「議員力」のススメ:廣瀬克哉著:(株)ぎょうせい2010年1月初版
議員力検定協会共同代表、検定委員長、、と最後のページの著者プロフィールにありました。
この機会に我と思わん方は議員検定試験受けてご覧になることをお勧めしたいです…なんちゃって…受験した感想をお聞きしたいだけだったりして😝
早速引用です↓
議員に求められる交渉力とは何か
第2章 議員「力」
●交渉力
131〜134ページ
議会の中で話をまとめてものごとを決めていくためには、議会内のもめごとの決め方のツボをおさえて、望ましい方向に話を進めていく力が求められます。特に、議会運営に関する事項については、議会運営委員会や会派代表者会議などの場で、全会一致をとることを慣例としている議会が多いので、議会のあり方を変えようと思うと、全体の一致をつくり出していく交渉力が求められるのです。
議長や議運の委員長、会派の代表者などの間に、自分の主張を浸透させ、何かものごとが動きそうな機会があれば、それを逃さずに主張を実現するための手を打つ。そういう力が求められているのです。会派構成や、運営上のルールが固定的で厳格な議会と、それらは流動的で緩やかな議会がありますから、それぞれで交渉に必要な力の具体的な内容は違ってきますが、いきなり100%の実現を求めないこと、しかし、目指す目標の実現をあきらめないで主張し続けることは、いずれの場合にも共通して求められる姿勢であるように思います。
…中略… 134ページ
…議会のなかでの意思決定を動かすことよりも、世論に直接訴えたい、という考え方をとると、議会の中での多数派をつくるための妥協をはなから断念して、世論に理解しやすい明快なメッセージを送るろうということになるわけです。
このような議員活動のあり方を選ぶ自由は尊重されるべきだと思いますが、それでもこの路線はつまるところ、議会を変えることを断念した戦略、戦術であるということは否定できないのではないでしょうか。その状態の延長線上に実現されるのは、たった1人正論を主張しつづける議員はいるものの、議会としての活動は旧態依然で、組織としての議会はいつまでたっても信頼できる市民の意思決定機関にはなっていかないという事態です。
やはり、議会全体を変える力を議員は追求すべきです。そのためには、議会を動かすための交渉力を身につけていく必要があるのだと考えます。引用以上。
(とまぁスーパーマンみたいな資質が議員さんに求められているわけですが…それに関しても言及がありました↓)
138ページ
都道府県議会議員は大半が専業の議員で、フルタイムで地方政治家として活動している人がほとんどです。報酬額もかなり高額といえるでしょう。会期は長く、活動日数が相対的に多くなっています。それとは対照的なのが町村議会議員で、大半の人が議員以外の職業を持つ兼業議員で、普段は自分の仕事をしているという人たちです。本業は農業とその他の自営業という人が大半で、サラリーマンとの兼業は少数です。活動日数は少なく、報酬は都道府県議会の平均の半分以下で、他に収入がなければワーキングプアといわれてもおかしくない額の町村もあります。引用以上。
139ページ
どんな能力をもった人に、どれくらいの時間を議員活動にあてて欲しいか。そのイメージが固まっていないと、議員に対してどの程度の報酬を支払うのが適切かという判断ができません。
…中略…
これは必ずしも議員の側だけの問題ではありません。市民の側がどんな議会を期待し、どんな議会を作っていくかということにつながってきます。力のある議員に活躍してもらうことを期待すると、同時に市民の力も問われるということです。引用以上。
(街頭演説が上手い人がトップ当選を果たしたとしてもその人に行政能力があるとは限らない。市民活動が盛んなところに、機能的な議会活動が存在するとも限らない、両者が噛み合わなければ議論は平行線だ。苦しい財政事情の自治体からは引っ越しする能力のある人は引っ越ししてしまう…そして行政サービスが行き届いている自治体に本拠を移す、自治体の税収も上がる、などなどいろいろな問題点を浮き彫りにしたところで… (おおざっぱな端折りで誤解がありませんように)
161〜162ページ
…中略…負担が重いけれども財政的には健全で、比較的高い公共サービスが将来も安定していると期待できる自治体と、負担は軽いけれども財政赤字が多く、将来についての安定性が懸念される自治体とでは、人々はどちらで暮らすことを選ぶのでしょうか。こういう選択が実際のものとなってくると、市民一人ひとりが、選択の結果に対する責任を自分の暮らしという形で背負っていく関係が明確になってきます。
●今ここにある将来の選択をどうするか
今挙げたニつの自治体の例は、すでにそういう違う政策選択をした自治体がどこかにあって、そのどちらかを選んで引っ越していくことができるという条件でした。実際には日本の多くの自治体がまだどちらにも、明確な舵を切っていない段階にあります。この選択は、それぞれの自治体において、これから先の針路の選択として存在しているのです。
その選択はいつどこで行うべきでしょうか。
結果はその地の住民全体が背負っていくことになります。選択の責任は重大です。誰かに任せておいたとしても、結果をみんなで背負わなければなりません。それでも任せるに足る人は、今自治体の意思決定をする場にいるでしょうか。もしいないなら、他人に任せないで、自分で選択をする手立てを考えるべきかもしれません。あるいは、任せるに足る人を育てたり、よく選び出したりしていく道を選ぶことがふさわしいのかもしれません。
選択をする手続きを考えると、現在の制度のもとでは、国でも自治体でも、その場は議会です。議員にお任せで決めてもらうのか。任せるに足る人を生み出し、育てるのか。
市民力、議員力、議会力の総合力が問われる時期はもう目前に迫っているのです。引用以上。
(う〜ん、そんなこと言われてもなぁ…そんなこと考えてもいなかったし…そんなことを考えなければいけないとも思っていなかったしと思っていらっしゃる人が多いのではないでしょうか…実は僕もこの本が書かれた12年後の今に至るまでここまでは考えていませんでした、でもこの著者によれば考えないければいけない時期はもう目前に迫っているのです、ということです、よろしくお願いします🥺
※ 地方自治法は1947年制定以来50年以上大きな改定はありませんでしたが、、、211ページ…1999年に成立した地方分権一括法により、地方自治法も改正され、地方自治に関する立法や法令の解釈、運用のあり方について、従来とは大きく異なる考え方へと転換した。引用以上。
もう1カ所最後の座談会の中で触れられている言葉の中で、「議員の力、のそもそも論」が語られていましたので、少し長くなりますが引用しておきます、、、168〜170ページ
新川(※新川達郎):
まず、議会政治とか議会とはいったい何だろうかという一番基本のところを考えたとき、残念ながら日本はヨーロッパのような身分制議会以来の議会の歴史をもっていませんから、議会が何をするのかということについてもせいぜいヨーロッパの議会政治のカリカチュアのようなかたちで大日本帝国憲法を策定するしかなかった。そういう制約の下で議会制が日本の場合にはむしろ定着してしまったということがあるのだろうと思っています。そこで議会のイメージはある意味では諮問機関的な性質が強かったですし、場合によっては世論を代表するといったような意味合いの方が強かったのではないか、そんなふうに考えています。そしてむしろ統治の機能とか合意の形成と実行は行政権を中心に考えて、そういう基本的な考え方が議会の捉え方と付随して戦前・戦後ずっと通じてあったのではないか、そんな感じがしています。
その結果、戦後の民主主義への改革、いわゆる戦後民主化を経験したなかでも、議会制のなかで地方のレベルで言えば相変わらず強力な行政権が残りましたし、国の場合には憲法上も明らかなように行政権と、内閣の権限が確立され、しかもそのなかで行政については行政各部の権限が憲法上も明定されてしまうと言う状況です。
廣瀬(※廣瀬克哉):
議会が実質的には政府の中心機関でなくなってしまっているともいえます。
新川:
もともとの議会はご承知の通り、本来は国王の統治権限をある意味では制約し、そしていずれはそれに取って代わるという形で権力を市民に移行させてきた、そういう歴史があるわけです。残念ながらわが国ではそういう歴史を経ないままに議会制だけが、それも形式的には極めて民主的な議会制だけが実現されてしまったという点での不幸がそのまま続いている。
そのなかでも国会について言えば、議員内閣制というしくみのおかげで多少なりとも議会の政治力、あるいは政治的な物事の決め方と、そして行政とのかかわりについては緊張関係がそれなりにあるのですけれど、残念ながらある種の疑似大統領制をとった地方自治の制度の場合には、そこの議会と執行機関との本格的な緊張関係が生まれないで、二元代表制といいながら、ある意味では極めて戦前の延長のかたちでの執行機関と議会との関係が維持されてきたのではないか。そんな印象は少しもっています。
そういうことから考えると実はこの議員力を考えたときにも、かたちの上で民主主義の議会になっているものをどう実質的に変えていくのか。そのための議員力、あるいはそういう議員を生み出していく市民の力があらためて問われていますし、その上で議会の力をどう発揮していくのかがポイントのような気がしています。引用以上。
(お疲れ様でした!、お読みいただきありがとうございました)
「それとは対照的なのが町村議会議員で、大半の人が議員以外の職業を持つ兼業議員で、普段は自分の仕事をしているという人たちです。」その通り、私の田舎でも専業議員はいません。みんなお百姓さんとか漁師とか。でも夫婦なら食べていけるようです。私の幼稚園時代からの友達、わりと成績は悪かったのですが30代で市会議員になり、今は市議長をしています。継続は力なり。旧友はみな陰でヒソヒソ悪口を言っていますが、それはやっかみというものです。凡庸でもいいじゃありませんか、ねえ。