骨董屋(上・下)C・ディケンズ: 北川悌二訳:ちくま文庫
「イモヅルシキホンノキ 023 」の続き、、、
ひょんな事から知り合った「先生」の導きによって極めて小説的な流れ(ご都合主義?)とはいえ、ネル(主人公の少女)と老人は安住の家を得る…下巻200ページ、、
おじいさんが安らかに床で眠り、すべてのものが静まりかえったときに、子供は消えかけたのこり火前に坐り、自分の過去の運命を考え、それがまるで夢のよう、いま目をさましたといういったふうに感じていた。天辺の彫刻が暗い天井にぼんやりと見える樫のパネル(カッコ内説明略)に映しだされている勢いのおとろえかけた炎のギラギラする輝き…チラチラする火の明滅で奇妙な影がゆききしている古めかしい壁…室内では、どんな耐久力のある無生物にも落ちかかってくる衰滅の厳粛な存在、外では四方八方にある死の厳粛な存在、こうしたものは恐怖やおびえではなく、深い、物思いにあふれる感情で、彼女の胸をいっぱいにした。わびしさと悲しみを味わっているときに、ある変化が人知れず彼女に起こっていた。力がおとろえ決意がたかまるとともに、清められたべつの心が彼女に湧き起こったのだった。
引用以上
次のパラグラフで、墓地のシーンの彼女の夢の続きのような…著者の独白のような次の文章が続く、この本の中で主人公のネルの純な心の描写で読者をやきもきさせる熱く語られる感動的なシーンはたくさんあるけれど僕は歳のせいかこのパラグラフが気になりました、長いけど引用します、150年前に亡くなった著者が高ぶりもなく彼の言葉で淡々と感想を述べている、どこにでもいそうな親しみある隣の人の語る言葉として、、、そんな気がした201ページ〜202ページ…
夢をもたぬ眠り手の一部は、教会の影の中でひそかに横になり…まるで心の安らぎと保護を求めてしがみついているように、壁に触れていた。ほかのものは、木のうつりゆく影の下に横たわり、またほかのものは、足音が近づくようにと、小道のそばに、さらにほかのものは、小さな子供の墓のまんなかに横たわるのを希望していた。
毎日の散歩で踏みしめていた土地の下にいこいを求めるもの、沈みゆく太陽が光を投げるところを望むもの、太陽がのぼるときその光が落ちかかるところを望むもの、さまざまだった。おそらく土に閉じ込められた魂はだれも、その生きている思いの中で、昔の仲間からすっかり縁を切ることができないのだろう。たとえそれができる魂があろうとも、それは、まだ古い仲間にたいして、捕虜が長く閉じ込められてきた独房にたいしていだくものとして知られ、別れのときにあってすら、愛情こめてそのせまい場所を立ち去りかねる気持ちになるあの愛情に似た愛情を感じているのだ。引用以上
(小説の筋とは関係なく著者の本心が垣間見えると思われる箇所に惹かれるのは…昔から疑り深い子供であったぼくのあいも変わらぬ終生の癖、子供の頃からすべてに懐疑的な僕なのに、ああ、それなのに、例えばドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に出てくる風采の上がらない少女ソーニャ(ゾシマ長老とともに行いが高潔であることと外観や状況とは無関係であるという短い描写が忘れられない)や一番下の弟アリョーシャがドストエフスキーその人の分身であり、僕のアイドルであり続けて久しい。もう卒業も近いというのに、その必要性を感じない、つまり卒業しなくてもいいや、の心境。ドストエフスキーは…僕は真実と共にあるよりはキリストと一緒にいたい、とか言ったとか、その伝で行けば…僕は真実と共にあるよりは…ドストエフスキーが作った人物たちと共にいたい、こんなことを白状させるほどの物語だったと言うことだろう、ディケンズの骨董屋。19世紀が21世紀と同期シンクロしていると思わせるほどの人物描写だと思いました、純真な主人公の平安の中の眠るような死が残された人々を小説の中の過去に遡り生き生きと浮かび上がらせている!)
長編小説を読んだ、と言えるのかどうか分かりません。基本的に飛ばし読みなので、とんでもない読み方をしているからです。右目と右耳がまだ用を足しているので本を読むときは開いた場面を「ぼーっと見て…印象を読み取っていく…」と言う読み方だと思います。人も絵も小説も風景も、多分、そうやって「読んで」きた。自分の読みたいように読むのでその他の入ってくる情報は「ノイズ:雑音」。極端な言い方をしていますがあたらずとも遠からず。 別の言い方をすれば…「息遣いを拾っていく」あ、余計分かりづらいかもしれない。 もう一点。他人行儀。本そのものはそもそも他人の考えたこと。人との間に距離を取るように本との間にも距離をとっている。それが礼儀であり、僕なりの本との付き合い方。そう人に指摘されたこともある。それはスタイルなので崩れることもある…あはは…これで何かを言ったことになるのだろうか? これでも一生懸命正直になっているつもりです、いつもとんちんかんでごめんなさい、心臓とも良いお付き合いをしてくださいね、びすこさん、ドキドキするのは心臓が…私のこともよく聞いて…と言っているのだと思います🙂
「夢をもたぬ眠り手の一部は、教会の影の中でひそかに横になり・・・」
これを読んでドキリとしました。一昨日の夜、床に就いてからちょっと心臓がドキドキしたんですが、ここ半年の間に3人ほど知り合いが心臓麻痺で亡くなったため、あ、これはまずい、と怖くなりました。
明日の朝はちゃんと目が覚めるかしら・・・などと考えて、そうだ、眠りから夢を取り去ると「死」になるんだ、ひょっとして人間は毎晩死んでいるのかもしれない、などと「縁起でもないこと」を思ったのです。
骨董屋の原作、英語版青空文庫で読めるのですが、700頁を越えていて、これを画面で読むのはちょっと。そういえば日本語訳も上・下があるのですね。