ベンヤミン/アドルノ往復書簡
ヘンリー・ローニツ編:野村修訳:晶文社1996年7月刊
ヴォルター・ベンヤミンとテーオドーア・W・アドルノと言う2人の思想家の1928年から1940年まで手紙のやりとりをまとめた本だ。ベンヤミンの本で「パサージュ論」と言う本の草稿をまとめたようなパリ市内のアーケードに関する著作があるそうだが、僕はまぁ言ってみれば… 2人の偉大な思想家の手紙のやり取りのアーケードの中を素通りしたようなものだ。もちろんに何も読み取ってはいないけれど視界の中に入ってきた本がある→
往復書簡の中のベンヤミンからアドルノへの1936年12月2日の手紙で…ディケンズの「骨董屋」に言及するくだりがあり…立石図書館にリクエストした→
177ページ…ぼくは、きみには想像がつくだろうが、あまり仕事ができずにいた。その代わり、ディケンズの厖大な本(※小説「大いなる遺産」だと思われる…と注釈にありました)を読んだ。ドイツにいた頃に君の名文に誘われて読んだ「骨董屋」以来の、久々のディケンズの本…以下略
往復書簡のほうは2人の親密なやりとりが切ない位に伝わってくる。中身についてはあの時代のヨーロッパの重苦しい雰囲気の中で思想家同士のお互いの著作をめぐる意見交換、さらには金銭面にわたる公私を問わない付き合いに時代を躱す(かわす)ようにしてしのいでいる緊迫感が伝わってくる。
2人の間の書簡集なのだが…すべての手紙文に結構なボリュームの注釈が付けられている。
この本の最後のページのベンヤミンからアドルノに宛てた最後の手紙#121の文頭の「出口のない状況」357ページの注釈→
ベンヤミンは1940年8月15日のやや後にマルセイユに到達し、ここでホルクハイマーの尽力による身元保証書とUSAへの入国ビザとを入手した。しかし、フランスからの出国ビザを得られないままに、彼は非合法にピレネー山脈を徒歩で越えることを決意し、すでに夫がアメリカに亡命していたグルラント夫人とその息子ヨーゼフとともに、9月26日、スペイン側の国境のポル・ボウに辿り着くが、フランスからの出国ビザがないことを理由としてフランスへの送還を宣告され、その夜、大量のモルヒネを嚥んで絶命した。(これも最近では暗殺説もあるそうだ)
僕はこれを読んで全文を読む気になりました、それが義務のような気がして…。で1日かけてためつすがめつ読み込みましたが…注釈と著作そのものにも当たりつつ読み進めるべき本だという事がわかったので、構えて読まなければならず…今回はパラパラめくっておしまいにしました。
と言うわけで、多分、次回はディケンズの「骨董屋」を取り上げます(表題の本についてコメントがなくてすいません。コメントしようにも内容が把握できていませんのでご勘弁、芋づる式につながった小説「骨董屋」を取り上げる関係上仲介役になったこの本を取り上げました)
びすこさん、何でも通じてますね、いつも驚いてます。骨董屋…ハッピーエンドじゃないのかー。今ボードレール読んでて…お酒が少し入ったほうがいいかなと思ってブランデーなめなめ読んでます…骨董屋はそういうことなら…体調整えながら読むことにします!いつもコメントありがとうございます♪