歴史を学ぶということ:入江昭:講談社現代新書1811: 2005年10月第1刷発行
1934年生まれの米国外交史・国際関係史専攻でシカゴ大学、ハーヴァード大学で教鞭をとる、、と本の裏表紙の袖に書いてありました。
図書館の廃棄本です。語り口は…本のタイトルに似て、静かで慎重です。生臭い実業界から距離を置いた象牙の塔の人です、嫌味じゃありません。公開されていく生の1時情報である外交文献などを調べ上げ調査し熟考を重ねる歴史家(私見)
生い立ちその他の経歴に関するところは省略し…
本の後半部から引用して行きます
136ページに…文化とは何か…と項が立ててありました
文化とは何か(※は便宜上、僕がつけました)
私の考えでは、文化なるものは次の3つの角度からとらえることが可能である。※ ①ひとつは、為政者の政策の基礎をなしている考え方で、具体的には国益や国防などの観念を指す。現実主義的な見方に立てば、いかなる国であろうと、主権独立国家である以上、国家の利害というものを持っており、それは地政学的な要素、たとえば国の置かれた地理・地勢とか、隣国との境界線とか、資源とか、他国との相対的な力などを重要視する点では、似たり寄ったりの認識を持っている。すなわち、地政学的にとらえた国際関係においては主権国家の行動様式には相似性があるということで、その点では国と国とのあいだに質的な相違はない。ビリヤードの球のように、どの球をとってみても本質的に変わりはない。
そのようなパワー中心的な解釈に対し、文化の重要性を主張するのは、各国それぞれの歴史や伝統、さらには思考様式などを強調することである。かりにすべての国が、主権や国益といった概念にもとづいて外交を展開させていくにしても、そのような概念は国によって異なることがあるし、国家という概念にかんしてすら、唯一普遍の原理がすべての国に共通して存在しているわけではない。したがって、対外政策を作り上げる為政者の抱く国益というものも、自国の歴史をどう解釈するかによって左右され、つまるところ文化的な現象なのだ、ということになるのではないか。
※ ②第2に、国と国とのあいだには、外交・軍事関係のほかに、経済や文化の関係がある…略、、、
139 〜141ページ
…前略…歴史上の出来事が、すべて国際間の地政学的な関係に収斂されなければならない、などというこてはない。むしろ、対立とか戦争とかの現象とは別の次元で、国境を越えたつながりが保たれていったことに注目すべきである。国と国との間のパワー・レベルのからむあいが作り出す国際秩序とは別に、市民同士のつながりが織りなす国際社会もありうるからである。
この点が、国際社会における文化の※ ③第3面である。すなわち、世界各地の人々の国境を越えた交流が、いろいろなネットワークを形成し、そのネットワークが重なり合って、大きな輪になる可能性がある。そのような輪やネットワークは、国際社会市民社会(インターナショナル・シヴィル・ソサエティ)と呼ばれることもあるが、国家レベルでのつながりとは別個の存在である。各々の中に国家権力(ステート)と市民(ネーション)あるいは社会(ソサエティ)があるように、世界全体においても、国家同士が作りあげている秩序(いわゆるインターナショナル・システム)と個人と市民のつながりあいによっててきあがっていく国際社会(インターナショナル・コミュニティー)が存在している。後者は、帰するところ文化的な現象である。国家の枠組みを離れ、国境を越えて、人間同士が直接間接に交流を重ねながら築いているものだからである。
国際社会を形成するものは国家ではなく個人であり、あるいは国家以外の集団(いわゆるノン・ステート・アクターズ)である。従来の国際関係研究においては、そのような国際社会の存在はほとんど認識されておらず、無視ないし軽視されてきた。しかしながら、国家だけに焦点を当てて歴史を研究するのは、世界各地の人々、すなわち人間社会そのものの営みを軽視するものである。少なくとも、国境を越えて人々をつないでいる音楽や映画、あるいは食べ物やハクションなどの文化が、ある種の「世界」を作り出している事は疑いない。
148〜 151ページ
世界は国家の集合体か、、
前略…グローバル・コミュニティ、すなわち全世界的な共同社会は、現実にはまだ形成されていない。しかしその実現に向けて、実に多くの非政府団体が活躍してきた。
NGOそのものは、最初は各国で発達したものであり、たとえばトクヴィルが「アメリカの民主政治」で触れているように、米国民主主義の基礎をなしていた。非政府団体とは、要するに国家権力の1部ではない民間組織のことであるが、その中でもとくに営利を追求せず、自らの武力も持たずに、ある目標(人道的救済・学術交流など)のために作られたものである。その数は各国において20世紀に入ると飛躍的に増大する。
中でも私が関心を持ったのは、国際NGO (INGO)である。同じ関心を持つ人びとが国境を越えて作りあげたNGOには、たとえば19世紀前半の奴隷解放運動などがあるが、それ以降、平和、人道的救済、学術交流などの目的で、実に多数のINGOが組織された。とくに第二次大戦以後になると、従来の目標に加えて、新たに発展途上国への援助、人権擁護、自然環境保護などのために、数々の国際組織が生まれていく。…中略…あるいは冷戦と並んで植民地解放、新興国家の誕生といった出来事が強調されることもある。それはもちろん重要なことではあったが、たとえば全世界における独立国家の数が戦後4倍(50内外が200近くに)増えたのに対し、INGOの数は約500から世紀の終わり2世紀の終わりには約60倍の3万を超えるほどになっていた。このことは特筆されるべきだと思う。それはとりもなおさず、主権国家の動向によって左右される時代から、ノン・ステート・アクターズが重要な働きをする時代へと移行したことを示しているのではなかろうか。以下略、引用以上。
167〜 169ページ 第3部〜 過去と現在とのつながり〜2 歴史認識問題の根底にあるもの…過去に対して忠実になる…
167ページ…前略…日本と中国、あるいは日本と韓国とのあいだに、共通の歴史認識が存在しないということが、相互のスムーズな関係を困難にしているのはなぜだろうか。日中間や日韓のあいだで問題になっている歴史とは、数十年も前のことである。いわば過去の話である。その過去自体は同じであるにもかかわらず、それに対する認識の相違が、今日ほど問題になったときはなかったのはどうしてだろうか。そもそも歴史体験の異なる国家間で、共通の歴史認識を持つことなどは可能なのだろうか。
最初に歴史認識とは何を指しているかという点について考えてみたい。
過去の出来事の記録という意味での歴史は、あとになって変えることはできない。そういった意味での歴史認識とは、要するに過去に起こったことを調べ、記録し、それを記憶の中にとどめておくことにほかならない。現代において日本と中国や韓国など隣国との関係が、ひんぱんにギクシャクしたものになるのは、同じ過去、とくに日本の朝鮮支配や中国侵略などの事実にかんして、それを否定ないし変更しようとする動きが日本の1部に見られるからである。
この次元では、過去の事実があったかどうかという点にかんして正しい歴史認識というものはひとつしかない。もちろん、ある特定の事実について、たとえば1937年12月の日本軍の南京侵攻に際して、どのぐらいの中国人が殺されたのかという問題にかんして、まだ完全な結論が出ていないということもある。それについては、学術的な調査によってより正確な数が判明することを期待しなければならない。どこの国の専門家が見ても満足するような調査方法で記録を検討し、できるだけ具体的な死者の数を推定する。そしてどのような結果が出ようとも、すべての国の政府も市民も、事実は事実として受け入れなければならない。国家の事情によって変更することは許されないのである。
もっとも過去において、国家とか宗教とかイデオロギーの都合で史実がゆがめられ、勝手に書き直されたりしたことも、またひとつの事実である。そのような事実も過去のひとつであり、それを否定したり隠蔽したりすることはできないが、そのような事実の解明も含め、すべてのものは過去に対して忠実であることが求められる。
過去の出来事として出来事としての歴史は、実際にある出来事が起こったのか、それとも起こらなかったのか、だれが何をいつどこでしたのかといった事実の記録であり、それを解明する仕事は歴史家の役割のひとつである。過去が国家によって書き直されたことがあるだけに、国情や政治意識にとらわれずに忠実に調査するためには、学問の自由を前提とした歴史家の努力が必須となる。以下略。
170ページ
過去と現在をどう結びつけるか…
171ページ…前略…
歴史とは過去と現在との対話だとはよくいわれることだが、より正確には、歴史認識は過去と現在との対話なのだ。すなわち、ある特定の史実が現在にとってどのような意味をもっているのか、過去と現在とはどのようにつながっているのか、あるいは断絶しているのかといった視角から歴史に意味を持たせようとする場合、過去は生きたものとして現在とつながってくるのである。
したがって、人によって、あるいは国によって、歴史理解に相違のあるのは驚くにあたらない。たとえば人日本の朝鮮支配という史実について、植民地化した日本と植民地化された韓国の人々ないし政府とのあいだに、対照的な見方があるのは不思議ではない。中国を侵略した日本と、侵略された中国との場合も同様である。
もっともこのような過去について、日本でも解釈はただひとつではなく、歴史家や一般市民のあいだにさまざまな歴史認識があることは、各種の歴史教科書を見れば明らかである。過去の日本帝国主義に対して批判的なもの、自己弁護的なもの、あるいは帝国主義的侵略政策と見ることに抵抗するものなど、いろいろの異なった見方がある。
これらの違いは、根本的には過去と現在とを結びつけるにあたっての相違である。過去に対して批判的な姿勢を見せる人たちの大部分は、終戦後の日本の平和主義は民主化を歓迎しているようであり、その分だけ過去と現在との区別を明確にしようとしている。反対に、過去に対して弁解的ないし肯定的な見方をするものの中には、現代の日本に対して批判的なものが少なくない。あるいは、現代の日本のアイデンティティを確立するためにも、諸外国の意向にとらわれずに、日本人が自主的な態度で過去を解釈すべきだとする意見もある。要するに、現在の社会や政治への姿勢が、過去の意識に影響与えているのである。同じことは中国や韓国における歴史理解についてもいえるであろう。
ここで重要なのは、どのような解釈が可能であるにせよ、特定の解釈をすべての人に押し付けてはならず、言論の自由、学問の自由の原則を守らなければならないということである。さらに、さまざまな見方が存在するにもかかわらず、各国が共有できる歴史解釈が可能かどうか、真剣な努力をつくさねばならない。
174〜 175ページ…障壁としてのナショナリズム…
学問や言論の自由を阻む大きな障壁のひとつはナショナリズムである。とくに国際問題にかんしては、自分の国の行為を擁護し、他国を非難するといった傾向がある。…中略…たとえば1995年、ワシントンのスミソニアン航空博物館で、原子爆弾投下50周年を記念した展示がなされたとき、多数の政治家や1部のマスコミによって、最初の計画(日本に対して比較的好意的な解釈をしていた)が何度も書き換えられ、最終的に採択されたのは、米国の政策や戦略をほぼ全面的に擁護するものだったことは、記憶に新しい。
当初の計画では、原爆被害者の遺品や写真などを展示し、原爆投下はなくても戦争は終結したのではないか、したがって投下の決定は日本よりもソ連を意識したものではなかったのかという「修正主義者」の意見も併記されていた。ところが、そういった原案がマスコミでとりあげられるようになると、反対運動が嵐のように巻きあがり、米国議会でもとりあげられるほどになった。あげくのはてに、最終的に決められた展示は米国中心のものとなり、もう少しバランスのとれたものにしようとした博物館長は辞任に追いやられてしまった。
民主党政権下の米国においてすら、そういった現象が見られたということは、この国においてもいかに歴史認識が自己中心的なものとなりやすいかを示している。ましてや中国、韓国、日本などにおいて、一層その傾向が見られるとしても不思議ではない。政府によって書かれたものだけではなく、民間のあいだでも、自分の国の過去に対して自己中心的な見方をし、他国によって批判されることを好まないという風潮がある。学術的・客観的な見方がを持つべき歴史家ですら、国際会議などでは、えてして弁護に終始するものを見かける。ナショナリズムの威力を思い知らせられるのである。
197〜 200ページ 70年代に歴史は新しい段階に入った…前略… 20世紀末の国際社会は、国と国とのあいだの関係(インターナショナル・リレーションズ)としてではなく、国境を越えたモノ・ヒト・カネ・サーヴィスなとのつながりによって形成されていく傾向にあった。インターナショナル・リレーションズからトランスナショナル・リレーションズへと変わり始めたのが、1970年代だったといえるのではないか。グローバリゼーションの現象の意味するのもこの点である。すなわち、グロバル化によって国際関係が変貌していくわけである。
トランスナショナルな流れには実に多くの面がある。国境を越えた人間の流れ(移民、避難民、観光客を含め)、文物の交流、人権擁護の動き、あるいはその逆にいわばグローバル化の負の現象としての環境汚染、伝染病、テロリズムの拡散などは、とくに世界の関心を集めてきた。いうまでもなく、いずれも国家単位で理解や処理のできる現象ではなく、グローバルの対応が必要とされる。いわゆるグローバル・ガヴァナンスが不可欠となる。
そのような制度は国連などの国際機関、あるいはEU等の地域共同体でもあるが、非政府団体(NGO)や多国籍企業(MNC)などの非国家組織(ノン・ステート・アクターズ)の役割も見逃すことはできない。事実、国家の枠組みではできないことも、NGOと多国籍企業とが協力して解決を図ろうとしてきた問題も少なくない。
今日、世界には200を超える主権国家、そして6つほどの地域共同体が存在しているが、国際非政府団体(INGO)の数は4万を下らず、多国籍企業も9万以上ある。現代の国際秩序は、このようなもの全てによって形成されている、あるいは形成されなければならないのである。
しかも世界には、INGOやMNC以外にも多くのノン・ステート・アクターズがある。民族、宗教、文明などである。これはどれひとつをとっても特定の国家の枠組みの中でとらえうるものではない。たとえば中華民族は世界中に拡散して、しかも自分たちのアイデンティティを保っているし、イスラムも中近東や東南アジア数カ国において支配的な宗教である。一方ヨーロッパ、北米、オセアニアに住む人々の大多数は広い意味で西洋文明の産物であり、西洋人としての意識を持っている。
このように見てくると、20世紀末期以来、国家の存在が相対的に低下してきていることがわかる。もちろん、現存の国家の多数がこれからも存在し続け、それぞれが自らの国益や主権の名目のもとに行動していくであろう。このレベルでのレベルでの国際間の関係は、伝統的なものとはあまり変わらないかもしれない。
しかしながら、世界のもっとも基本的な存在である個人(地球にいま60億の人間が生きている)にとって、国家が絶対的な命題、すなわちすべての人間にとってのアイデンティティの根源だった時代は過去のものとなったと過去のものとなったといえるのではないか。ひとりひとりの人間にとって、国家のほかにも民族、宗教、文明そして家族、地方自治体、地域共同体など、実に多くの存在が意識されるのであり、さらにINGOやMNCなど、国家とは別個の組織が日常の生活に関与してくる可能性もきわめて大きいのである。引用以上。
(※下世話に…いつまでもあると思うな親と金…ないと思うなごみと借金、というのがありますね。言葉は悪いがゴミのように目立たないけれど(失礼!)INOG、その数2万!2013年以降に法律に従い発足した日本の特定非営利法人約5万!(ただし制度発足以来数字はほとんど伸びていない)僕はどちらの数字も非常に懐疑的です。多分どちらもビジネスになってないからです(ビジネスにする必要はない、ビジネスではないと思っている、ビジネスと割り切ったときの力を全くご存じない😅僕はかつて訪問販売していたとき、テープレコーダーのように口を動かしていました、訪問件数×移動距離…その効果は抜群でした♪ 5年間やった結果…飲まず食わずの競歩で上位入賞しました!蛇足🐍、自慢したかっただけ😜)根拠もなく適当なこと言ってます。あ、根拠と言えばただ1つ…ウェブを通じて寄付など募っていますが、その、宣伝費にかけるお金を直接困っている人たちに振り分けたほうが効率的じゃないかと思ったからです。食い入るようなそれでいて虚無的な子供たちの映像が流され寄付を募ります…気の毒に…その背後を考える前に、次の瞬間に画面が変わります、気の毒で見ていられないので画面を変えます…変えたり変わったり…消費されているのだと思いました。どう考えてももうこのシステムは限界です。限界は、多分、自らの生活を犠牲にして立ち上がっている人々に対する負担の重さ、でありプレッシャー、その一方サポーターにあるいはプレイヤーになり得る人たちには、安直な、、そして抗い難い、既に充分知っている消費への快感です、快感が必要なほど疲れている!。それに代わる何かを考えない限り、つまり、それよりも面白いもの、違うステージの楽しみをどうやって拡散していくのか、そもそも、一人ひとりの気を引き立たせるようなステージをどう作るのか、一人一人ができる小さなことが、もしそれを実感できたら…それが世の中を変える1番の手っ取り早い方法だ、と象牙の塔の学者たちにはっきりその根拠を示して、プロセスを示せと言いたいです、それが役割だと思うからです、そういう学問がないのなら社会学の中にその分野を作って欲しい。行動する社会学者いでよ!そういうつもりで応援したかった当時の若い人は今どうしているか、音沙汰なし。
雨だれは確かに石をも穿つ(うがつ)、しかし(いつまで待っても)奔流(ほとばしる圧倒的な力)とはならないのだ、ルネッサンス期の箴言?誰かが言ってた。ところでルネッサンスって誰が作ったんだ?)
日本人と中国人・韓国人との関係、その付き合い方は結構厄介な問題ですよね。政治レベルと民間レベル(文化の分野)では、異なる対応になってしまうのはやむを得ないと思います。中国と韓国を侵略した事実を否定することはできないながら、同じ事実であっても、それをどの程度強調しどの部分にフォーカスを当てるかで、事実は多少違ってくるので「事実は一つで不動」とも言えない。
例えば韓国との関係ですが、戦後韓国への賠償金を、当時の日本の国力では不相応なほどはずんだのは岸信介で、私は子供でしたが当時の新聞を読んでいたある年齢以上の人なら、それによって岸一家がどれほど潤ったかは察せられるでしょう(要するにキックバック)。そのご機嫌取り(和解という名で)の一環として統一教会の許可と普及援助があったわけで、それで岸一族はさらに財政と政治の両基盤を強化できたので、安倍元首相の殺害の裏には、多分日本の政治家が誰も振り返りたくない黒闇闇の世界があるはずです。
加害者と呼ばれる側と被害者を主張する側の対話、真の和解と理解がどれほど難しいかは、ドイツとユダヤ人との関係を見ても明らかです。ただ、その立場を政治家が常に利用することが私は不快でなりません。韓国でも国民の人気取りに日本を敵視し続けるという戦略が結構効を奏していて、そのための経済的な損失があっても、歴代の首相は自分の人気の方が重要だったし、国民も一部はそれに気づいていながら知らん顔をしてきました。
もちろん文化人でそれに乗じている人だっています。民間レベルでは、産業界もそうですが芸能界や文学の世界においても、過去にさほど拘らない、というか、適当に過去を利用しつつ独自の歩みを見せています。
我が家と関係のある朝鮮人一家がいて、この人達とは私が中学生になるまでお付き合いがありました。この一家は、実は私の祖父の土地の小作人だったのです。戦後の農地改革により地主の土地は大部分が小作人にほぼ無料で与えられましたが、この一家は日本国籍ではなかったために、土地をもらうことができませんでした。
それで、珍しいケースとして地主・小作の関係が続いたのですが、今思うととても不思議なことに、この朝鮮人一家への差別とか侮蔑というのは皆無でした。長男さんが工業専門学校に入学できたことをお父さん(桂歌丸にそっくり、でも日本の特に田舎には珍しいすらりとした長身だった)が嬉しそうに報告に来て、あのイヤラシイ傲慢な母が「まあ、それはよかった、おめでとう」とお祝いを言っているのを耳にしたことがあります。
数十年後のことですが父の死後にその三男さんがわが家を訪ねて来たことがあり、「他の皆さんは?」と訊くと、自分のほかは60年代に北朝鮮に帰って「苦労しています」とのこと。それ以上は語れなかったのでしょう。50年代・60年代当時の新聞はこぞって、北朝鮮を夢の国のように喧伝していましたからね。私はこれらの「苦労している」人々を思い出すたび、無責任なマスコミに怒りを覚えます。
政府(政治家集団)とメディア(我田引水の無責任な扇動集団)が無ければ、日韓・日朝の市民レベルでの国際関係はずっと好もしいものになったのでは、と私はいつも感じています。