チョムスキーと言語の科学:酒井邦嘉著:インターナショナル新書037: 2015年4月第1刷発行
この本と並行して参考書として見たのが…ロボット脳を創る:中村仁彦著:岩波講座物理の世界: 2003年6月第1刷発行
でした。まずはこの本の引用をちょっとさせてください… 34〜35ページ
2.9 ミメシス
マーリン・ドナルドはミメシスを人の心の原点であると主張している。ミメシスとは「ものまね」や「模倣」にあたるが、ドナルドは類似の3種の言葉を厳密に区分している。ミミクリ(mimicry)、イミテーション(imitation)、ミメシス(mimesis)である。
ミミクリはヒトが他人の顔の表情を真似るときや、オウムが別の鳥の声を真似るときのように、できるだけ正確に行為をコピーしようとすることである。イミテーションは子供が親の行為を真似ようとする場合があてはまる。イミテーションは霊長類でみることができる。
ミメシスはイミテーションに表現という意味を加えたものである。イミテーションによって獲得した運動パターンを、他者とのコミニケーションのために用いたり、運動のリハーサルや運動を滑らかにする練習のために自分に用いたりすることである。イミテーションで獲得した運動をもとの状況とは異なる状況で再利用することが、ミメシスによって初めて可能になる。
ミメシスによって記憶のシステムが変化したとマーリン・ドナルドは論じている。記憶には「手続き記憶」、「エピソード記憶」、「意味記憶」がある。これらは系統発生において、異なって発達した記憶システムである。鳥類と哺乳類では手続き記憶とエピソード記憶の両方をもっている。エピソード記憶はヒト以外では類人猿でもっとも発達している。
手続き記憶はもっとも古く、運動の一般則を保存する記憶である。ボールをキャッチする練習では、動くボールを目で追いかけ、あるタイミングで手を伸ばすという大まかな一般則を記憶するのが手続き記憶である。エピソード記憶は経験の状況と事象の詳細を保存する記憶である。時間、空間、色、臭い、音、天候、対象などあらゆる情報が含まれる。引用以上。
上の文と直接関係はないのですが…この文を音声入力しているのはGoogleによっていますが、Googleの音声による文字変換が長足の進歩を遂げているように見えるのはビックデータのせいだと思っています。長文の文例をビックデータに収め索引機能を持たせつつ文脈に照合させる、この膨大な量の記憶が得意なコンピューターを駆使して10年後はどのように発展しているのか個人的にはとても興味があります、ですが…上に引用した文章とはまるで関係ない事は素人にもわかります、処理能力が膨大なだけでとても「考えている」とは思えません。例文をいくら集めたって「ミミクリ」にすらなっていないような気がします。
↑こちらのアプローチは今回は参照致しません。それなのにわざわざ引用したのは…ご参考までに、難しい方程式で人間の動作を分析してロボットに落とし込む?みたいなことを通して、心の領域にまで肉薄していこうという科学者の様々なアプローチもあることをご紹介したかったまでです)
さて、本命の著書を読み出してすぐに僕は最初に引用した本とは全然違うチョムスキーの主張にとりこまれてしまいました。「人間は生来言葉の獲得のシステムを生まれながらにして備えている」…このチョムスキーの考え方は個人的にとても親しみが持てます。誰が書いた文章でも、ある程度まとまったものならば、1つとして同じものはない、雪の結晶がどれ1つとっても同じ形のものはないと同じように。
(人間がその場その場の直感によって状況を把握して最適値を求める、これを司っているのは感情だという僕の当てずっぽうの考え方が、この本を読むことで何かヒントをもらえないかと思ったこともこの本を読みたいと思ったきっかけでした)
あ、ベートーベンが、引き合いに出されていますので引用します。
88ページ
再帰的な階層性
言語は、いくつかの要素からなるわけだが、その様子を詳しく見てみると、「素性→語・統辞範疇→文節・句→文・段落→文章」という段階を踏んでいる。このように複数の段階が積み重なる性質もまた「階層性」であり、そのように階層を成す構造を「階層構造」hierarchical structureという。
音楽にも、言語とよく似た階層構造が認められる。例えば、かの有名なベートーヴェンの交響曲第5番の第一楽章冒頭部では、「ダダダダーン」という同じ「動機(モチーフ)」を何度も再帰的に繰り返し使いながら組み上げていくことで、再帰的な木構造が浮かび上がる。他の曲でも、「音符→動機・定型→楽節→楽段→楽章・楽曲」といった階層構造があるのが一般的だ。
そうした言語や音楽に見られる再帰的な階層性は、ほかの物事にまでさらに広げて考えることができる。道具を使える動物は人間のほかにもいるが、人間だけが「道具を作るための道具」(これを「メタ道具」という)を作ることができる。例えば、鉛筆という道具を作るためには、木や芯材を削って加工する道具をあらかじめ作っておく必要がある。つまり、異なる道具が再帰的に使われるわけだ。
そういえば、身近な「時間」にも「秒→分→時→日→週→月→年→元号・世紀」という階層があり、「場所」にも「建物→番地・号→字(あざ)→町村・区→特別区・市→郡→都道府県→国」といった構造がある。このようにまわりの物事を再帰的に埋め込んで、階層的に俯瞰する視点は、人間ならではの自然な発想なのだろう。引用以上。
今この本を読み終わりましたが…結局よくわかりませんでした😅
でも科学的なアプローチがとても真実っぽいです。もう一度他の本を参照にしながら日を改めて読み直したいと思います。この本は読者にわかりやすく解き起こしてくれているはずなのですが僕の頭がついていきませんでした。でもGoogleが音声変換に戸惑っているのは無理もないと何となくわかりました。ビッグデータの分析は…蝶をたくさん集めて蝶の標本を集めるようなもので蝶そのものの本性に肉薄することにはならない。学校で教わる英文法もそれに似たようなものだと言及しています。えー!っと、叫んだあなた、ぜひこの本を読んでみて下さいませ。そして僕にどういうことか説明してください、あはは😁
エピソード記憶の話が出て、だいぶ前ですが「ひょこむ」にこれについて書いたことを思い出しました。多分読んではおられないでしょうし、あとにちょっといちまるさんも出て来ますから、再現させて下さい。いちまるさんに言及したのは、このブログの前段階で女性の才能は美術・音楽に関してはやはり男性に見劣りがする、ただし例外もある、と書いたためです。ケーテ・コルヴィッツの才能について話したばかりで、ちょっと因縁めきますね。
「・・・ことほどさように女性の文芸人、世にいう閨秀作家は洋の東西で古来引きも切らないのである。
この現象について私は、一般に女性の方が優れた言語表現力を有するためなのだろうか、想像力に富み夢見るのが好きな体質(?)のせいか、などと考えていた。
あるとき、わりと最近のことだが、人間の記憶というものについて調べていて、「エピソード記憶」という言葉に遭遇した。そしてその内容を知って、ああ、これだ!と、疑問への回答を見つけたように思った。
脳科学事典によると
<エピソード記憶とは、陳述記憶の一つで、「個人が経験した出来事に関する記憶」であり、出来事の内容 (「何」を経験したか)に加えて、出来事を経験したときのさまざまな付随情報(周囲の環境すなわち時間・空間的文脈、あるいはそのときの自己の身体的・心理的状態など)と共に記憶されていることが重要な特徴である。>
そしてウィキには「女性のエピソード記憶は男性よりも優れている傾向があるとされている」として、スウェーデンのウメオ大学心理学科の研究結果が紹介されている。な~るほど!!
ほかのサイトにも分かりやすい説明がいくつかあり、「特徴としては『頑張って覚えよう』としなくても、自然に覚えられること」「エピソード記憶は覚えやすいだけでなく忘れにくいのも特徴」などとある。
下の図でエピソード記憶と対比させている「意味記憶」の方はちょっと厄介で、「いわゆる暗記タイプの記憶」なので「覚えようと頑張らないと覚えられない」とあり、頑張りの苦手な私には向かないのだが、高齢者一般に向かないらしく、10歳を過ぎると段々と弱くなってそれ以降はエピソード記憶が優勢になるのだそうだ。
だから百人一首を全部暗記するのは大人になってからでは無理、だけど昔の事件や怒り・喜びはいくつになっても忘れない。そうか、それで結構なお年の女性もエッセイや追想録が書けるのですね。
追想といえば、ブログで以前に幸田露伴の娘の幸田文の随筆に触れたことがあるが、この人と鴎外の娘である森茉莉とは父親の在りし日を書き綴って文壇にデビューした。
他にも佐藤愛子がいろんなエッセイで父親の佐藤紅緑について記しており、それが最終的には父のみならず腹違いの兄など血族についての記憶の結集「血脈」という作品になる。これを書いたとき佐藤愛子は66歳、前期高齢者になっていた。
これだけ覚えていられると、不品行で親を悩ませたという兄のサトーハチローなどは生きた心地がしないだろう、といっても「血脈」が発表された頃には幽明境を異にして久しかったのだが。
長くなったので以下は省略するけれど、かように女性の記憶、それも事件の付随状況まで含めた鮮明な記憶というのは多分呆けても残るので、世の夫たちはくれぐれも心して暮らさないと最後にどんな意趣返しをされるか分かりませんぞ。
「初めてのデートのとき、あなたは20分も遅れて来て寒風の中で私は凍えそうだった」とか、「子育てで大変だったとき、あなたはオムツの一つも代えてくれなかった」とか、「お義母さんにいびられている私をあなたが庇ってくれたことは一度もない」とか・・・思い当るフシのある方、今からでも償いをした方がいいですよ。それも覚えていてくれるでしょうから。
写真は、最初が、画家マネの描いた女流画家「ベルト・モリゾ」の肖像
その下は、私の好きな「夕暮れ」(上村松園)。この絵を教えて下さったのは、かちねっとのいちまるさんでした。」