男装の麗人・川島芳子伝:上坂冬子著:文春文庫1988年5月第1刷
川島 芳子(かわしま よしこ、1906年5月24日[1] - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。(ウィキペディアより)
(※村松梢風(作家村松友視の祖父)が書いた本のタイトルが「男装の麗人」で、題材を川島芳子から得たところから彼女は男装の麗人と呼ばれたようです)
利用したり利用されたり、でも結局は歴史の流れの中で利用された。その時々の個人の工作は…そもそも利用する側の思惑に翻弄される。決着もまたその時の権力者の手に委ねられる。著者の川上芳子に寄せる思いは、川上芳子が自分自身に関係した人々に無益な犠牲が及ばないように配慮していた、という分析の女性らしい心情に現れているなと思いました。当時面白おかしく取り上げられたゴシップを丁寧に掘り起こし、川島芳子という女性を浮き上がらせていました。中国当局による断罪も結局は関係者による証拠つぶしというニュアンスも漂わせて、川島芳子が少女時代よりより好んで口にしたという次の詩を載せて本を終えていました。
255ページ
「家あれども帰り得ず
涙あれどもを語り得ず
法あれども正しきを得ず
冤あれども誰にか訴へん
(村松友視にも、、男装の麗人、という著書があるらしいので機会があれば読んでみたいと思いました、今日の僕のコメントでは本の内容が掴めなかったと思いますが、僕としては一世を風靡した女スパイとはどういう人だったのかという疑問が少し解けたと同時に当時の時代背景のもと、川島芳子の日本の養父である川島浪速(なにわ)の満蒙統一の大風呂敷の茶番劇の横糸を垣間見た感じはあります、、このコメントもまた要領を得なくてごめんなさい)
そうだったんですか…それにしてもよくいろいろなことをご存知ですね、僕は自分の親戚に関しても無関心です。母親にあの人はお前のいとこだよと言われて…あーそうなんだと懐かしい気持ちになった事はいちどだけありますが、基本的に親戚に対しても他人行儀です。今回のこの本を読むについても僕だったら感情処理が追いつかないです、読むだけで疲れました、とほほ。
川島芳子って名前、わが家で何度か聞いたことがありました。男のような格好が似合う人を見ると「男装の麗人ね」などと母や祖母や叔母たちが言っていましたっけ。生まれは愛新覚羅姓なんですね。中国政府による断罪とか証拠つぶしというので、なんだかマタハリみたいだなあ、と思ったら、ウィキに別名東洋のマタハリとありました。
愛新覚羅という名も、私が小学生の頃に天城山心中事件というのがあって知っていました。こういうのhousehold nameっていうのかしら。愛新覚羅家の次男、ラストエンペラーの弟に嵯峨公爵の令嬢浩姫が嫁ぐのですが、戦後一家は日本で暮らし、長女の愛新覚羅慧生さんが学習院の同級生と心中してしまう。
現場に駆け付けて抱き合った二人の遺骸を見た母親の浩さんの最初の言葉は、「その男を娘から離して下さい、汚らわしい!」だったそうです。これで、旧日本帝国政府から強制的に満州に嫁がされた悲劇の公爵令嬢というイメージはすっ飛びました。私はまだ小学4年生でしたけど。