< むかし・あけぼの > 小説枕草子:田辺聖子著:角川書店1983年6月刊
西暦995年…流行病(天然痘)が都にはびこり、関白は病に倒れ…次期候補も名ばかりの引き継ぎのわずか一週間後に亡くなる。清少納言は大奥(後宮)で年若の天皇のお妃、定子中宮と懇意になって早久しい。その後、世間を揺るがせた宮中の人事で、右大臣は道長と決まる。
若き天皇のお妃も少し前に亡くなった父の供養を通して悲しみのうちにも気を整えて以前のように天皇と清少納言も控える近しく小さなコンサートなどを開いているその場面、、、からのもの想い、、、301ページ
、、、、中宮は私が、
(私は風が好きでございます)
などと言うと、
(そう、ほんとにわたくしも。…風は、いつの風が好き?)
と仰せられるに違いない。
(嵐…嵐を聞いている夜は好きでございます。その他に、三月ごろの夕暮、ゆるやかに吹いてくる雨を伴った風が面白うございます。八、九月のころ、雨にまじって吹く風も…)
引用終わり
この後季節ごとの衣替え夏の暑苦しさ、と思う間もなく涼しくなる季節の移り変わりなどが中宮とのあいだで話題になるであろうことを想い描く。時の流れの中に聞く外の物音、または人々のざわめきなど短い数パラグラフは薄くベールのかかった水彩画のようにみずみずしい。人の美しさ、自然の美しさを定子中宮のために「春はあけぼの草子」に書きついでいくイメージ。このくだりを読んでいて、今、お昼ちょっと過ぎ風が気持ちよくぼくの前を通り過ぎ物干しに抜けてゆく。低い椅子から見上げる三角の空は雲もなく快晴です。風は、千年前と変わらずさらっとしていて汗ばむこともない。こんな気持ちの良い読書は生まれて初めてです。
よかった、、、この一瞬と田辺聖子に出会えて。
(前に田辺聖子の源氏物語訳を読んだ時は斜め読みしちゃって横顔チラッと見たような感じだけだったんですが今度は真面目に読んですっかり尊敬してしまいました)
憎らしい/可愛らしいもの→車にナビが付いているのに自分では使えなくて、こんなくだらないものなくても地理は頭の中に入っている、と言い張っていたのが、道に迷い続けた挙句、その妻(ナビの操作は分かる)に「ナビを使ってもいいよ」などと言い腐る夫。
ろれちゃんの言う、クリームの使い方、日本から持ってきた品は質がいいのですが、こちらでは買えないから大事に使わないといけない。次の帰国までどうやって持たせようか、一日どれくらいにしようか、と悩むことがよくあります。
あと、化粧水・乳液の場合に、瓶が透明でないとどれだけ減ったか・残っているかが分からないから、加減ができない。これは腹立たしい。
うふ、こういうのって男の人には理解しづらいでしょうね。
捨てられないものと言えば・・・この四月に作った句です。
・今は亡き友のメールを消せぬ春
いやぁー恐れ入りました!冴えないお題なのに、、。当意即妙❣️ ひらひらと5月の風に揺られつつ軽やかに舞う揚羽蝶のような、乙女こゝろが、ここかしこにこぼれ落ちたようですよ、妖艶なクロアゲハさん、、、じゃなくて…萌えて蝶々🦋、、うーん🤔 KBC小町!
ま、例えばですけど… ※枕草子の趣向…のパクリ、つまり 「うっとうしいもの」→ 目の上のたんこぶ 「なかなか捨てられないもの」→ 古くなった辞書 「可愛らしいもの」→ 本当は甘いものが好きなのに…酒飲みのふりして甘いものは食べない主義 「思い出したようにしゃきっとするもの」→ 普段はよれよれしているのに美人が通ると背筋を伸ばす老人の気概 「意外と使い方が難しいもの」→ お金と敬語と教養 ※もう1つはろれさんがヒントをくださった…「形容語をいっぱいつけて1つの大きな名詞を作る」 もう引っ込むか、もう引っ込むかと思わせておいて長引いたコロナ禍みたいな安倍政権 気になる人、を表現する名詞 ならいっぱい出てきそうですね… 友達にはなりたくないけど知り合いでいてもいいかなと思う人 連れ立って歩くにはいいけど一緒に暮らしたくはない人
中宮との会話で、いろんな気分を現すものを集める遊びがありましたが、あれ楽しいですね。鬱陶しいものは?と中宮が聞けば、清少納言や他の女性たちがその現すものを言って、「あ、そうねそうね」と面白がる。。
この遊び、KBCでもやってみたいな~と思いました。
まあ、変なお題だと、口に出すのははばかられることもあるので、清少納言が最後に決心したように楽しい事だけを書き残そうと素敵な言葉の印象のみの上記のような風の様子とか、形容詞を一杯付けた説明も楽しい事ですね。
いちまるさん、お題をください。
レゲエのお兄さんたちの頭は髪油で手入れですよね、あと、一日おしゃべりしているような女性たちですから洗って乾かす暇はたっぷり、それと、櫛に梳き毛絡ませて埃取ったりしてたと思います。僕の母はそうしてましたよ。 そうか!衣服が布団代わり…僕は真冬でも薄い毛布の間に夏ぶとんを挟んで、ダウンジャケット状態をつくります、空気層ができるので結構あったかいです。 歌は、、、衣も、まどろみの夢の枕も、わが身さえも、風が運んできた花の香りの中にいる、、、ちょっと、こっぱずかしくなるくらいオーバー表現した心象風景、、かな?ググってみた現代語訳を言いくるめてみました、あはは^_^
妙に現実的な私がいつも思うのは、平安時代でもそのあとでも家を夏向きにしたのはいいけれど、着るものはどうだったのかということです。洗濯はできないから汚れたら全部ほどいて縫い直すほかない。私が子供の頃にあった「洗い張り」はこの時代にも行われていたのかしら。その前に、風呂には入ったの?
冬の布団はどうしてた?一説によると、十二単とか、とにかくいっぱい身にまとっていたから、それが布団代わりだったといいますが、そういえば袖がよく登場するのは、その袖を隣で寝ている人にもかけてあげていたということでしょうか。
風・袖といえば、
風通う寝覚めの袖の花の香に かをる枕の春の世の夢
という歌、きれいで雰囲気もいいけど、私これの意味がよく分からないんですよ。花の香が香るのは袖じゃないの?枕なの?風で袖が香るのは、袖に花が入っていたから?その匂いが枕に移った?どなたか教えて。
あれこれ訊いてはいけないのかな。本居宣長に「深く疑うべきにあらず」と言われそう。