日本の天井(時代を変えた「第一号」の女たち:石井妙子著:角川書店平2019年6月刊
社会に風穴を開けたような女性7人が取り上げられています。
登山家の田部井淳子の章から、、、言葉が鈍っていたためにコンプレックスを感じていた彼女は大学を辞める気になっていた時…
169ページより引用
大学の寮に帰ったら、皆が私の帰還をとても喜んでくれまして、歓迎のハイキングを企画してくれた。それで東京の奥多摩にある御岳山を寮の仲間たちと一緒に登ったんです。これが大きな転機になりました。だって、御岳山に行ったら、びっくりするほど、うちの田舎と変わらないんだもの。東京にも山があったんだ、ビルだけじゃないんだ、東京だって、うちの田舎とちっとも変わらない。何を今まで、勝手にびくついていたんだろうって思った。中略…へー、東京の山ってこうなんだと興味をかき立てられました。それから東京周辺の山を、次から次へと登りに行くようになったんです。引用以上
これがあの世界的登山家の物語の始まりの第1章だったとは、意外でした。
もう1人、1982年に労働省婦人少年局長、2年後に初代の婦人局長に就任した人物、男女雇用機会均等法の成立に尽力、その後成立したものの「こんな生ぬるい法律でいいと思っているのか」と女性たちからも攻められたいきさつのある法律について… 152ページより引用
「とにかく法律は成立させることが大切なんですよ。あんまり理想を高くしたら打ち上げ花火で終わってしまう。法律っていうのは、最初に作るのが一番大変なんです。改正はずっと楽。だから、とにかく作ることを優先しようと思った。とにかく作って、後は改正を重ねて理想に近づけていけばいい。当時、そう思っていた。以下略
引用以上
とにかく柱を立ててから考える…と言うところは納得できるのではないでしょうか。それが大黒柱でなくても、一本の杭でも良いと僕は思いました。
1970年代とか80年代は、今よりは差別・蔑視がずっと強かった時代なので皆さん勇気(体力も)が要ったと思いますよ。50年代・60年代はもっとすごかった。政治家が妾の数を自慢するような時代だった。私たちの母親や祖母たちの忍耐をエライと言っていいのか。何かを達成するために苦難の耐えるのではなく、ただ身の安全を守るために不正にも虐待にも目をつぶったことは褒められることではありませんよね。