愛がなんだ:角田光代:角川文庫2006年2月初版発行
積ん読、つんどく、積んであった本の中にこの本があった。源氏物語の現代語訳をした人、か、と思ってアマゾンから取り寄せておいた本。今朝食事の後、ガーッと読んで、、こんな中ぶらりんな気持ち書ける人が源氏物語も現代語訳しちゃうのか…という読後感でした。テルちゃん(テルコ…主人公)は僕の言い方で言うと…満ち足りないものを求めてマモ(田中守)に絡み付く。中途半端に決着をつけたくない…流される。無駄と知りつつ…共依存、未熟、母性、保留、モラトリアム…いろいろな言葉を当てはめてみる。こういう本が支持されているということは、こーゆー時代なのかなと思いました。器用になれない、器用になりたくない、ズルズルとなぜかマモに惹かれてゆくの中で自分自身を探っていく、そのつどの自分の居場所を確認している…いつまでもそんなことをしている場合ではないことは知りつつ。
日常の怖さと闇を覗いた感じはあります。この若い著者はきっとそういうものではないほかの何かをつかんでいるなという感じもしています。えーと何か引用に適した部分…普通は気になったところに付箋を貼るものなのですがどこにも貼ってない!つまりどこにも声高な主張がない。仕方がないので島本理生という人の解説の最後の部分を引用します
217 〜218ページ(解説)
略…
多くの映画やドラマに出てくる人達はみんな、かっこよく生きている。だけど現実はもっと情けない。執着や嫉妬にまみれたり、そこからなんとか逃げようとして冷静を装ってみては失敗したり、そんなふうに足掻く(あがく)たび、現実と理想とのギャップに愕然とする。
だけど角田さんは、そんなふうにかっこいいドラマになれない人たちをあえて書く。だから本を読むたびに、本音を言い当てられたような気持ちになるし、自分と同じようにかっこよくなれない人がいることに安堵する。かっこわるい姿は、時として、すごくわずらわしくもあるけど、それと同時にどこか愛(いと)しくもあったりする。なぜならそんなふうにかっこわるい姿こそ、生身の人間らしさであり、自分らしさというものなのだから。
引用以上。
笛吹けど踊らず、という言葉が浮かびました。まともな中間層が育たないまま急速に老大国(風)に向かっている中国。中間層つまりは大衆の育ち方。 広すぎる国で何とかやってる国、アメリカ、自由の国と国籍を取ったとたん、とりあえずはそう思える国、システムとして50州それぞれのシステムが一応存在して、問題があれば自己責任の側面が浮上してくる、なんだかんだ言っても政治への参加がシステム化されている、自衛のために銃を持つ権利があちこちに確保されている、何よりいまだに滅びていない…アメリカは自由の国、という国民の認識。 さてEUヨーロッパ、あ、こちらも除外します、びすこさんよろしくです😜こちらが1番厄介だったりして…🤨 一方、広い国土に3,000万の国民のカナダと、1億数千万のロシアはこの際除外して考える。10億以上の中国、インド、アフリカ大陸…問題山積、人口過剰、どうやって国民を食わせていくのか? 1億の日本…狭い国土でさらに利用しやすい平らな国土は3割程度か、そういう狭い国土なので難民を受け入れられません、けど努力します、ロシアの格言「糊と理屈はどこにでもつく」 何が言いたいかと言うと…あぁもう言えるこうも言えるということが確保されていない国民は、「萎える」。プーチンのやっていることを門外漢のような感じで見ている、見ているしかないロシアの国民の事まで考えてしまいました。 その他大勢の「質」は何によって育てられるのか…びすこさん、僕のちゃちな頭ではコメントに答えることができません。みつばちの世界だったら働かない3割のみつばちが次の時代の用意をしている、とでも屁理屈をこねることもできるかもしれませんが…。 新しい風を、風だけまとって身に付いていなかった人物を小説に残した魯迅に、中国の未来を語って欲しいです。