東京大洪水:高嶋哲夫著:集英社文庫2010年7月刊
昨日の夜、どっぷり首まで泥水の中につかった気分で読み終わりました。『水害列島日本の挑戦』日経BP社、、、を執筆した「気候変動による水害研究会メンバー」が同書の中で、この本を勧めていた理由がわかりました。水害を疑似体験するには絶好の1冊です。3.11東日本大震災の8ヶ月前にこの本が出版されていたことも何かの符号かなと思いました。
台風同士が合体して巨大台風となり東京を直撃すると言う設定が…もしかしたらこういうことも起こり得るなと思わせる位克明に描かれていました。実質2人(玉城と木下)しかいない独立行政法人日本防災研究センターが綱渡り的に地球シュミレーターに計算データを打ち込み…その結果をもって、気象庁の研究グループとコンタクト、データを照合させてゆく、、台風の進路とともにデータ結果が真実味を帯びてくる、そしてついに巨大台風が竣工間近の高層ビルをも脅かす、、、。荒川、隅田川決壊、都心部の地下街全滅の危機の中、海抜0メートル地帯の区長、都知事、国土庁、自衛隊、ままならない指揮系統の錯綜する中、活路を見出していく各部署の担当者、、綱渡りのような連携プレー。橋に引っかかった漂流物が堤防を壊すのを防ぐために橋を爆破、迷路のような通路の一部を爆破して水の流入を阻止して巨大地下街の損傷を最小限にとどめる、ビルの倒壊を防ぐために時間稼ぎのため洪水の盾になってブルドーザーを横に並べる、、。
今僕の手元には、、この本の出版後8ヶ月後に起きた現実の3·11東日本大震災に伴う福島原子炉施設のさらなる事故拡大を、これまた小説さながらの綱渡り的な、現場担当者の命をかけた連携プレーによって、引き続き起こったかもしれない大災害をかろうじて救った人々を描いた…門田隆将著:角川文庫、フクシマフィフティ(現場に残った勇気ある50人を世界はこう呼んだ)…「死の淵を見た男」が置いてあります。虚構と現実の違いはあっても繰り返される出来事はどちらも真実だ。考えられないことが起きるのが現実だと思うから。
我が家と綾瀬川とを分かつカミソリのように立ち上がった堤防の補強工事が何年も前から少しずつ少しずつ完成しつつあります。現在も10メートルはあろうかというシートパイル:鋼矢板を川底に打ち込み、潜水夫がその都度潜って嵌合部分を確認していく地味で辛い仕事、この先何年間にもわたろうかという大工事がすぐそばに暮らす街の人たちに、たいして注目されもせず淡々と続けられています。
小岩に住む福島原子炉設営工事に従事していた方が漏らした一言が忘れられません、、、俺らがさぁあの原子炉造ってる時、思ったよ…ここまで頑丈にする必要があるんだろうか…ってね、、
それがね…まさか壊れるとはね…。
現実には…石橋を叩いても当たらないような人々が…災害現場では陣頭指揮をとらざるを得ないという皮肉、日本には多分数え切れない人の人柱が埋まっているのだと思いました。
(荒川と綾瀬川を分かつ堤防は土でできています。雨の3日も降り続いた後、河川敷の道路部分に水が染み出し、天気になっても… 3日も4日も水が染み出し続けます。現在進行中の各地の土砂崩れが簡単に起こる理由です、土の保水力…すごいです。限界まで、水を保ち、保ちきれなくなって崩れる。僕らはこういう国に住んでいる。明治維新から高度成長時代に地下水をふんだんに汲みあげ地盤沈下を起こし、東京駅や上野駅が人工的な巨大な「重し」によって安定を保っていることを知っている人がいても普段忘れている。
地上に残るエジプトのピラミッドの巨大さを軽々と何百倍もしのぐような巨大都市東京の地下迷路、地下鉄網を直線距離に伸ばすと地球を何周もする!密集度などなど、2 、300年後僕らの子孫はどう思うのだろうか。海面水位とそれほど違わない分、平らで使いやすい地上に広がった世界一の都市空間、明治維新後150年のジェットコースターに乗ったような短い期間の国民総力戦の資本主義の行き着いたなれの果て、、と気取ってみたところで…どうってことない。僕らと、まだ見ぬ僕らの子孫はここで生きていく😌
以下気になった記述を引用しておきます
41ページ
(日本防災研究センターの玉城親孝彦と危機管理室長後藤との会話で、玉城の発言)
「明治43年8月、東京に大雨が降った。1910年だから今から100年あまりも前です。江東区はもちろん、北区の岩淵から千住、下谷、浅草、本所、深川、亀戸にいたるまで、東京中が水浸しになりました。その時、死者、行方不明者が約400人出ています。さらに浸水家屋約27万戸、被災者は150万人。水が引くまで2週間かかりました。私も荒川土手で遊んで育ちました。「荒川防災研究」(玉城がまとめた)をまとめる原点となった香水の1つである事は確かです」しかし、と言って玉城は深く息を吸った。「現在ではこんなものではないかもしれません。さらに悪い事態が考えられるでしょう」引用以上。
117〜118ページ
(玉城と木下の会話、木下の発言)
「それにしても今年…いや、近年の世界の気候は、やはりおかしいとしか言いようがない。去年は世界中で10人以上の死者を出す洪水が、150回以上起こっています。死者の総数は、10万人以上とも言われている。これらはすべて、地球温暖化に起因していると言う研究論文もあります。すべてとは言いませんが、半分ぐらいは納得できるものでしょう」
「僕は全面的に納得していますよ。ここ10年以内に、温暖化で地球は恐ろしいことになる。海面上昇による陸地の水没、伝染病の蔓延、食糧、水、エネルギー不足…」これは木下の持論だ。そしてそれが、あながち嘘でないことが恐ろしい。引用以上。
唐突ですが、以前「ひょこむ」にろれちゃんが書いていたところでは、何か大きなニュースがあって世間が大騒ぎするたび、ご主人が「そういうことは昔からいつも一定の割合であった」とおっしゃるそうで、この〈一定の割合で〉という口癖にろれちゃんが苦笑いをしておられる印象でしたが、これ、私はその通りだと思うのです。
昔は今ほどニュースの伝達が速くも広くもなかったから、伊勢湾台風とか室戸台風など本当に大規模な災害出ないと報道されず(それも1960年頃までは新聞ラジだけ)、報道されても、一つには人口が今より少なく被害者の絶対数がさほどでもなかったため、わりとすぐ「はい、次のニュース」みたいになっていた。
これは「かちねっと」時代にも書いたことがありますが、向島で育った幸田文(九月一日生まれ)の「二百十日」というエッセイによると
(向島は桜で都鳥で玉の井だけれど、そこに以前住んだことのあるものはそれらと同じくらい印象深いのが、夏の蚊と秋の洪水だった。荒川の放水路が完成するまではきまった二百十日には出水の心配をさせられたのである。多少ゆとりのある家では避難用の舟を供えていたし・・・私ほどな年齢のものならみんなあの緊張感-風と雨と半鐘と、無事に済むか土手が切れるか、刻々に増えるあの恐れ―を経験しないものは無かったはずだ。そしてそれがとうとう水になってしまうと、あとはそこいらじゅう不潔と貧乏と病気がいっぱいになる。)
これって東南アジアやインド・バングラデシュなどの今日の状況と似ていますね。問題は、日本が豊かになって技術先進国になり日々の生活が安定してきたため、気候・天候さえも近代技術で何とかなる、もっと馬鹿なのは「国が何とかしてくれる」、という思い込みが国民(もちろん欧米でも)に浸透し、被害が出ると「こんなはずではなかった」と怒り、それを誰か・何かのせいにせずにはいられないということではないでしょうか。
しかしながら、これは完全には、いやかなりの部分に渡っても、避けられない現実だと思うのです。天変地異は人の努力ではどうにもならない。疫病だって、その克服に成功した国はどこにもないではありませんか。ニュージーランドのように、1人のデルタ変種が出たというのでロックダウンするなら別ですが。
近年の自然災害のかなりの部分は、インフラの不備と、災害への備えの不足によるところが大きく(昔の人は舟まで準備していた!)、そして何よりも私が腹立たしいのは、どうして川辺の家を買うのか(開発業者の口車に乗って出来合いの家をお手頃の値段で買うそうですが)、脆弱な土壌で知られるこの日本でなぜ崖っぷちに家を建てるのか、そもそもそんなところをなぜ「造成」などするのか・させるのかということです。それなら昔の田舎や郊外には廃家がたくさんあって、そういう場所は安全性が証明されているので、それらを改築するか新築すればいいのに、なぜそれが放置されているのか。要するに、信じやすく騙されやすい国民と無責任な政府の国土政策の両方に問題があり、これは世界中で同じ現象です。
こんな意見に耳を傾ける人なんかいないだろうな、と思いつつ、長々と書いてしまったアホな私です。こういう人間も昔から一定の割合でいたと思し召してご勘弁。