現代都市住民のパーソナルネットワーク(北米年理論の日本的解読):大谷信介著:ミネルヴァ書房1995年10月初版
(※調査資料は30年位前のものが多くその都度、年号、資料元は記しませんがざっくりと内容を紹介したいので省略いたしますがよろしくお願いします)
著者は横浜生まれ…赴任先の松山の商科大学で学生たちを通して地域に馴染むにつれて、関東とはえらく違う四国松山の風土と人について漱石の坊ちゃん…と同じような感想を持った、とある。カリフォルニア大学の客員研究員となった時も日本から見ればアメリカの都市の持つ特殊性(※その一例をこの次のパラグラフに、少しあげときました)から、安易な都市社会学の翻訳はあまり意味がない(とまでは言っていませんが)と取れる感想を持っていて、さて、日本における都市社会学とは…と、最終章の第8章とあとがきを最初に見たぼくは誘導されました(手に取った本を読むかどうか、今現在の僕にとって読むに値する本かどうか、優先事項に関わっているかどうか探りを入れてから読み始める癖があります、えらそう😅
それでは振り返って我が「葛飾区」、、母が亡くなってから立石から奥戸、東四つ木と住まいを変えてこんな狭い範囲でえらく雰囲気が違うことを実感しています。(いま、区内の堀切菖蒲園近くのマッチ箱みたいに小さな家に住めるかどうか不動産屋さんが調査中で、その辺をちょっと歩いてみたら…今では珍しい平屋のしっかりした古いお宅をいくつか最近発見して、商店街(立石)農村部(奥戸)中小企業密集地(東四つ木)とも違う、里の面影がかすかに残る地域かな、と期待しています。そんなこともあって、のちに住める可能性も出てきたので、少し前にパラパラと読んだこの本をまた引っ張り出して取り上げる気になったのです。
ほんの1キロも離れるだけで、大げさに言えば地域性が違う、やっぱり本をパラパラ見る事は良いことですね、こんな視点(例えばその区画には、その区画の文化がある、ちょっと大袈裟ですが)を確実なものにしてくれます、地域活動とはよく言った、その地域地域によりその展開は違ってきて当たり前、すごいヒントをもらった気になれました。
(※地域の捉え方の日米比較、198〜199ページより引用
フィッシャーが下位文化理論で想定していた個人とは、個人主義の強いアメリカに生活しているアメリカ人である。そのことは、フィッシャーが(多様な下位文化が生みだされてくる過程)で重視した、選択的移住(selective migration)という概念に象徴的に示されている。この概念は、転居を自己選択の結果として捉えようとする概念である。この概念の背景には、「未婚で高学歴な若年層であるならば都市中心部に住みたがり、子供のいる家庭ならば裏庭のあるような都市郊外、老人層ならば農村部への居住を好む」といった自己選択によって、転居が展開されるということが想定されている。そして、実際にこうした選択的移住によるソーティングは、1970年代のアメリカ社会で特に加速されたとフィッシャーは指摘しているのである。すなわち、アメリカ人は自己選択によって、住みたい土地への転居を容易に実践していると言うのである。しかし、出身地は土地に執着の強い日本人にとって転居は、就職・転勤・結婚等、仕方のない理由に基づくものが多く、選択的移住という観念はあまり一般的でないのが実態である。そのことは、アメリカ人と日本人の平均現住居居住年数が、それぞれ10.5年、20.0年と約10年も違っていたことにも象徴的に示されている…中略…
…「居住地への愛着」の意味内容が日米間で大きく異なっていたこともアメリカ的文脈を物語るものである。アメリカ人の居住地(場所)への愛着(attachment to place)の型を実証的に考察したフィッシャーは、アメリカ人の居住地への愛着を規定するものとして、①制度的絆(地域の学校や教会の教会への参加のような)、②地域活動(近隣関係や地域集団への参加)、③親しい人の存在(近隣に親戚や友人がいること、④感情的愛着(この地に住んで幸せ・この地を離れるのが不幸)の4つの要素を挙げている。フィッシャーは、この中でアメリカ人にとって最も重要な要素となっているのは、3番目の親しい人の存在という要因であることを実証データをもとに指摘している。すなわち、アメリカ人にとって居住地への愛着とは、そこで営まれるネットワークによって決定されることが多く、そのネットワークいかんでは、転居に直結することが多いということである。このことがフィッシャーの指摘する選択的移住と密接につながっていることはいうまでもない。この居住地への愛着を日本的文脈で考えてみると、「自分の生まれ育ったところだから」といった回答に象徴されるように、多くの場合、出身地が重要な意味をもっているのが普通である。日本では、出身地が進学・就職や結婚相手の選択および転居等の制約となることはよくあることであり、Uターン・Jターン・盆暮れにおける人口移動等の現象にみられるように、出身地へのこだわりが強いのである。このような日本的な文脈は、アメリカ社会ではあまり重視されることはないのである。引用以上。
(じゃぁ日本の場合はと申しますと…)
第4章 日本のパーソナル・ネットワークの特徴
ここの箇所思い切ってざっくりポイントだけをメモしておきます…日本のお付き合いの特徴的なところを言えば…町会への参加と町会を通じた近所付き合い、会社内での就業時間外での付き合いなどが欧米に比べて特徴づけられています、もちろん最近ではどちらも縮小傾向にあるのではないかというのが僕の実感です。住んでいる所に平均何年位いるかいう所では、先に挙げたようにアメリカで約10年、日本では約20年位というのはいまだに有効かなぁとは個人的に思います。土地への定着に関しての流動性の差は、セグリゲーション、親しい友人ができたかできないかが北米およびカナダの場合に関係しているようです。
(※個人的メモ: 207ページ…日本社会においては、異人種間接触の問題が、現在のところさほど顕在化した問題とはなっていないが、第7章第3節で考察した、「(出身地の異なる者)と接触を持っている人が、通念にとらわれない意識を有する比率が高い」というファインディングスは、日本においても個人レベルの異質結合が積極的意味をもっていることを示唆する結果であったといえよう。
アーバニズム論の深化の流れとして、ジンメル→パーク→ワース→フィッシャーという流れが指摘されることがある。しかしこの流れは他方で、こうした個人の異質結合の重要性が弱体化してきた流れとも位置づけられるのである。問題意識のレベルでは、フィッシャー→ワース→パーク→ジンメルへと遡って個人の異質結合の評価を問い直していく研究視点も必要と言えるのである。引用以上)
(この本をパラパラめくっていて感じた事は…学問的学術的アプローチはさておいて…僕自身の興味は違う視点にある、こちらの方が僕はこれから注目すべきだと思っています、それは…例えば、21世紀に花開いた… ITによるネットワークの広がり…Twitter仲間、Facebook仲間、趣味の仲間、コミュニティーネットワーク…にもっと注目して良いと思います。一説にいう、人口密度は人の親密度に反比例するという原則から言えばそれを補完する方法として、、一人一人が心の安寧と安定を得るために対面接触だけがその要点ではないと思うからです。車椅子を押してくれる人…抱きかかえて救助してくれる人…身の回りの代行をしてくれる人が大切な事は言うまでもありませんが、「遠くから応援してくれる人」がたくさんいてくれたほうがいい…僕はそう思います。もちろん両方あるに越した事はありませんが関係する人たちの大きな輪から中心に向かって自分自身のネットワークを求めていくゆったりとしたアプローチがこれから必要になるのではないかと思いました。急がば回れ、心地よい人間的距離を保つためには、つまり、一人一人が自分自身とは違う考え方と世界観を持つ人たちと付き合う場合、その時間と手間を惜しまない、特に今はそういう時代だと思いますので、自分自身と他者との気持ちの良い距離を作っていくために必要な視点だと思いました。
125ページ…第5章 属性とパーソナル・ネットワーク
※ここで取り上げられているのは年齢、学歴、収入、結婚状況などの属性が友人関係の構築にどのように関係するかという視点ですが省略します。そのような属性は、とても大事なものだとは思いますが男女観、人生観、世界観、暮らし方つまり生き方、死に方、趣味道楽、と同じ地平で? 語られる方が今風かなと思いましたものですから…そのかわり、著者のあとがきからおまけつけときます。僕も面白いものだなぁと思いました。
著者が1984年4月、当時の松山商科大学(1989年4月に松山大学と校名変更)人文学部社会学科に「地域社会論」の担当の専任講師として赴任して、のちの感想↓
223 〜224ページ
関東から松山に赴任してきて約3ヶ月が過ぎようとしているが、最近、松山というところには関東と全く異なる独特な文化が存在しているように思えてきた。赴任当初、「松山は流るる小川も清らかで、町を歩いていてもどこか暖かさが感じられる、おだやかでよい町である」がこの町の第一印象であった。たしかに松山には、関東に見られる殺伐とした雰囲気や、住民全体がみな忙しくしているような雰囲気は全くなく、のんびりとした、どことなく暖かい雰囲気が感じられる。しかし、そうした松山に関東人が3ヶ月ほど生活してみると、何か「ものたりなさ」「違和感」のようなものを感じてきてしまう。それは、まさに、夏目漱石が「坊ちゃん」のなかでみごとに描いている関東人の松山に対する違和感のようなものである。私は、これまで「坊ちゃん」という小説を3度読んだことがある。1度目は「無鉄砲」という言葉すらよく理解できなかった小学生の頃、初めて小説に接したのがこの本であった(ちなみに生まれて初めて国語辞典をひいたのは無鉄砲という言葉であった)。2度目は、松山への赴任前の3月、松山や大学のことを少しでも知っておくようにと、読み直した時である。3度目は、赴任後2ヶ月を経たごく最近の6月初頭のことである。おもしろいことには、2度目と3度目で読後感が全く違っていたということだ。赴任前は「これは、松山のことを極端に書きすぎているのでは? 」と疑問に思ったり、もしそうだったとしても、今は時代も違うし、まして人口40万を超える大都市において「坊ちゃん」のような世界はありえないと思ったものだった。しかし今回2ヶ月ほど松山に暮らした後にこの本を読んだ時は、「全くその通りである」と感じたばかりでなく漱石が「坊ちゃん」なる小説を書きたくなった背後の気持ちまでよくわかるような気すらしたのである。「坊ちゃん」という小説は、とにかくおもしろい。とくに関東から来た新米教師が読んだら最高である。…中略…
関東は確かに殺伐とした競争社会である。しかし、その背後になにか「活力」みたいなものが感じられる所でもある。それは「一旗あげてやろう精神」「負けてたまるか精神」「おれはおれだ精神」といったものの混在した活力であり、泥臭い坂東武者の文化のようなものであるしかし、おだやかでのんびりした松山には、関東文化に見られる「泥くささ」「チャレンジ精神」「活力」といったものは、全くと言っていいほど感じられない。引用以上
225ページ
「愛媛県は、全国的に見て伝統文化の影響が強いようで地元でおこなわれる行事や祭りに、進んで参加し昔からのものを尊重し、地域に対して愛着をもっている人が多い。そして、なるべくおだやかで変化のない生活を望んでいる。また、かけごとやうそ、性の問題についてもきびしい道徳観をもっている。国とか役所などの、いわば「お上」には従っておいたほうがよいとか、天皇は尊敬すべきだという権威主義的な傾向もめだっている。愛媛県人のもう一つの特徴は、人づきあいにみられ、まわりの人と考えが違うときにはそれにあわせていくと言う協調性と、未知の人と話したりするのは、あまり気が進まないという「人見知り」の両面がある。」(NHK放送世論調査所編「日本人の県民性」日本放送出版協会、1985年、243ページ)引用以上。
松山には3,4回行ったことがあります(高知からだと直線距離が近い割には交通が不便で、高松まで行って西に向かうことになる。航空機で行ける東京からの方が近い)。おっしゃる通り、穏やかな土地柄で、ここに出張でよく行っていた親戚の話でも、激しさや力強さはないそうです。
初めて行ったときにすでにその特徴が分かったので、老後を過ごすにはいいかもしれないと思いました。世の中の目まぐるしい動きについて行けなくなったら、ここでのんびり暮らすのも悪くなさそうです。また、正岡子規や高浜虚子など俳壇の有名人を輩出していることからも分かるように、ご隠居さんの団欒や老人趣味には適した土地のように思え、それだけに若い人にとってはどうでしょうか。周りに合わせていると、彼らも早めに老け込む怖れがないわけではありません。
出身地で人間のタイプを類別するというのはあまりに大ざっぱなやり方ですが、でも県民性って、やはりありますよね。ドイツにだって州民性はあります。また同じ州内でも、私が住んでいるところのように、西半分のカトリック地域は陽気でオープン、東半分はプロテスタントが多い(いや、多かった)せいか謹厳で働き者、という違いがあります。それで東半分にはダイムラー社とその子会社群団が大いに栄えて、州の財政に貢献しているというわけです。さすがに1キロでの差はないけれど、この村から東は、などという境界は存在します。
私は今ドイツの黒い森地方と日本の超田舎を往復していますが、どちらも自分で選んだわけではなく、いわば運命に決めてもらったようなもので、郷里の村など客観的に見れば何の取り柄もありませんが、それでも父祖の地ということで愛着はあります。やはり人間関係が大きいですね。と言っても父や祖父を知る人はほとんどいなくなったので先祖の恩恵というものは無く、もっぱら幼馴染みとの付き合いで、それはそれですっきりしていいと私は感じています。
物的な資産もそうですが、人間関係に関しても、先祖が築いた財産に寄りかかって暮らすということは好ましくないと思います。無論、そのことと、古くからのお付き合いを大事にするということとは、また別の話です。
それにしても、わが故郷は貧乏なんですよ。活性化のためには農業の再生が必要だと私は思っていて、食糧というのはどんな時代にもどこでも必須だから、工夫次第で村は元気になるのに(実際、暖かい気候と最近の温暖化で、マンゴーやライチの栽培が可能になっています)、後継者の問題もあるし、また、戦中派まではやはり視野が狭くて、ちょっと成功している農家への嫉視などに「あ~あ」と歎息することも。
ドイツ人が住むところを選ぶその基準は、アメリカ人よりも日本人に近いように感じます。保守的と言えるかもしれません。移民から成る国民と広大な国土を特徴とするアメリカとは、やはり歴史の違いもあってメンタリティーが異なりますね。