骨董屋(上・下)C・ディケンズ:
北川悌二訳:ちくま文庫
雑用が済んだので散歩に行った後(今は4時にはもう明るい)朝食前に図書館から取り寄せた本を読みだした。読みだしてすぐに、この本の虜:とりこだ。人物描写が際立っている。昔高校の担任が…英文の技術書だろうとなんだろうととにかく苦労して100ページまで読めと言われた。100ページまでに大事な単語が出てくると言うことらしい。その心は… 100ページまで読めば後は何とかなる。これは日本語版ですがとにかく100ページまで頑張ることに変わりはない?!
ところどころ出てくる挿絵は原書のもの、とある。これも良い。カバーに出ていたディケンズの面構えも気にいった。手元に置いておきたいので中古本をアマゾンに発注した(ついでにアコースティックギター1番安い6999円も発注した。ちなみに今使っているトランペットはいつ買ったか忘れる位昔の練習用の中古で6000円!僕には安物がよく似合う、ぷっ)
さてと今日は例のコロナワクチンの第1回目を堀切のこどもクリニックと言うところでやる。インフルエンザのワクチンも母の付き合いで打ったきりだったので久しぶり。
区役所から送られてくる無料検診全てその場で無視。今回その気になったのは…人に移したくない気持ちが半分ある。ぶらぶら散歩がてらこの本を携えて待ち時間に読んでいよう。
びすこさんから、この本の結末のヒントをもらったので、今日はこの物語の展開を自分なりに考えてみよう。読書にこんなサスペンス小説みたいな楽しみかたがあるとは思ってもみなかった。もともとこの本はサスペンス小説なのか?!背景がわからなければわからないほど面白い…ハハハ。
埋まらない食い違いをなんとかしちゃう。夢の中でしかとげられないのだけれど「現実」は何も変わっていない。現実を現実感で対応させることはできるだろう。時代はそう動いていくだろうと思います…とどまることを知らない欲求。 もう一つ。埋まらない食い違いをそのまま受け入れる。僕もこちらの方が好きですね。人間の直感が先行し、食い違いがあるにもかかわらず事態が進行し、のっぴきならないところに至ったところで食い違いが明らかになる。小説の筋としては山場を最後に持ってゆき、解決を当事者及び観察者に託す…欧米思考、というかフランス的? もういっこ。江戸時代、埋まらない世間との食い違いを心中と言う形で恋人同士の思いを遂げてみせる捨て身の日本的解決。何しろ相手は世間なのでスケールが大きい。小説としてはこれも捨てがたい。 びすこさんのコメントは多分…別バージョンを描いて見せろという一種の脅しですね、ハハハ、ふー😞でもインスピレーションをありがとうございました。