永井路子歴史小説全集 第9巻
:永井路子著:中央公論社1995年6月初版
著者はあとがきで、、、著者による史実の勘違いを述べているがなんのなんの…ちょっとした人間の絡まり方出会い方の時間差でそのように歴史は進んだかもしれずそんな事は物語を読み進める上で何の支障にもなりませんでした。
800年前の武士社会と公家社会の権謀術数が政子を取り巻く一族郎党、係累の中の駆け引き、子供まで巻き込む大人たちの企みが生き生きと描かれていました。血筋は争えないし…取り巻きたちに翻弄される青年群像、冷静に時局を見つめる登場人物たちの気持ちがたった一冊の本の中の短い記述で緊張感を持って躍動していました。
奔放な女性たち…水を打ったように静かに時代にたゆたう、感情の起伏の少ない女性たち(情報が多すぎて立ち往生している?)、愛に生きる女性たち、政子を支える兄弟たち、愛憎をあえて目的のために担ぎ出す人物に増幅させる策士たち(そんなことは本の中に書かれているわけではありませんが読者に自然と想像させるように物語がなっていると思いました)著者も確か触れていましたが今に続く政治の原型がこの頃に作られたという言い方も説得力があります。うまく歴史を思い出してくれたなぁと思いました、そして物語に描かれた、現在でもあちらこちらにいそうな人間、女性類型が見てとれるのも楽しい、あるいは 身につまされて苦しいところです。政子が自由奔放に生きた飛び抜けた女性ではなくごまかしに耐えられない一女性としてのセンス?を持ち合わせた人、という一貫した描き方も好感が持てましたし、事実このような女性であったかもしれないと納得させられます。
800年の時代を超えて800年後の事例と比較してしまう繰り返される人間の愛憎劇、権力を志向する男たち、担ぎ出される男たち、そそのかす取り巻きたち。物語の中に現実がある。読むほうに卑近な例があれば心穏やかには読み進められない。読み終わって、にぶい、しつこい、しこりが残る。感情のコントロールの問題と片付けてしまう僕自身のの冷たさ?が浮き上がってもくる、ま、それを男の計算と言ってしまえば僕自身の気持ちは少しは気楽になる。女はそうはいかないのだろう。あるいはまた…そうはいかない女もいる、そう言い直した方が良いかもしれない。男社会の論理に合わせてしまえば女でありながら男になる、少なくとも気持ちの整理の上においては。それでも…男は男で女は女である、なんて感想ともため息ともつかない読後感。血族とはよく言ったものだ…血の結びつき、人によっては疎ましくもあり、頼もしくもあり、逃れられないと諦めることもある。やり切れない切ない持って行き場のない悲しみ。愚かでいとおしい、今も繰り返される人間の営み。
こう書き連ねて、この駄文を読まされる方は辛いだろうなと思いますがこれが僕のこの本を読んだ感想です。所詮、感想というものは冷静に距離を置いて見られる場合のコメントなのかもしれないと思いました。何を言っているかわからないこんな文章を書いてすいません。
女が男を見る目男が女を見る目…永井路子に関する限り男を見る目があるなーと思いました。政子に関して言えば三郎という後見役みたいな兄を通して自分の父を読み、取り巻きの心の内を読んだのかなと僕は思いました。僕は女性との付き合いが多くないせいか女性の気持ちを汲み取りきれません。わかった気になるのもあまり好きではありません。わからないままでいてなぜいけないのかわからない。男も女も相手があってのこと寄り添うこともあれば突き放すこともある。
いい国作ろう鎌倉幕府… 800年も昔のこと講釈師よろしく話をまとめていくんだもの、もっともらしく読み進めさせるために史実、類推、作り事、総動員して1冊にまとめる…物の本によると当時北条政子などと現代人みたいな姓名言ってもどこの誰だかわからないというのが事実のようです。時の執権者の妻、でいいわけですもんね(適当なこと言ってます、政子が生きていたらオブジェクション!異議ありがあったかも)。
(この本は、ろれさんが当フォーラムに寄稿された記事を拝見して読む気になりました、良い機会を与えて下さいましてありがとうございました)
1996年と言えば僕がウェブに腰抜かした年、あれからの世の中の変わり様…ぼくら凡人は変わってから初めて気がつく。赤瀬川の本は最近読みましたが何を読んだか忘れました、今人生で1番本を読んでいる時期です。こうしているのは楽しいです…と、こ、ろ、で 女が変われば男も変わる。やっと世の中、自分に追いついたと思っている男も女も多いのではないでしょうか。肩肘張っている女が増えて脱落していく男が増えてどの辺に落ち着くかは10年後?こんな大変革の時に生きながらえて僕は幸せです。兄にもそう話しました。びすこさん、地球の違う場所、女性の視点(この言い方に古さを感じます)から引き続き定点観測よろしくお願いします、いつも楽しみにしています。
最近、赤瀬川原平という作家の「新解さんの謎」と言う本を読みました(頂き物で自分で買ったのではありません)。三省堂の新明解国語辞典をテーマにしたもので初刊が1996年、ベストセラーになったそうですからとっくに読了しておられるかもしれませんけど。
この本、決して新明解国語辞典(新解さん)を馬鹿にしているわけではなくその面白さをアピールしているのですが、三省堂の編集者の話では、学校にこの辞典の売り込みに行くと「だって変な辞典なんでしょう」と言われて困ったそうです。それはともかく。
おんな「女」という言葉を引くと
1.人間のうち、雌としての性器官・性機能を持つ方。[広義では動物の雌をも指す。例、「-ネコ]
2.一人前に成熟した女性。[優しい心根や優柔不断や決断力の乏しさがからまり存する一方で、強い粘りと包容力を持つ]
いやあ、これには何ともコメントのしようが・・・
また「腐れ」の例で「腐れ金」とか「腐れ儒者」とならんで「腐れ女」というのがある。「あざとい」では「あざとい女の恨み」、「なまじ」では「なまじ女の子が柔道などならってもしょうがない」(これには「じゃあ、柔ちゃんはどうなんだ」という突っ込みあり。)
傑作は「嬌羞」で、[男性にとってそれがたまらない魅力となる]女性のはじらい
ですってさ。普通辞典って言うのはそこまで(たまらない魅力なんて)書かないだろ、これはもう最小限の安全な説明など放棄した攻めの辞書だ、などと著者は言っていますが、80年代から90年代にかけてこの辞書を編んだオジサンたち、今とは時代が違うから(高々30年ほど昔でも)女性観がいびつに見えるのもしょうがない、という弁護があるなら、じゃあ北条政子はそうなんだ、日野富子は、という検察側の尋問も可能ですよね。