目利きのヒミツ:赤瀬川原平著:知恵の森文庫:光文社2002年9月刊
ものを買う前に自分で値段をつけろ…父の一言です…それよりも安ければ買う…高ければ買わない。
わからない事はプロに聞け…それが結局 1番安上がり…僕の付き合っていた不動産屋のお得意さんの一言です。
最初の例は信じるものが自分の直感だけの人の場合…次の例は経験の積み重ねの上に成り立つ直感。
前にも再三話題にしたことがありますが、下世話に…男は分析する、女は直感する…とか言われているそうな。僕はこれが気に入らなくて上司に…男は分析…女はもっと深く分析…と言って反論を試みました…上司は思い当たる節があったらしくふふふと笑いました。
67ページからの引用:超能力
超能力には人間の思考が加わっていない。思考が関わっていない。直感もまあそうだと言えばそうなんだけど、直感のほうは思考の世界に触れているというか、接しているというか、頭の世界のいわば二毛作の片側のところで生えてくるものというか、説明になっていませんね。
言い換えると直感でつかむというのも、実は頭の働きの変化形だと言えるのかもしれないと思う。
以上引用終わり。
この引用した文章に、科学者は…当たり前のことを言うんじゃない…とでも言うだろう。自分の頭脳への過信だと思う。意識すらどういうものか説明できないのにたいした自信だ。超能力を過信する人も同様だ。引用文の最初のパラグラフの限定を僕は気にいっている。僕もそういうものだろうと思っていたからだ。超能力は現象であると。稲光がしたり地震が起きたりの現象と同じだと僕も思う。現象なので出会う人もいる、出会わない人もいる。見える人もいれば見えない人もいる。それ以上でもそれ以下でもない。そう思う。
偶然のしっぽをつかむ人がいて、偶然を流す人がいるから面白いと僕は思いました。目利きに秘密があるとすればそんなところだと僕は自分を納得させました。例えばあの時偶然の尻尾をつかめなかった僕はなぜつかまなかったかずっと考えています。将来の心変わりが確実なものに、つまり不確実性が事前にわかっている!のに取り組めない。直感と言うわかりにくい概念の出番をここに用意したのかなと今ちらっと思いました。きっと皆さんも同じようなことじゃないかなと勝手に連帯を感じています。
巻末のほうに白洲正子との対談が載っていました。2人の対談そのものはあまりよく解りませんでしたが(直感と感受性の違いがどう違うのかが分かりませんでした。なんか直感の方が偉そうな響きはありますね、詩人の茨木のり子は感受性を鈍らせるなと、詠った、直感なんて偉そうなものより僕にはわかりやすいような気がしました、感受性を鈍らせないために僕は布団の上で柔軟体操を始めました)が、対談で取り上げられていた白洲正子が書いた「老木の花」という本が面白そうなのでアマゾンに発注しました。
※あ、今気が付きました→下のパラグラフは生硬なので、消そうと思って消し忘れたものです…まぁいいや、このままにしとこ、びすこさんのコメントに返事書いて、気がついた🤪
※追記:僕のへなちょこ頭の直感はこんな言い方はごまかしだと思っている。今の科学は見えるものばかりを追っている。しまいには何もかもわかってしまえると思う、その心がどうかしてると僕には思えます。誰も世界をちゃんと説明しようとすらしていない。仲良くできない理由を説明していない。
いやがおうでも決定せざるを得ない瞬間がある…はーい私も同意します!その時期がいつかわからないから僕みたいに気が小さいものは、あ!あれ食べときゃよかったなぁとか、あれやっとけばよかったなぁとかないように努力しています、その時がわからないからこそ僕なんかはかえって安心しています😌つまり凡人でよかったなぁと…あはは😅
よく言われることですが(かのデカルトも言っているらしい、友人談)、直感は決して非論理的でも不合理でもなく、ただ論理の回路が余りにも速いので、そのプロセスが見えないだけ。速く走るのは、先験・経験があるから。この先験というのが曲者で、このところ考え込んでいるのですが。
人を見る目や判断は女の方が優れている場合もありますね。これ、男に頼らないと生きていけなかった女に自然が与えた能力ではないでしょうか。下手な男にかかわっていると一生がつぶれる。それが自力で生きられるようになると、女にも分析力やら論理的思考やらが備わって、男並みにスローになりそう。
ある女性作家が言っていましたが、人間には何か大きな力に押されていやがおうでも決定せざるをえない、そういう瞬間や時期が人生に一度か二度はある。ワタクシこれには同意します。