舌の上の散歩道:團伊玖磨著:朝日新聞社1976年7月第1刷
人間位いろいろな食べ物を食う動物はいないだろう、この人ぐらい世界中でいろいろなものを食べ歩いた人もそうそういないと思う。とにかく動物園と市場歩きがどこへ行ってもまず第一に向かうところだというのですから。
167ページに、茸、の項があり、こんな記述がありました。
15年程前は、釣りから始まって、海水魚の飼育に凝った。この10年位は野外の植物、わけても蘭科植物に凝って、随分、沢歩きや山歩きをした。さて、今度は何に凝ろうかと考えて、はたと膝を打った。茸に凝ろうと思い付いたのである。先ず物事を始めるには基礎知識が必要である。そこで、北隆館から出ている「きのこ」という本を書棚から出して来て、熟読してみた。凝るからには、採集もしたいし、培養もしたいし、食べもしたいから、生態や、有毒、無毒も熟知せねばならぬ。引用以上。
とまぁ軽くご本人は言っていますが、凝る人は凝るものですね。僕なんかは万事とば口だけで撤退する口です、この本を読んだ感想というものはなくてただただ、その探究心に感心し、知らないことをたくさん教えてもらっただけです。気取らない文章の見本のような文章をもう1カ所引用いたします。
120〜121ページ…花びら
京都のお茶屋さんに行くと、蘭の花の塩漬けにお湯をさしたものがお茶がわりに出る事があって、淡彩で描いたような清楚な蘭の花が、湯のみの中に浮かんでいる薄味のその呑み物の風情は、見たところにも、如何にも雅やかである。お土産物屋へ行くと、その塩漬けの蘭の花を入れた小さな壺を売っていて、それを買って来て、仕事の合間にお湯をさして楽しんだ事もあったが、仲々良いものだった。この花は、日本中到るところの林中に自生する春蘭の花であって、春一番に、薄く陽の当たる林中に、緑の葉の中から、土筆のような形の薄白い蕾を立ち上がらせ、淡緑の小さな姿を開く。アジア特産のCymbidiumの1種で、この花をよく見ると、中にはおじいさんとおばあさんが居て、そのために田舎の子供達はじじばばとこの花を呼んだりもするし、その蕊の形が男女を表している気もするところから、もっと直接的な呼び方をする地方もある。そういうところから目出度いという事になって、お茶屋さんあたりで使われるようにもなったらしい。引用以上。
(羊の脳みそのうまさとか、鯨の尾びれの所の脂ののった肉のうまさなど、そのまま伝わってきて、通ぶらない、読みながら気がつくとクスっと笑ってしまっている箇所が随所に出てくる、こんな肩の凝らない文章書くには相当肩が凝ったかなとも思うけど、文章の中で適当に憂さ晴らしもしているのでそうでもなかったかもしれない…あはは🤣)
お腹いっぱいまで食べる人だったみたいですよ…まぁ2人分ぐらい。僕なんか飽きっぽいからそんな情熱がない、おいしいものを知らないから…というか… 手近なものをおいしいと感じられるから気楽なのだと思います。インスタントラーメンを一工夫して食べるとか、気楽というか粗食というか、我が兄といい勝負です、グルメの方を見れば…ご苦労様ですと、少し同情を含んだニュアンスでお声をかけたくなります、あはは🤣