東南アジア文学への招待:宇戸清治/川口健一編:(株)段々社発行/(株)星雲社発売2001年11月第1刷
図書館の廃棄本です。20年前の東南アジアの文学状況を知るための貴重な本です。言語のるつぼ…東南アジアにおける文学行為?は政治の現実と真っ向から対峙せざるをえない(若者向けのライトノベルは別として)。読まれるためには母語を断念しその国で最も流通している言語を使わざるを得なかったり、または不利と知りつつ母語で語らなければならない文学もある。
本のカバーの袖に書かれたコメントを見るだけでもその一端を知られる、袖の一言コメントをそのまま引用いたします
「小説とは、運命がどのように人々を扱うか、人々はいかにして運命に対処するかを描かなければならない」ベトナムの文芸評論家 ファム・クイーン(1892〜1945)
「人間が飢餓のために死んでいっているとき、月の美しさはなんの役にも立たない。芸術家の債務は悲惨な光景を直視することである」タイの作家 シーブーラパー(1905〜74)
「芸術のための芸術より、社会のための芸術を」マレーシアのサッカーグループ・50年世代(ASAS50)
「作家は傍観者であってはならず、民族解放に貢献する作品を書くべきだ」ビルマ(ミャンマー)の作家 ティンペーミン(1914〜78)
「文学の問題は人間の問題である」インドネシアの作家 プラムディア・アナンタ・トゥール(1925〜)
「〃シンガポール万歳タイプの詩〃ではなく……」シンガポールの詩人 アーサー・ヤップ(1943〜)
「文学の創作においては、文章の価値と深みを追求しなければならない」ベトナムの作家 バオ・ニン(1952〜)
「小説は面白くなければならない」タイの作家 ウィン・リョウワーリン(1956〜)
「ジャーナリズムが沈黙させられるとき、文学は語らねばならない」インドネシアの作家 セノ・グミラ・アジダルマ(1958〜)
各国の複雑な歴史的背景はさておいて、タイの小説家、ウィン・リョウワーリン(1956〜)の短編のさわりを引用します(※今日はもう遅いので寝ます…明日もう少しポエムなど引用したいと思います)
放火犯 : (宇戸清治訳)
44〜 54ページ
…中略…
「おれはもうこの欲望だらけの世の中がすっかりいやになったよ。バンコクへやってきて15年になるが、その間にこの町には、売春宿やソープランド、セックス斡旋のカクテル・ラウンジやバーばかりが雨後のタケノコのように生い茂って、田舎中から騙されて連れてこられた女たちで溢れかえっているじゃないか」
わたしはタバコをふかしながら彼の言うことを黙って聞いていた。チュンポンはわたしの1番の親友で、その次が警察少佐のアサウィンだ。わたしたち3人は、同じ村で子供時代をすごし、楽しいこともつらいこともずっと分け合って生きてきたので、おたがいの気持ちがよくわかっている間柄である。中でもチュンポンの歩んだ人生は、わたしやアサウィンのそれよりはるかに同情に値するだろう。彼は子供のころからずっと不幸な目にばかりあって生きてきた。父親が亡くなったのは彼がまだ幼いころだし、その後、母親が男をつくって姿をくらましたので、彼と妹は祖母のもとに置き去りにされてしまった。たった1人の年老いた祖母が幼い子供2人の面倒をみたのだ。ときには米櫃(こめびつ)に1粒の米さえ残っていない日もあった。その生活の苦しい様子はいまでもはっきり覚えている。彼の家とは隣同士だったし、小さいころから一つ屋根の下で暮らしてきたようなものだったからだ。
15歳になると、わたしたちは誘い合うようにしてバンコクへやってきた。わたしは上級の学校へ進学するためで、チュンポンの方は仕事に就くためだった。やがて時が過ぎ、彼と彼の家族の生活は徐々に良くなっていっているようにみえた。仕事はきつかったようだが、それでも人生には希望に満ちた灯りがともっていた。しかし、5年前、彼のただ1人の妹が悪い人間にひっかかって、1年ばかりバンコクで春をひさぐ商売をやらされたことで、彼の夢はもろくも崩れ去ってしまった。彼が妹を探し出し、やっとの思いで地獄から救い出したときには、彼女の人生はすでに取り返しがつかないほどめちゃめちゃになっていた。
…中略…
「バンコクがどれほど腐りきっているか知らない奴なんていないのに、おれたちがそれでも我慢しているっていうのはふざけた話しさ。おれはもうこの先どれくらい辛抱できるかわからんよ。歴代の大臣連中はみんな口では今度こそ売春を一掃するというが、何のことはない、連中が真っ先に女を漁りに行くんだからな」
チュンポンの声だけが酒の席でぐるぐると渦を巻いていた。
…中略…
「法律なんかあって無きがごとしさ。問題の解決には何の役にも立ちやしない」
彼はさらに胸中の思いをぶちまけた。
「こうなったら誰でもいい、何らかの手を打つしかない。手ぬるいやり方が通用しないのなら強硬手段に訴えるしかないんだ」
「それで、どうしようというんだ?」
アサウィンがとぼけたふりをして訊いた。
チュンポンは一瞬黙り込むと、アサウィンをじっと見つめた。わたしはチュンポンが酔った勢いで話しているのかどうか見極めがつかなかった。
「焼き払っちまうのさ。連れ込みホテルも売春宿も。セックスバーやメンバーズクラブや高級クラブも何もかも。連中がどう出るか見てやろうじゃないか。それでも懲りずに同じのを建てたら、また火をつける。悪をほろぼすには、毒を持って毒を制すでいくしかないんだ」
アサウィンはにが笑いしながら言った。
「おいおい!だったら今この場でおまえを逮捕して刑務所にぶち込むしかないぞ。まあ、落ちつけよ。なにをやるにも最善の方法ってものがあるだろう。暴力的なやり方はよくないぜ」
「そうだよ」とわたしがそれに続いた。
「この種の問題の解決にはまず冷静になることだ。力で対抗したら問題をますますこじらせるだけだと思うよ」
だが、その時のことばが自分自身を欺いたものだったのか、それとも本音だったのか、わたしは確信をもって言うことができない。なぜなら、心底ではわたしだってほとんど彼と同じことを考えていたのだから。
…中略…
「新聞を読んだか?」
わたしがほとんど新聞を読まない人間であることを承知のうえで、彼はそう訊いた。
わたしは「何だよ」と怪訝な表情を彼に返してから、新聞を手にとった。最初の2紙は3週間前に発行されたもので、残りが今日の版だった。しかし、そんなことよりわたしの目を強く引きつけたのは、どの新聞紙上にも派手に躍っているの似かよった見出しにだった。
「連れ込みホテルで放火。2,000万バーツが灰に」
「深夜の火災で売春宿焼失」
新聞をめくってあらましを読んでから、わたしは顔を上げてアサウィンを見た。わたしたちは一瞬、互いに視線を交わした。
「おまえチュンポンの仕業だと思っているのか?」とわたしは彼の考えを探るように尋ねた。彼がうなずいたので、わたしは微笑みながら言った。
「どうして?たかだか3軒ばかり売春宿が燃えただけじゃないか。間隔だって3週間も空いている。どうして奴だと特定できるんだ?いまどき、自分で自宅に火をつけて保険金をかすめ取るくらい日常茶飯事だろう」
「奴はいつも暴力で問題を解決しようとする性格なのはおまえだってよく知っているはずだ。それにあの夜の話は酔っ払った上での戯れ言なんかじゃない」
「よせよ。証拠があるのか?ぼくはチュンポンのことはよく知っている。実の妹が騙されて売春婦にさせられたあとで、奴が暴力に訴える本人間になったのは確かだが、こんな愚かなことをするほどの馬鹿じゃない。彼を信じろよ」
「おれだって奴だとは思いたくない。しかし、すべての証拠が奴が犯人だと疑わせるに十分なんだ。まあこの先を見ててくれ。
1週間後、アサウィンはわたしに電話をかけてきて、今朝の新聞を読むように言った。そこにはまた「連れ込みホテルで再び放火」という見出しが躍っていた。こうなるとさすがのわたしもいったい何がどうなっているのか、状況を正しく飲み込むことができなくなった。
放火はその後も続いた。1週間に1度のこともあれば2、3週間で1度のこともあった。放火犯の目標はきまって売春バーやソープランドなどのセックス関連施設であった。わずか3ヶ月の間に、放火された歓楽施設の数は11カ所にものぼった。全焼した施設もあれば、消火が間に合って半焼で消しとめられた建物もあった。奇跡的とも思えたのは、これだけ多くの場所に火がつけられながら、焼死した者がたった1名だけだったことである。被害者はヒモ稼業の男で、炎から逃げそこなって焼死したのだった。新聞はこの放火事件を派手に書きたてた。警察は犯人を単独犯、または同一グループによる仕業のとの見かたで捜査を続けているものの、いぜんとして犯人にたどり着くことができないでいるようだった。
…中略…現場で働く女たちの間でも事件のとらえ方には差があった。騙されて売春婦に身をやつしていた女たちの1部は、思いがけない自由を得て、実家へ逃げ帰ることができた。逆に、生活の手段を奪われたことをののしる女たちもいた。
警察少佐のアサウィンが、またわたしのところへやってきた。今度は前回よりずっと険しい顔つきだった。
「今朝、チュンポンが直接、おれのところに自首してきた。10件以上の売春施設に放火したのはぜんぶ自分の仕業だと白状したよ」
「なんだって?」
わたしはすっかり気が動転してしまい、話がうまく飲み込めなかった。
「いま警察で取り調べの最中だ。明日の朝刊の一面を飾るのはまちがいない」
「どうしたらいいんだ? 奴が犯人なんてぼくには絶対信じられない」
「おれだって同じさ。もっとでかい事件で、ただただ有名になりたい一心で自分がやりましたと自首してくる馬鹿はたくさんいるからな。おれは何人もそういう連中を見てきた。とにかくおまえは静かにしていろ。この件はおれがうまくやるから」
(※これは警察官のアサウィンがわざと幼なじみの「わたし」に流した嘘の情報です。2人の共通の幼なじみチュンポンは自首していない。後日「わたし」は放火の現場をアサウィンに見つけられてしまう、、この注釈はぼく)
53ページ(※放火の現場で、、アサウィンに問いただされる「わたし」)…中略…
「お前がやったのか?」
「ああ」とわたしは答えた。
「ずっとぼくをつけていたのか?」
「まあな」
「これでチュンポンが無実だってことがわかったろう」
私は小声で言った。
「おれには最初からチュンポンの無実はわかっていたよ」
アサウィンの瞳がキラッと光った。
「おまえには警察がチュンポンを拘束するに足る証拠を握っているかのようなニセ情報をわざと流したのさ。最初からおまえが怪しいと睨んでいたからな。おまえとチュンポンがどんなに親しいかはよく知っている。奴が刑務所にぶち込まれるのを黙って見ているはずがないこともな。おまえが真犯人だとすればだ、こういう状況になったとき、おまえがやることはただ1つしかない。大急ぎでどこかに火をつけて、真犯人はまだ捕まっていないということを警察に教えてやることだ。そうすればチュンポンは無罪放免だからな」
「ぼくを捕まえるために罠をしかけたというわけか」
「なに、おれはただおまえの仕業かどうかを知りたかっただけさ」
「もうぼくが 放火犯だとわかったんだろ。さあ逮捕しろよ」
彼は黙ったまま、わたしの顔をじっと見た。
「逮捕はできないんだな、これが」……やむにやまれぬ友情をわかってくれたか?
「どうして?」
アサウィンはそれには答えず、クルッと向きを変えると自分の車に戻り、ドアを開けて運転席に乗り込んだ。
「なぜだ?」
わたしはふたたび訊いた。
彼はエンジンを始動させると、わたしの方を見た。その時はじめて彼が微笑んでいるのがわかった。
「お前何回火をつけたんだ?」
「5回」
「俺は7回だよ」
彼は低い声でそう言うと、あっという間に走り去った。
(「黒い手帳と紅葉」1995)
(※東南アジアの小説家の作品を目にすることはなかなかありません。今回概略ですが東南アジア各国の文学事情の歴史を通読できてよかったです、本はしばらく保管しておきますのでお読みになりたい方はお申し付け下さい)
今ですね…KBCのLINEトークにこのフォーラムを見てくれるようメッセージを流しました…というのは僕の本の読後感想に関するびすこさんのコメントがとても興味深いから、そちらの方を見ていただきたくてあざとく誘導しました、、、これを人のふんどしで相撲取るといいます、あはは🤣