雨・赤毛:モーム短編集I:中野好夫訳:新潮文庫1959年9月刊
この小説読み始めて、、なるほどと思って細かいとこですがメモしました😉
11ページ…長い結婚生活の経験から、彼は最後の言葉を妻に言わせておくことが、平和をもたらす最良の方法であることを体得していたのだ。(あはは🤣)
48〜49ページ1行目…胸がいっぱいで物も云えないかのように、彼女の顔は赤く、妙にうだばれて見えた。→「うだばれる」、、、顔が水ぶくれのように腫れ上がる、腫れぼったくなる、むくむ」という意味だそうだ。今時こんな言葉を使う人もいない。
雨…を読んで…小説スカーレットレター緋文字がすぐに思い出された。今調べたら…ホーソーンの緋文字出版年1850年。1874年生まれのモームがこの作品を知らないはずがない。あまりにも対照的な2人の女性…きっと、リアリスト、モームは「緋文字」がまどろっこしかったんだろうと思う、嘘っぱちはさっさと剥ぎ取るに限る、あはは。モームの小説「赤毛」はまた別の機会に。
シドニー・シェルダン、そうですね、話の筋の面白さに惹かれてどんどん読み進めるので、確かに「英語教材」としては適していると思います。英語が母国語ではない私があれこれ言うのも何だけど、文章が面倒くさくなくて英語のリズムに乗りやすくて、お勧めかもしれません。
「ゲームの達人」は仕事でイランに行ったとき持って行きましたが、途中でテヘランからイスファハンへの便が5、6時間遅れということがあって、他の人たちは薄暗く侘しい空港で時間を持て余していた中、私はこの本を夢中で読み続け、気が付けば搭乗のアナウンス。そんなわけでシドニー・シェルダンといえばつい、あのテヘランのことを思い出してしまう。読書というのは私にとって、それを読んだ環境や状況、自分の当時の心境が大きな比重を占めています。