悪の華:ボードレール:堀口大学訳:新潮文庫:初版発行1953年10月刊
(青柳瑞穂の師匠筋にあたる堀口大学が訳したこの本を今調べたら2ヶ月前に取り上げてるんですね。で、今ギターに凝ってる、材木屋の若旦那…気(木)が多い。義太夫に凝っちゃって、誰も聞いてもらえないもんだから無理して人集めて強引に聞かせる落語がありましたね…まさか地で行くとは思いませんでした😜)
脹脛:ふくらはぎボードレールも摩りしか:さすりしか、、、北の窓辺で自分のふくらはぎをさすりながら、昔の文学青年が悪ぶるにはもってこいの詩集だなと、、、または、文学青年を気取って読まなくて良かったと思いました。21歳の若き身をパリ市内の猥雑と喧騒に沈めて居場所を求めていたのかなぁ、と思えば身近に感じられるボードレール。
21歳の時(1842年)の詩の書き出し196ページ、、、
八八 赭毛(あかげ)の乞食娘に
色白の赭げの娘よ
着物の穴がのぞかせる
そなたの貧しさ
美しさ、
三文詩人のこの僕に
雀斑(そばかす)だらけで病的(ひよわげ)な
若いそなたの肉体が
好(すい)たらしいね。
びろうどの靴軽やかな
昔がたりの女王より
そなたは小粋にはきこなす
重いそなたの木の靴を。
(引用以上)
詩作はこの辺から始まったのかなあと思いました。
日本の江戸時代、幕末に当たる当時のパリに潜み、こんな詩を詠んでいたとは夢のようです。
ボードレールは45 、6歳で亡くなっているんですね、三島由紀夫と同じ位か。人生はタバコと同じだ…吸い始めだけがうまい、、、なんて気取ったこと言ってる限界の年かな…なんちゃって。
今、後の解説を読んだら…この寡作の詩人は神経質な位にピリオドやコンマに至るまで詩文を彫琢し続けていたと言う、そんなとこも三島に似ていないか。
昨日ギターの練習の後、窓辺で風に吹かれながらこの詩集を読み始めた。なぜか照れくさくなっちゃって途中でお酒を飲みながら自分の青春とオーバーラップさせつつ、時々朗詠しつつページをめくった。僕の青春かぁ…しらけてちゃあ、始まらない、あんた何しらけてんのよ、はい!すいません、とプロの人に謝る僕。真面目に青春したボードレールの突っ張りはかっこいい、と思える僕は燃えるような恋に全く無縁だからと言って、この詩集を読む資格がないかといえば…そんなことはないと思いました。恋の歌かと思えば場末を思わせるパリの風景にも出くわすし。
連想ゲームのように言葉の端々からイメージを探り出し、分析を加えて最後に直感を働かせる聡明な女性(なぜ男性ではいけないのか、男性目線では面白くないから、というか常々、女性の観察力の持続性に負けた、と思えることがかつて度々あったので)になったつもりでボードレールのこの詩集を3分の1ほど読み進んだ時そんな感想、つまり女性に疎いこの僕でもこの詩集を読んでも良いと言う感想、を持ちました…つまり、その、そういう直感の働かせ方に憧れを持っている僕、女性目線に親しみを持っている僕にもボードレールについて何かを言う資格はあると思いました、女性のことを少しは知ってるぞと(経歴としてはペンキ屋の次に長い「経理」の仕事の職場環境は女性が9割方でした。放埒な女性経験はなくても(なくて正解、その分、酒は放埒そのもの、アル中寸前、飲めない酒を無理に流し込むような酒浸りでした、お前のは浴びるように飲んでいるのではなくて、、浴びている(母)、、、何を悩んでたんだか、、)女性心理については少しは理解してないと仕事になりませんでしたのでここでこんな偉そうなことを言っています、女性に気を使いすぎる傾向はこの期間にかかった一種の職業病だと思います、ということにして…21歳のボードレールと18歳の僕がちょっとすれ違っただけと言うことにもして、、どうも、舌がもつれてきたので、背伸びは禁物…この辺にしときます。
お口直しに…堀口大学によるあとがきから引きます。
483ページ:自然を静観し、自然のうちに内在する世界を想見させる相似:アナロジーを比較:コンパレーゾンを、直喩:アレゴリーを探ねること、しかもこれをするには、真実把握の手段として直感を尊び、一歩一歩自然に肉迫し、やがてはこれと合体すること、しかも自然が、匂いにより、色彩により、音響によって、同時に自己を表明するに倣い、別種の芸術の結合を計る、例えば詩に音楽をあらしめること、つまりはこの不可知の追求によって、この無窮の探求によって、物象の外観がその観念と一致し、抽象が具象と一致する領域に到達すること、これがボードレールの詩作の理念であり、またこれがサンボリストと呼ばれる一世代の若き詩人の野心となった。ー以下略ー
、、、ですって。所詮無学な僕にはボードレールに凝るのは、無理だった、、、。
そういう人たちに立ち会ってびすこさんはどんな顔をなすったんだろう。 僕も今でこそ少し暇ができたから小説なんか読んでますけど、そもそも現役中、文学など話にも出ませんもんね。それもそうですし僕自身も「何でもいいから書きつけておく」ことの面白さに目覚めたのは…つい最近のことのような気がしてきました。僕自身わかってないことはわかってないようにしか書けないしわかっていることをちゃんと書こうとするとこれまた難しい。何でも書きつける事は絵におけるクロッキーと同じで、思わぬ線が描けることがありますよね。きっとそんなつもりで僕は駄文を積み重ねているのだと思います。アル中の乱暴者…こういう出来すぎのことをぽろっと言った人物はその後もヘマを重ねて、かえって角が取れてたりしたらこれまた面白いですね😅