クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち: 松崎一葉著:PHP新書2017年1月刊
この本の最後のページから引用いたします
203ページ
「働き方改革」が叫ばれている。(もはや懐かしい! ( )内、感想ぼく)
長時間労働を是正せよと言う。しかし、業績は落とせない。
相反する要求なのだ。
この矛盾した要求を両立するためには智恵が必要だ。
短期的には高い業績を上げるような「デキるクラッシャー」に依存して、真面目な社員が使い捨てにされるような悪しき構造を改革しなければならない。引用以上
話の流れの関係上、、。
ロングストーリーショート(長くなるのでかいつまんで話します)のため、1977年放送の「岸辺のアルバム」から…
140〜141ページ
中略…息子の繁は母の様子がおかしいことに気づき、不倫の現場を追跡、大変なことが起きたと、姉の律子に相談するのだが、律子は白人留学生との恋愛などに気が向いていて取り合ってくれない。だが、その律子が白人留学生の友人にレイプされると言う事件が起きる。
同じ頃、勤め先の商社の業績が悪く、部長の謙作は、東南アジアから風俗嬢に就かせるための女性を「輸入」する業務を命じられていた。真面目一本やりで会社のために尽くしてきた謙作は悩むが、この汚れ仕事を引き受けることにする。
そうした父親の仕事内容についても、息子の繁は知ってしまう。その事実と姉のレイプ事件、そして母の不倫の事実を、ついに繁が家庭全員にぶちまける。平和な家庭像が偽りであることを激しく批判しながら。中略…
そんなある日、強い低気圧が近づいてきて、田島家のマイホームのある地域にも雨が降り始める。雨はどんどん強くなり、多摩川の水位が上がってくる。堤防決壊の恐れから、住民に避難命令が出る。「このうちだけだ。このうちだけが、俺が働いてきた成果なんだ」と家を離れようとしない謙作。
それでも雨は容赦なく降り続け、警察の指示で繁と則子が、避難所に移ってから間もなくして、多摩川は氾濫、田島家のマイホームが濁流にのまれていく。繁が必死で持ち出した、家族のアルバム以外、全てが押し流されていく…。引用以上→
142ページ
中略…私が「岸辺のアルバム」を連想したのは、杉浦直樹演じる田島謙作の鈍感さは相当なものだったからだ。
(と、前置きして、著者がこの例を持ち出したのには、もちろん訳がある) →
著者曰く… 142ページ、、、商社の部長職の謙作は、クラッシャーではない。中略…モーレツサラリーマンではあるのだが、情緒的共感性を持ち合わせていて、まさか部下のメンタルを潰すことなどはしない。
だが、こと家庭に対しては、クラッシャーD(この本の中で例として挙げている、元はモーレツ社員、モーレツすぎて、部下に対して大変厳しかった:このコメント僕)と同じなのである。
144ページ…クラッシャー上司の家庭は実質的に崩壊していることが多いのである。「岸辺のアルバム」は、40年前にクラッシャーの家庭の病理を先取りして描いた予言ドラマのようだ。
(驚くべきは…著者も言っている通り、岸辺のアルバムの謙作の家庭での有り様が…現在でも社会に横行していると言う実態だ!利益至上主義との連関が想起される、僕が尊敬する、少し前まで、外国債券の立案業務をしていた若い人からその実態を聞いたことがあり、上司から灰皿を投げつけられたというその話を、今時そんな話があるのかと、にわかには信じられませんでした)
で、その傾向と対策、、、(これが肝心)
158〜160ページ
GRR…ストレスに対抗するためのリソース
まず、提起しておきたいのは、ストレス状況にあっても、社員がそれを乗り越えられるだけのGRRを、会社がきちんと整えていくことの重要性だ。GRR(Generalized Resistance Resources)は、「汎抵抗資源」と訳される健康生成論のキーワードの1つ。特定ではない、さまざまなストレスに抗するためのあらゆるリソースのことを意味している。中略…会社組織にはみな理念がある。社員全員の腑に落ちる理念を掲げている会社は、それだけでもGRRが高い、といえる。それぞれの現場でどちらの選択をすべきか迷ったとき、会社の理念に立ち返って判断を下すことができれば、自信を持って仕事が進められる。
162〜166ページ
あまり聞きなれない言葉だと思うが、SOC(Sense of Coherence)も健康生成論の重要なキーワードである。日本語に直訳すると「首尾一貫感覚」となる。究極のストレス状況を乗り切る心の資質のことを言い表している。
SOCは、アメリカのユダヤ系医療社会学者である、アーロン・アントノフスキー博士が提唱した概念だ。ナチス・ドイツ占領下のアウシュビッツ強制収容所から生還した人たちの健康調査がきっかけで生まれたものだ。
アントノフスキー博士は、第二次大戦の終戦後、アウシュビッツ強制収容所で悲惨な体験をした人々のその後をフォローアップした。この調査によれば、収容所から生還した人たちの多くは、あまり長生きすることができなかった。人は一般的に、アウシュビッツ強制収容所のような体験による過度のストレスに一定期間をさらされると、心身のエネルギーが消耗してしまい、健康保ちにくいと言われている。
ところが、同じアウシュビッツ強制収容所から生還した人たちの中で、ある集団だけは、心身ともに極めて良好な結果健康状態を保ち、天寿を全うしていた。
アントノフスキー博士は、その集団の性格特性を精緻に分析した。結果、その人たちには、共通した3つの感覚が備わっていることが明らかになった。その共通した3つの感覚が、SOCである。具体的には次の通り。
・有意味感(情緒的余裕)
・全体把握感(認知の柔軟性)
・経験的処理可能感(情緒的共感処理)
専門用語なので意味が取りづらいかもしれないが、この3つの感覚は私たちの実生活にも密接に関わっている。
「有意味感」とは、辛いことや面白みを感じられないことに対しても、何らかの意味を見いだせる感覚のことである。中略…
「全体把握感」は、時系列(プロセス)を見通せる感覚だ。
「今は厳しいが、あと2週間もすれば何とかなるかも」「今週末は出勤だけど、来週は2日有給が取れるから頑張ろう」などプロセスに備えた段取りをする力のこと。中略…
「経験的処理可能感」は、今までの成功体験に基づいて、「ここまではできるはず」と確信し、ここからは未知の部分」と早期に援助希求できる感覚だ。
たとえば、今回50のミッションをコンプリートできたとする。その経験は本人の中に自信として残る。次に、上司から能力値以上の80のミッションを与えられた。そのとき。経験的処理可能感が高い人はこう考える。
「俺は50までできるのだから、残りの30をなんとか頑張ればいいんだ」
自分の成功体験をしっかり確信できると、「50まではできる」と考えることができる。こう考えられる人は、「経験的処理可能感」のある人だと言える
192ページ
世間にはストレス関連、うつ病関連の情報が氾濫しているが、そこで語られているストレスの予兆には、一般性はあっても個の特異性の観点がなく、自分自身の破綻の予兆に対する検出力が弱い。参考になりそうで、実際は使えない話が多いのだ。
人には器がある。器は研鑽を積むことで徐々に大きくなる。その際の「成長痛」のような前向きなストレス反応(eustress)もあるし、時には器を破壊するようなストレス反応(distress)もある。
(※Eustress =前向きなストレス反応
※Distress =器を破壊するようなストレス反応:ぼく用メモ)
中略…
ストレス反応の核にあるものは「億劫感」と「認知の歪み」である。その核からどのような症状が眼に見える形で噴き出すかは、個人によって異なる。
(億劫感…やろうやろうと思ってなかなかできないこと、例えば人間関係が億劫になる。
認知の歪みによる症状…考え方が狭くなる、心が狭くなる。その人のことをよく知らないにもかかわらずイラつく、つまり認知の歪み、、、私見につき、各自資料に当たってください)
196ページ
自らの器を破壊するようなストレス反応に気づいた頃には、自分でコントロール不能なメンタル不全になっている可能性も高い。
少しずつプレッシャーを感じながら成長していく人たちは、その成長痛とも言えるストレス反応を敏感に認知しながら、常に自分自身をコントロールしている。そうやって自分自身をマネジメントしていくのである。「健康管理も才能のうち」であることを肝に銘じよう。
(本のキモを超ダイジェスト?したつもりですがうまくいったかどうか🤪たったこれだけで肩がこった、自分用のメモにもなったからまぁいいや、😊)
何だかいちまるさんと私との間には見えない糸(赤ではないけど)が張られているようです。だって私、昨夜寝る前に「人が自分で選べないもの」として、親・兄弟の他に、教師、それから上司のことを考えたのです。少年・少女も青年・壮年も、宛がわれた教師・上司を受け入れるしかありませんよね。
私がいわゆる「上司」をもっていた期間は短く、それもみんな寛容な人達だったのでストレスなどはなかったのですが、フリーランスでいろんな企業に出入りしていた時、異様なパワハラ部長を目にしたり、サディストのような顧客に対応している社員を見て、明日の朝のニュースにこの人達の自殺が報道されていても不思議はないと思ったほどでした。定年退職までと言い聞かせて我慢する?いや、あの激しい暴言の前には「有意味感」も「全体把握感」もすっ飛んでしまう。
その人達は死ななかったのですが、あとで某大企業の人から、「実際は屋上から身を投げて死んだ社員はかなりいるのです。それを外に漏れないようにするのが総務課・広報課の重要な仕事なんです。新聞に出たら、そこの多くの人の首が飛びます」と聞きました。(残忍なパワハラ部長は後に退職後すぐアルツハイマーで亡くなったそうで、私は小指の先ほども同情する気になれませんでした。)
近年はこれらの犠牲者をなくするためにパワハラ防止の法が設けられたりしていますが、実際は加害者の方の人格破綻が大きな問題なので、これをなんとか矯正・修正するプログラムが必要ではないでしょうか。あるいは企業側がときどき管理者の精神状態の厳しくチェックをするとか。でないといつまでたっても犠牲者は減りません。