昨日も北の窓を開け南の掃き出し口を開けて風通しを良くして、時々居眠りしながら田辺聖子の小説枕草子本を読んでいた。途中風に吹かれて居眠りしつつもパタンと読み終わり…清少納言に仮託した田辺聖子の人となりが少しわかったような気がした。則光と棟世と言う浅からぬ縁で結ばれた2人の男性と大奥(後宮)の生態を通して男社会を垣間見み、皇室のありよう、都の生活などなどが巧みな語り口で、リアリティーを醸し出す、つまりは田辺聖子の世界だ。
うねうねと、生活していこう、確か棟世が清少納言にかけた言葉だと思う。歌は韜晦(ぼかし)、と苦手意識を隠さない著者が…「うねうねと…」と、としか言わざるを得ない、というか、棟世に仮託して、言わしめた処世観、、、ちょっとお聖さん(ここびすこさんのまね)ファンになったかな、あはは。男の生態、女の居場所を手ごろな1冊に纏め上げたお聖さん尊敬するしかないでしょ。
(さて、小雨の中図書館へ運動がてら本を返しに行こう。大きな傘さして長靴履いてぶらぶらと。
永井路子、どんな人なんだろう…女性って面白いなぁ。ちょっと間開けますね)
昨日シャンソン広場で久々に「ケサラ」を歌いましたが、その歌詞に恋は何時かは消える物、友情も何時か傾いてしまうことも。なんてセリフがありました。
「この世は暗闇で階段を上るようなもの」なんて。
なんでも永遠という事は無いのですね~。別れた恋人とやけぼっくいに火が付いたり。
夫婦の場合は何十年も一緒に暮らすのだから、多少好みでないところがあっても最低条件として自由を与えてくれることが必須条件になりますね。
則光もそういう意味では、イライラさせられたけどフェアなところがありましたね。