ダンナちゃんよくできました!: エイミー・サザーランド著:青山陽子訳:早川書房2008年9月初版
動物の調教に関する本のようです、旦那さんがイライラしながらなくなった鍵を探している…そんな時どうするか…
26ページ
その答えは「何もしないこと」です。イルカのトレーナーだけではなく、すべての進歩的なトレーナーは、自分の求める行動に対してはご褒美をあげ、求めていない行動は無視するのです。引用以上。
本のタイトルからして…旦那さんの調教?と言うことになるのでしょうか?プールで少し泳いできてから続きを読むことにいたします。
(今日は捨てるに捨てられない、ただ邪魔にしているだけの家宝の大きな支那焼きの火鉢の底に穴を開けそれを植木鉢にするつもりです。一昨日行った蕎麦屋の裏口に火鉢の中に笹を植え込んでいるのを見たからそれを真似するのです(兄の所から笹を少し持ってきてあります)。猫の額ほどの庭(そのままの意味)にひょろとした直径5センチもない幹の1メートル位の松、その後ろに高さ50センチくらいの日陰の紅梅があり、、あ、竹、がその下にあれば→松竹梅…。ちょっとプールに行ってきます。この火鉢の植木鉢、続きは…うまくいったときだけアップしますね。本のほうは…特に同居人のいないぼくにはどうかな、とは思うが参考までにパラパラ読みすることにいたします。…あっそうだ、兄には悪いが…大いに参考になるかもしれない…もしかしたらそばにいるだけで何もしないことが良いなどというヒントがもらえるかもしれない…あはは🤣昨日アップするつもりだったので文章の辻褄が合わないのはご勘弁願います)
この本は少し前に立石図書館のリサイクルコーナーに置いてあった本です。不思議なことに…この本は今、僕に必要な本でした。95歳で亡くなった母に比べ兄は80歳ちょっと。後輩の僕が兄にとやかく言うよりは…大先輩の母が兄にサジェスチョンをする方が良いに決まってます。つまり僕は兄の知らない母を紹介するだけにしました。それでもきっと参考になるかなと思ったからです。90歳過ぎても当時の携帯電話のかけ方を1日に何回も繰り返していた母。狭い家の中に僕がつけた、その手すりを頼りに1日に何度も何度も歩き続けていた、という母のことを母がなくなるまで付き添ってくれたヘルパーさんからお聞きしました。母はベッドの上でメモ用紙に何やら書きつけている…ヘルパーさんは何をそんなに熱心に書いているのかみたくてしょうがなかったらしいです…それも僕に話してくれました。兄に話したのは、これらたわいないと言えばたわいないエピソードだけなのです。それでも母の行動は「遺言」、僕はそう解釈しています。僕はその遺言ひとつ「せいぜいおいしいものを食べ長生きするんだよ」、、を守るつもりです…というか長生きしてます。遺言なんてどう解釈しようと本人の理解力を超える事はない。それぞれが勝手に読み取ればいい。兄が遺言をどう受け取ったか僕の理解を超えます。それぞれの受け取り方でいいと思いました。弟からとやかく言われるよりは僕が伝えた母の「遺言」は有効だったようです。この本は僕に、兄にどう接すれば良いかのヒントをくれました。
さて、断片的ですがご参考までにこの本の気になったところを引き続き、引用してみます。※は僕の注釈です。
46〜47ページ
「何かがうまくいかないときは、別のやり方をしてみることさ」
私は彼のアドバイスを心に刻みつけました。(※発言はハリウッドの動物トレーナー、ハーバート・ウェルズ)
59 〜60ページ
…中略…私はスコット(※著者の夫)に、私のために何かをしてと頼むのではなく、なぜそうするのかと尋ねます。それで終わり。その質問に「私」は出てきません。すると新しい答えが出たのです。それは驚くほど明快なものでした。
スコットが自転車着をバスルームの床に置きっぱなしにするのは、私を愛していないからではなく、単にそのほうが都合がいいからでした。彼は、シャワーを浴びてから片づけるつもりでいて、忘れることの方が多かっただけだったのです。彼は忘れっぽくて、嗅覚も鈍いほうです。私には火山の噴火ガスのように感じられる、家に充満する強烈な悪臭を、彼はほとんど感じていないことがわかりました。私の鼻が敏感なだけだったのです。
69ページ
「ありとあらゆる種(※しゅ)において、同じ動物はまたといない。昆虫でさえそうだ」(※同じ種の中でも全く違う…遺伝子の配列が違うように)
71ページ
私の回りにいる種族
前略…私はトレーナーの目線で、憎めないけれど、ときどき厄介な、「アメリカ人の夫」として知られる種族を見てみました。彼らは、階級と縄張り意識の強い動物で、誰がリモコンを握るか、誰がステレオの低音チューナーを調整するかという問題には、特にこだわります。視力はとてもいいのですが、暗がりや、冷蔵庫内の明かりでものを見る能力はありません。大きな声を聞く能力がなく、とりわけ配偶者の話は耳に入りません。肉食を主とする者が多く、牛、豚、鶏、卵、穀類、さらに好んでチーズまたはスナック菓子を食べます。
84ページ
それはさておき、アライグマに食べ物を洗うのをやめさせることが可能だったとしたら、やめさせたいでしょうか? 食べ物を洗うのはアライグマをアライグマたらしめる大きな要素です。トレーナーは機械仕掛けの動物など望んでいません。人間を人間たらしめる要因は、私たちが完璧ではないことです。私たちにはいろいろな癖やチック症や、私たちならではの小さな遺伝子の記録があります。自分の周囲の人間という動物を知ることは、本能をはじめとするすべてを受け入れることでもあるのです。
108 〜110ページ
見ないふりをする
…中略…私は「ありがとう」と階下に叫び、その染みについて述べたい一言をなんとか飲み込みます。嫌味すら言いません。好ましい行動、すなわち彼が服を片づけたことに礼を言い、好ましくない行動、つまり彼がまず服を放置したこと、そのせいで敷物が変色したことは無視します。
動物が失敗したときや悪いことをしたとき、強化したくない行動をしたときに、トレーナーがすること、それは、無視です。中には、激しく暴れるゾウなど、見過ごしてはいけない行動もありますが、特に害がないのであれば、進歩的なトレーナーはたいてい見ないふりをします。
この方法には多くの人たちが驚きます。私たちが人を相手にするときの直感的なやり方とあまりにも違うからです。私たち人間は、それとは逆に、悪い行動にばかり注目し、好ましい行動を無視しがちです。親は子供が車の中でおとなしくしていることには気づきませんが、金切り声をあげると叱ります。ちょっと作業をしても配偶者は「ありがとう」とは言いませんが、万が一ごみ出しを忘れたら、血みどろの殺し合いになるかもしれません。雇い主は勤勉であることを当然とみなしますが、従業員の微細な違反行為を報告書に書きます。しかし、動物のトレーナーはそうした考えを覆します。
(※この著者の態度が夫にその後良い影響を与えたようです、内容省略)
(※少しこれとは意味合いが違うかもしれません、あるいは全く違うかもしれませんが、僕が今日ジムに行った時ある行動をしたことをご報告します…プールで軽く泳いでバスルームに行きサウナに入りました、ある人が入り口の注意書きも無視してマナーをわきまえず体もびしょびしょのまま、体も拭かずタオルも持たずサウナルームに入ってきて、水たまりができるほど結構な量の汗を床に落としてに出て行きました。周りにいた人達はもちろん何も言いません(日本人!)僕も何か言おうと思いましたがやめました…嫌な思いをするのは僕の方ですから…。それで僕は汗もあまりついていないレンタルのタオルでびっしょりと汗で濡れた腰掛け代わりのスノコの床をきれいに拭いてサウナルーム出ました。それでよかったです。僕が何食わぬ顔できれいに床を拭いた、それを2、3人の人が見ていた、僕はそれで満足でした。会員制のジムと言ってもそこはホテルと同じ公共の場。実はこんなことを目撃したのは、それが初めてではありません、2度目でした。これからも誰も見ていなくてもそうする。それは僕自身が気持ちが良いからです。そういう人生を歩んできた人のマナーを直すのは僕じゃない…一生気がつかないかもしれない、いい年をしてそんなことにも気がつかない鈍感な、その人と僕自身は関わりたくない…でも自分が気持ちの良い態度をとる、自分の気持ちの方が大切だからです、若い時ならいざ知らず、というかちょっと前の僕だったら、注意をしない僕自身に苛立って、戦銭湯でもだれかれ構わずルール違反者にはやんわり注意し続けてきましたが…今は自分自身の人生の残り時間と秤にかけて考えるそれなりの年寄りになれました)
116ページ
優秀なトレーナーは、動物が正しく行動できたまさにその瞬間を逃しません。1秒前でも、1秒後でもありません。ゾウに合図で鳴き声を出すように教えるときは、ゾウが大きな音で「パオーン」と鳴いたとたんに、トレーナーは「それでいい、私が望んだのはそれだよ」とゾウに知らせます。トレーナーがホイッスルや、クリッカーまたはクリケットと呼ばれる、カチカチと音を出す訓練用の道具を使ったり、「いい子だ」と甲高い声で言うのはそのためです。これらはすべて、「しるし(マーカー)」または「橋渡し(ブリッジ)」として知られており、基本的には動物に「そう、よくできました」と知らせるためのものです。トレーナーが望む行動をとったら、すぐにコミニケーションを取る手段がブリッジです。ブリッジを用いないと、トレーナーはご褒美をとりにいかなければならないので…中略…そんな理由から海洋哺乳動物トレーナーの先駆者たちがホイッスルを使いはじめたとき、飛躍的な発展があったのです。
117ページ迷信行動
トレーナーが動物に誤って何かを教えてしまったとき、彼らはそれを迷信行動と呼びます。動物は物覚えがよく、すべてを完全に察知するので、誤って何かを覚えてしまうこともたやすいのです。これはさまざまな方法で起こる可能性があります。トラにお座りを教えているとき、トレーナーのタイミングがほんのちょっと遅れた場合、トラが座ってうなり声をあげることを強化してしまうかもしれません。トレーナーが望むのはお座りだけなのに、トラはそのニつをセットと考えてしまいます。
(※人間の自分自身が決めたおまじないもこれと同じことかなと思いました、良い場合と悪い場合とがありますね)
120ページ
動物の心にはシンプルな美しさがあります。自然は瞬間、瞬間を生きるように動物を設計しました。だからといって、動物は過去や未来について考えられないわけではありません。今起きていることを過去や未来に直接関連づけるのです。トラが檻に前足を掛けてすぐにカチッと音が聞こえ、それに続いて鶏の首肉をもらったとしたら、そのトラの脳は次のように記憶します。檻に前足を掛ける=カチッ=鶏の首肉。同じように、イルカが小さな輪をくちばしに掛けたときに、ホイッスルの音が聞こえてサバをもらったら、やはり次のように記憶するでしょう。おもちゃにくちばしを通す=ホイッスル=サバ。
(※まぁこれを人間に応用する事はちょっとしたテクニックがいるとは思います。人間は動物ほど機敏でないし行動を起こすためにステップを踏むからです。でも考え方は応用できると思いました😅)
159ページ
何もしないことのメリット
LRS(※ Least Reinforcing Scenario)は1980年代にシーワールドで開発されました。それ以来、この方法は4つの施設で、年寄りのホッキョクグマから赤ちゃんシャチに至るまで、何百という種のあらゆる年齢の動物に用いられてきました。LRSの核は、人が望まない行動を無視することですが、それを特別な方法で行ないます。訓練中に、短時間だけ行うのです。シーワールドのトレーナーは、動物が正しくない行動をしたときに、それに対して無意識のうちに間違った反応をしないコミュニケーションの方法を見つけたのです。例えば宙返りの指示を出したのに動物がジャンプをした場合、トレーナーはLRSで応じます。つまり、その行動を助長しないよう一歩退くのです。それが、可能な限り冷静に「間違い」と動物に告げることになるのです。引用以上。→
(※実践編) →
161 〜162ページ
ぜひお試しあれ
私はありとあらゆる人たちに対してLRSを使ってみました。我が家の地元郵便局には、顔色が悪く、分厚い丸眼鏡をかけているせいで目がハタみたいに飛び出て見えるベテラン局員がいるのですが、その彼女から小包のラベルがちゃんと貼れていないとガミガミ文句を言われたとき、私は謝りもせず、言い返しもせず、にっこり笑って彼女のご機嫌をとろうともしませんでした。ただ無表情に黙ってラベルを貼りなおしたのです。すると、当の郵便局員はそんな私の振る舞いに度肝を抜かれたらしく、お金を受け取り、お釣りをくれるときに、私の顔を見るのは避けながらも、「よい一日を」と声をかけてきました。そのとき初めて私は彼女の目を見てほほえみ、「あなたも」と応えたのでした。
(※この本によって僕はこの3カ月間の兄とのやりとりを反省することになりました…兄のシステムに則って行動する事は決めていたものの…敵を知る…と言っては兄に申し訳ないのですが…兄を本当に僕は理解しているだろうかとつくづく思い返してみて「弟」でいることの不利、に思い至ったのです…それとともに、母との関係で…親しき仲にも礼儀あり、の視点で見直したときに少しうまくいったことを思い出したのです。身内と思うから腹が立つ。お互いになんでそんなことがわからないのだろう…と。で、他人、の視点、他人ならばきっちりエチケット、マナーをわきまえる。それから僕と母の関係はあまりぎくしゃくする事はなかったような気がします。
だから兄との関係でも、いっそ相手が僕とは違う動物…と思い切って視点を変えてみたら…何か腑に落ちたのです。そして、僕のこだわりも少し見えてきました。おこがましくも、僕自身は、零細企業主として、はいずり回って社会を渡ってきた自負が自分自身に色眼鏡をかけていたと、わかった感じがしました。そうではない。兄弟であるが故に遺伝子の共通部分は多いかもしれないけど…この本にあるように
「ありとあらゆる種(※しゅ)において、同じ動物はまたといない」
僕自身の考え方が兄と同じわけであるわけがない。そう思ったらとても気持ちが楽になりました。数少ない読者のみなさん、今日も駄文を見ていただきありがとうございました。
「てんでんばらばら、それでも夫婦」結婚したこともない僕がこのことば何となくわかるのはなぜだろう 「愛嬌と度胸で渡る老いの川」まさに金言です、とても若々しいですね😙
動物といえばね、私、昨夜というより明け方ですが、動物の夢をみたんです。これはたまにありますが、昨夜のは小さな雀がお腹を空かしているのに親はふて寝して取りあわない。子雀がピーピーうるさいので食べかけのケーキのクリームを与えると大喜びで、すると親スズメもすり寄って来て・・・という変な夢。でもそんな夢を見た理由は分かっているのです。
昨日ウィーンから飛行機で帰ってきたのですが、空港に誰のものかわからない小さい犬がいて、私たちが手続きするカウンターの前の横たわっている。私がしゃがんで話しかけると、これも嬉しそうにすり寄って来て、撫でさせてくれました。あれは空港所有の犬かしら。いじらしくて、機内でしばらくその犬のことを考えていました。
今朝がた夜明け前に目が覚めて眠れないので、「続ムツゴロウの無人島記」を読みました(「続」でない方は、遺品としてもらった蔵書の中にはなかった)。いろんな動物が出てきて、それはもう面白い本です。最初にきつく叱ったために恨まれて、自分とはゼッタイ遊んでくれない狸とか。娘さんとはじゃれるのに。馬の可愛さもよく分かります。
動物で頭がいっぱいの状態で二度寝したから、雀の夢を見ちゃったのでしょう。
ダンナさんのことですけど。評論家の樋口恵子さん(現在90歳)がいろはかるたの本を出していますが(数冊あるらしい)、「てんでんばらばら、それでも夫婦」「愛嬌と度胸で渡る老いの川」なんていう金言・格言の中に、たしか「うちでもやろう花婿学校」って言うのがありました。結婚した相手が卵も割れない人と分かって目の前が暗くなった女性が、この評論家の本に従って少しづつ教育していったとのことです。