仮釈放:吉村昭著:新潮社文庫1991年11月発行
イモヅルシキで、また重いテーマの本を読んでしまいました。ぼくは、間違って罪を犯してしまった場合でも…人生には敗者復活戦?があるべきと簡単に考えているフシがありますが、読み終えて疲労感が残りました。後期高齢者を迎える年になっても…人間について考え続けなければならない。国籍、環境にかかわらず人の性格にはたくさんの形がある。著者が描き出したこの人物、特殊なんかではない人間の一人。改悛の情を演じる人間が多い中で、それをごまかしとして許せない人間もまた人間。法律は社会を安定させるが、法律では割り切れない人の感情がある。
本を読んで人間を知る。一人ひとりが意識の底に抱えている、あるいはその人を作っている成分?テーマ?…描き出してもらうことによって、わからないまでも、そういう「形」もあるということを知ることが大事だと思いました。ある人の人生を理由の如何を問わず唐突にストップさせる事はできない、という規則、考え方、もまた僕らがつくりだした考え方。本当にそうか? 死ぬまで考え続ける「こらえ性」が求められているし、考え続けなければ人間なんて…どんどんAIに近づくばかり。AIが人間に近づく工夫をしないと僕らはどんどんバカになる…あはは(笑っている場合ではない)。
(自分の身内のひとりひとりについて…実はよくわかっていないのかもしれない…と考え始めたことを白状しておきます、吉村昭がこういう人物をこしらえた、それを読んだ僕自身は、小説の中のこの人物を、自分とはかけ離れた人物とは思えない、つまりは、こういう人物は僕の中に既に存在することになりました。人物類型の一種として、脳に上書きしたり、感情処理で片付ければ済む問題では全くありません)
姉に昔指摘された鈍感さ(多分興味の範囲が限られているために)も、、、(過分なお褒めのお言葉とは承知しておりますが…自分の興味のありかの確認と、エキセントリックかもしれない僕自身を)ほかの面の長所になっているかもしれないと、支持していただいたような安心感があります。ありがとうございます自信になります。