(お能 老木の花 : 白洲正子著
講談社文芸文庫 : 1993年4月刊)続き→
白洲正子が能装束の写真を何枚もあげて…伝えたかったもの…写真では伝わらないとわかっていてどんな手を使ってでも伝えたかったものそれも広く伝えたかったものが伝わった。それがさりげない文庫本体裁のこの本に携わった人たちのお能・老木の花、の覚悟にも見える。
白洲正子は師匠にあたる梅若実のインタビューに際して世阿弥の花伝書を携えて行った、、、以下引用189ページ
「先生、この本お読みになったことありますか。これこそほんとの芸術論と言うものです」
今から思えば心ないしわざであったが、…その時実さんはこう答えられた。
「いえ、そういうけっこうな書物がある事は聞いておりましたが、未だ拝見したことはござんせん。芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。…しかし、(ちょっと考えて)もういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか」と。
私はいたく恥じいった。むろん本はそのまま持ち帰ったことはいうまでもない。
引用以上
丁寧な読み方ではないのに飛ばし読みしたその隙間からピュンピュン言葉の矢が飛んでくる、昨日はそんな読書の日だった。
今朝3時ちょっと前だかに目が覚めて…キョトンだかシュポンだかスマホが鳴ってWixのSpecesのマークに赤いポッチが付いた。フォーラム欄にコメントが寄せられた、 そのタイミングが面白くてすぐに Bさんに返事をしていたら それを知ってか知らずかCさんからいいね、が届き、ふっと気持ちがほころんだのが分かった。わずかに見える空に下弦の月が雲間から見えていた。寝転んで見ていたのだが…椅子を出して物干しの角に座ってしばらく眺めていた。まもなく雲に覆われ…腰を上げたらまたちょっとだけ月が顔を出し、またすぐ隠れた。ごちゃごちゃした下町の路地の奥で、気分だけは配所の月か、あはは。
横になってバラバラと言う音で目が覚めると、とうに夜は明けていて、外は雨。出しておいた椅子の上の座布団がびしょびしょ。こんなこともありあんなこともあったりして、あー面白かった、さて今日も一日を始めるとするかな。
いえなに、今度のコロナ騒ぎに対応するためにあいた病床を一元管理してたらい回しを防いだと言うことです。病院間のセクト主義を排したコロンブスの卵ですね。 長引かせるのは昔から利潤を上げるためですね。治ったと判断したらもう行かないと…昔病院に行ってた頃僕はそうしてました。昔バスケットボールで突き指したとき、さっさと添え木をとってしまい指が曲がってしまいました…あはは。最近では鼓膜が破れてないと言うことが確認取れたので難聴でも、正常な老化の範囲と自己判断して行っていません。黄斑変性症の左目も同様の判断でパスしてます。お勧めできる方法では無いですけど、、、。