうかわからないが、大方の見るところ、大旅行はしなかったと推測されている。中略…それでもフェルメールが石の家の住人であることは、現存わずか30点余という、極端に少ない作品群が示してあまりある。中略…フェルメールは、石の家の室内にいるとき、芸術家として完全に充実した時間をもっていたにちがいない。それでなんの不足もなかったのだ。
93〜94ページ
中略…必ずしも1つでなくてよいのだが、定点となる地域、石の家、さらには石壁に囲まれた内部空間の暗さがきまれば、人の生活基準、もっといえば人生基準がしっかりときまる。そうして、てこでも動かないような石頭が育つ。石頭とは、いいかえれば石のように確固たる価値観をもった頭脳のことだ。われわれと人生観のちがう人たちは、そんな頭脳をもっているのだ。
183〜184ページ
夜は暗くてはいけないか、と問われると、だれでも一瞬動揺するだろう。なるほど都会の夜が明るいのは楽しく便利だが、暗い夜もあっていいはずだ、暗い夜には現代人が捨て去っただいじなものがありそうだ、と直感的にわかるからである。
星やホタルを見られるとか、闇を利用して魚や動物をつかまえられるなど、夜が暗いほうがよい理由としては楽しいものがいろいろあるが、もっともだいじな理由は、まえに(かっこ内、略)述べたように暗さが人にものを考えさせるということなのだ。
中略…現代人はものを考えなくなったというけれど、光の行きわたりすぎた現代の夜間の環境が、人に常に動き回ることばかりを強いて、じっと考える能力を喪失させたことはうたがいようがない。引用以上。
(日本は欧米の照明具の変遷を凝縮して体験し、最近LED照明が出てきたのでさらに一変した。僕のうちは全てLEDです、電気代が安く、調光が簡単なので。自然光の調節は難しいですがLEDなら少しは明るさの変化を楽しめますね)
(この本は、ヨーロッパの気候と家の作り、そこにおける採光、精神構造にも言及していて示唆に富む本でした。
今更、ろうそくで暮らせるかと言えば、それは難しい、多分誰にとっても。でも人間の姿顔形が、光源の種類と強弱と方向でいろいろな「相」を浮かび上がらせることを思うと…ふんだんな照明によって白日のもとにさらされたかのような人の風景がちょっと頼りないと思いました、感受性をも鈍麻してしまうかもしれないと思えばちょっと怖いですね)
おっしゃる通り、ドイツでは西洋のことをアーベントラントと言います。これに対して東洋(特に日本)はモーゲンラントです。夕暮れの国と夜明けの国。何だか前者は弱弱しいイメージですが、別に悲観したり卑下したりしているわけではありません。太陽の動きに客観的に従って名付けただけ。
偉大なる国を自称し、他の国には何でもケチをつけまくるフランスでも、東洋はルヴァント(Levant)です。この言葉はleverという動詞がもとになっていて、これは上る、昇る、起きるなどという意味です。以前にフランスでLevantという看板のレストランに大きく日の丸が描いてあって、何だろうと思ったら日本料理屋でした。
フェルメールの絵、いいですよねえ・・・「牛乳を注ぐ女」とか「手紙を読む婦人」とか。彼女たちが光り輝く宝石のようになっていますね。私はフェルメールの絵のブルーが大好きで、一時この色のセーターやカーディガンを漁っていました。
光といえば、ちょっとおかしい話があります。
度量衡って文明社会では極めて重要で、国際度量衡脚というのがフランスにあってそこの標準に合わせていろんな計測器を定期的に較正するのですが、日本の第一の標準もこのフランスの原器と比較してずれがないか定期的に検査しています。計測する項目は20くらいあって、流量計とか温度計、重量、長さなど。
私はこの機関に仕事で出入りしていたことがありますが、そこで較正する対象に照度計というのがありました。光の強弱をチェックするのですね。日本での最高標準はアメリカ製のランプ(やっぱり侮れないアメリカ)で、そのすぐ下位にあるのが東芝製のマズダ・ランプでした。この「マズダ」はソロアスター教の光の神様です。東芝も凝った命名をするものだと感心しました。
しかしですね。無知なる私は照度計なんていったいどこで使うのかと不思議に思ったのです。流量計というのはガスや水道のメーターに必須だし、電圧計や温度計の重要さも分かります。でも照度計ってどうして必要なの。
怖いもの無しで質問したら、相手のエンジニアさんはちょっと笑って、一番の需要は風俗産業界だというのです。は??どういうこと??これはですね。キャバクラとか同伴喫茶とか(今もあるかしら)では一定の明るさが求められていて、もちろんパア~っと明るくする必要はないけど暗すぎてはいけない。それでそこそこの明るさが守られているかどうか、警察が抜き打ち検査をするんだそうです。そのときに活躍するのが「照度計」ですってよ。んまあ、世の中にはいろんな需要があるもんですね。
なんだか下世話な方向に向かっているので、ここで態勢を立て直して。
このところ滅多に聞かないドイツ放送の「恒星時」というのをたまたま聴いてみたら、スイスの山地で行われるpyrheliometer(直達日射計)の較正の話でした。タイトルは「ダボスにおける太陽の光の中での計測ショー」。
私が下手にその内容を説明しなくても、直達日射計についてのウィキで説明されていますので、以下そのコピー。(直接日射計と言うのは、反射成分を含まない太陽光線の直接成分を測定する装置だそうです。)
「直達日射計測定仕様は 国際標準化機構 (ISO)と 世界気象機関 (WMO)の基準に従う。 太陽光エネルギーを世界共通の校正で測定するため、直達日射計間の国際比較定期的に実施される。 5年毎にダボスにある世界放射線センター(WRC)[3] にて実施される国際直達日射計比較[4]の目的は、 世界中の放射標準を移転する事である。 このイベントでは、すべての参加者が、ダボスに計測器、太陽自動追尾装置およびデータ収集システムを持ち込み、世界標準グループと同時に太陽放射測定を実施する。」
ここに5年毎とあって、前回は2015年でその時にはラジオ放送を聴きました。昨年がその5年後だったのですが、それがコロナのためできなくなって今年に延期されたのだそうです。ノルウェーでもアラスカでもペルーでもなく、スイスのダボスでこれが実施されるのは、直接の太陽光線が最も強烈でピュアだから、ですって。
そして面白いのは、この計測器ショーが行われるのが、ダボスの山の上にある学校の校庭ということで、10月上旬といえばスイスの学校は秋休みなんです。壮大なプロジェクトがぐっと身近に思えますね。