吉村昭自選作品集第9巻から「海の祭礼」新潮社1991年6月発行
自身の混血の系譜から、納得のいかない差別に身の置き所のないアメリカの青年マクドナルドは、時あたかも開国をめぐり、風雲急を告げることになる日本に新天地を求める。
船員として雇われたマクドナルドは、船長と交渉の末ついに捕鯨船から小舟を貰い受け仲間が押し止めるのを振り切って無謀にも難破を装い目論見通り日本側に収容される。収容先の北海道から九州は出島に移されたマクドナルド。沙汰まちの座敷牢生活。
幕府は開国を迫る諸外国とのやむなき折衝に「外国語の理解」が不可欠、特にこの時期イギリスおよび新興大国アメリカ言語、英語がそれであり、その突破口として拘留中ながら性格が温順なうえ、なぜか日本語の理解に熱心なマクドナルドに英語教師として白羽の矢が立つ。幕府および藩の命を受けた通訳養成のための英語教師の役まわり。オランダ語通訳の森山は英語の先生としてマクドナルドにその任につくことを説得するため座敷牢に収まっているマクドナルドに上役とともに面談する場面…
178〜 179ページ
森山が、番人に座敷牢の戸をあけてもらうと中に入り、マクドナルドにむかい合って坐った。そして、おぼつかない英語と手まねで、前日見せてもらった日本語の単語を書きとめた紙をふたたび見せて欲しい、とつたえた。
マクドナルドは、森山の言葉の意味を理解したようだったが、牢格子の外に立つ小太りの西に警戒するような眼をむけた。が、森山の顔に視線をもどしたマクドナルドは、その紙を取り上げられることはないと察したらしく、煙草の灰を落とし、立ち上がった。
…中略…
紙をのぞきこんだ森山が、西にBedと言う単語を指さした。
「これは寝台に相当する英語で、奇しくも綴りがオランダ語と同じでございます。右に書かれてありますのが、この異国人、マクドナウドの書きとめました日本語にございます」
そこにはFetoとFetoneというローマ字が書かれていた。
「マクドナウトは、Bedを日本語でフェトまたはフェトネと書きつけておりますが、フェトはふとん、フェトネは褥(しとね)と思われます」
森山の説明に、西は、無言でうなずき、興味深そうに他の単語にも眼をうつしていった。やがて、顔をあげた西は、森山に紙をもどし、
「よくわかった。たしかにこの異国人は、日本語を知ろうとしている。それでは、奉行所の御指図をつたえるように……」
と、言った。引用ここまで。
この本を通じて当時の幕藩体制、支配階級が外国に向けては軍事国家として慣れぬ対応と彼我の軍事力の差におろおろしながらも、軍人(武士)らしい覚悟で交渉に臨んでいたことが垣間見えます。「ほうれんそう」(報告連絡相談)のネットワークも機能していた。つまり情報伝達が当時の事情で遅いことを除けば水も漏らさぬものであったと思いました。それが分かるからこそ交渉現場に立ち会う伝達役の森山の精神的な長時間にわたる緊張は半端でなかったろう。徳川幕府260年の平和の重み、が双肩にかかる。やってらんないよね。ここ史学専攻の友人の受け売り。
中国文明を通して得た教養、つまり中国語:漢語を通して得た教養による人間理解の深さを感じます、官僚に相当する武士階級にその下地がないことには、基本的には力ずく動いてゆく当時の世界で人間性がまず疑われ、交渉事が成り立たない、相手にされない(私見)。
外国人にも類推される日本の武士階級、官僚組織は当時の列強の支配階級にも受け入れやすく、鎖国中にもかかわらず考え方の違いを含め相互理解に有利に働いたのではなかったかと偉そうに思いました。
つまり何が言いたいかと言うと「支配する」側の人間の基本的な態度、制度を含め列強が認めざるを得ないほどの見識が折衝にあたった日本人にあったということでではないでしょうか、と歴史学者の受け売り。
(ぶっちゃけ、個人的にいかに人間関係におけるコミニケーションが最重要課題であるか最近身に染みております。兄とのやりとりの中で繰り返し手を変え品を変え意を尽くして説明すればお互いに納得できる妥協点にたどり着けると実感しています。こんな事は今更言うまでもなく当たり前のことなのですがあいだにいろいろな思惑や計算だのが(兄弟といえども)入って来て、世の中はややこしくなってしまうのだなぁとつくづ考えています。並行してハンナ・アーレントの「暴力について」読み始めて、ベトナム戦争のスポークスマンの述べる虚飾で塗り固めた国家の体面を整えるためのご都合主義政治、外交の有り様を知るにつけ、情報の出所と意味を含む実態をしっかり受け止め、それぞれの国民向けの申し開きがそれになっていないか、つまり巧妙に嘘をつかれていないかどうかチェックを忘れてはならないと思いました。森山とマクドナルドにおける裸の人間同士の触れ合いとはおよそかけ離れた世界ですが、こういう「汚れた」世界もまたもう一つの人間の世界であることを認めなければならないと思っています。折り合いの付け方ではなく人間の理解の仕方。どちらも人間がやっていること、一方で個人間の信頼、また一方で、対外的なごまかしを含む人間的行為?の監視、これは国民の義務、と言って良いのかもしれません。またまた偉そう)
日本の開国にまつわる話の展開は大いに興味がありますが何にも増して印象を深めたことがあります、それは日本が開国とその後の激変、鎖国中にすっかり変わってしまった世界の受け入れについて、あらゆる面で世界との差を急速に縮めていったその文化の理解と深さについてです。能天気な感想を言いますと…異国人同士の意思疎通の橋渡しという黒子に徹した人間、今で言ったら働き盛りの年(50歳ちょっと)かもしれないのに、森山は燃え尽き症候群で痛ましく老いて晩年を閉じた。環境は違ってもこのような境遇は森山一人ではなかっただろうと想像できます。その群像の中の代表として森山がやり抜いたことに対して満腔の敬意以外の何ものもありません。マクドナルドもアメリカの地で… 398ページ
…中略…臨終の折に、かれは、看病してくれた姪にむかって、
「ソイナラ(さようなら)、マイ・ディア・ソイナラ」と、別れの言葉を口にしたという。
引用以上。
森山とマクドナルドの奇跡的な邂逅。吉村昭のこの小説で森山、マックとも浮かばれようというものです、、と今日は最後まで偉そうですいません。
(ここにつながったのは… KBCのLINEトーク→吉村昭ファンのひさこさん→みやこさん紹介の「海の祭礼」→知ってか知らずかびすこさんコメントに「海の祭礼」→こりゃまさにイモヅル。芋のみなさん、じゃなくて蔓をズルズル手繰ってくださった皆さん、「出会い」をありがとうございました😭)
エイミー・フォースター、機会をとらえて勉強したいと思います、ありがとうございます。急速に失われていくものを…お金にもならないけれども残していこうとする人たちがいること…今改めて考えることができました。それとともに築いてきたものを失うのは一瞬という事実。その悲劇の記憶は長く尾を引いて人々を苦しめる。僕らにできることは少ないけれどやれる事はあり少しずつ理解して、次にバトンタッチする気持ちで生活したいと思いました。