芋づる式にズルズルとちょっと興味を引いた本を手繰って行くと不思議なことに意識の底に沈んでいたモノと結びつく。まぁこれはちょっと格好つけた言い方ですけど、思いが現実化を促す例は誰でも経験してることではないでしょうか。青柳恵介の「骨董屋という仕事」の本に触れることで面白いことを2つ発見しました。本の趣旨からは外れたちょっとした話なのですが…京都の人は9割がたどうでもいいような話をする…と言う箇所と、本の裏表紙近くによくある既刊本の紹介の中に…こんな本ないかなぁと思っていた本を見つけたのです。浮世絵に関する本で早速アマゾンに中古本を発注しました:或る美術コレクターの生活:浦上敏朗著、と言う浮世絵に関する本です。作り話:小説にしてももっともらしさを出すためにこの世界のことをちょっと知っておきたかったのです。話が横道にそれますが…僕の家に昔から、祭りの賑わいを描いた浮世絵が2枚ありました。1枚はちょっと付き合っていた女性にあげました。同じ図柄のものはどっかへ行っちゃいました。その後、専門家に鑑定してもらったらしく…年代物の本物の浮世絵と分かった、とちょっと息を弾ませて報告してきました。外国人の間ではいまだに浮世絵がもてはやされていることをその時確認してありました。そんなこともあり小説の事の運び上、浮世絵売買で一身上:ひとしんしょう:一財産を築く話をでっち上げなければなりませんので(笑)図星の本が得られてよかったです:芋づる式の効用。
あ、もう一つの話。京都の人の話はほんの1割だけがもっともな話と言う話。僕はこの1行を読んだとき、思い当たることがありました。雑談の正体(こういうタイトルの本もある:凡人社: 清水崇文著2017年11月刊)とも言うべき事柄だと思いました。雑談のリズムを楽しみながら言語化されていない?表面に出てこない意識のもやもやが浮上してくるのを待つ。ぼーっとしているんじゃないと言う言葉の本当の意味はぼーっとしろ、あはは。ふざけてないです…僕は今の世の中でこれが1番欠けているような気がしています。
言い得て妙!最近ではその時代にもてはやされていた日本画家の下絵が等伯だった、なんてのもその類いでしょうか。うーん、猿の毛づくろい、軽んずべからず、肝に銘じました❣️…ありがとうございました😊