スウェーデンボルグの思想:高橋和男著:講談社現代新書1995年1月刊
本のカバー表紙…科学から神秘世界へ…時代を先取りした宇宙論や大脳観の先見性。夢や幻視体験から得られた、独自の霊界論と、普遍宗教への希求。18世紀スウェーデンの天才の、科学と神秘をかけ渡す思想を概観。…とあります。
↓ 次のコメント(下の↑まで)…まったくの独り言ですから飛ばし読みしていただいて、※から始まる引用した部分だけでもお読み下さいませ。それがよろしゅうございます…というのは以下は僕のメモなのです、つまり自分自身もわかっていないのですが何か後でヒントになるようなことを言っているような気がして自分自身の独り言をメモったわけです、そんだけのことです。集合意識、については専門書もあると思いますのでそちらに当たってくださいませ。
ロマンは若者に必要なだけでなく老人にも必要だと思います^_^人生の初めと終わり位そんなものを用意しても誰も怒らないと思います。
僕はふと思う…僕らの想い、願い、いつか時空を軽々と越えて集合する座みたいな何か「…」を作る、いわば無意識の集合みたいなもの。「…」を何と呼ぶか?その人の都合によって「…」はその人にくっついてくる所属感、あるいは思い切って、それを人類に対する信頼と呼び希望と呼んでみる、そういう個人個人の想念が「…」に憑依して無意識が集合され「…」になる(ほんとかよ)。とりあえずは…隣人、友人、恋人、兄弟姉妹、両親、先生、神仏…が代理として無意識を受理してくれている。「意思」は、自分自身の中にそれ「…」をようつくらん、よく作ることができない、合理的、恣意的に作ってしまっては「まとまる」力のベクトル、方向が違ってくると仮定してみる。醸成に時間がかかるからだ、もしかしたら数百年単位の。
何のためにまとまるの?人類の存続のために…。唐突ですが…僕らのシステム(そんなものがあると仮定して)…「僕らのシステムが僕らひとりひとりを統治するものを内包することを許さない」なんてことを考えてみました、無意識の集合「…」がそう発信してくる。
以上、無神論者による無神論者のための合理化…あはは。過去現在未来にわたる僕らの「気」が「…」を生成する、「…」は必然である、僕らの精神はそれなしでは歩みがおぼつかない、つまり、「基準」を自らの中に作らない、それはあまりに頼りないから(意識の集合体、あるいは集合知であると言えなくもない民主主義を考えてみて下さい、その対極に何か欲しい、それが無意識)僕らはみんなで1つの生命体(ここ手塚治虫風)本当は…それが「僕ら」のシステムだから、、「貪欲な脳」が、自分の脳みそだけに頼るなんてことがあるだろうか、民主主義などという頼りにならないものに託すだろうか。リスク管理において考えてみてもそれはリスクが大きすぎる。不合理。だからとりあえず神様を持って来い、それはご都合主義というものと、スエーデンボルグが高邁な精神をもって断じています。
個人個人を作っている微細、極小素粒子、もしかして「気」を通じて?…個体間を越えて、共鳴したりしてくれないかな…これは簡単に否定しきれないところがミソ。そんな空想は僕らを安心させる。そんな空想に浸り、僕らはなんと都合よく作られていることだろう、、…なーんてね自己満足。そんなふうに空想を飛ばして僕ら一人一人が考えたら生きていくことに飽きてるひまはないんじゃないだろうか…人に働きかけたくなりませんか…あるいはこうも考えてみる…僕らの無意識は「自分自身のシステム」の中に自分自身を統治する絶対者を作らないし、「…」を作る緊張に耐えられない、そこまで不遜になり切れない…と考えてみる…どうこねくり回して考えてみても、僕らって本当によくできている…はい、以上は…稼業のペンキ屋で、シンナーをすいすぎて、隠居になり損ねた人の寝言でした。では長い前フリ:マクラ、、おしまい…目に着いた所引用していきますね。
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※ 早速引用していきます。くどいようですが以下はぼく用のメモです、ご興味なければスルーしてください。
第1章 科学者としての出発
1…天文学・機械工学の修業…
14〜16ページ
17世紀までのスウェーデン
太古、スウェーデン全土は厚い氷に覆われていた。その最南端から氷河が解け始めたのは、紀元前1万2,000年頃と言われている。厳しい寒冷との戦いは、後退する氷を追ってここに住み着こうとした人々を、心身ともに鍛え上げたに違いない。
バイキングと呼ばれた北欧古代の冒険家たちがキリスト教に改宗したのは、11世紀頃のことと言われている。
小国だったスウェーデンを北方の大国、バルト海の覇者にのし上げたのは、17世紀前半に活躍した「北方の獅子王」グスタフ二世アドルフ(在位1611〜32年)であった。彼は司法制度や郵便制度をつくり、北欧最古の大学、ウプサラ大学(1477年創立)を再建した。この頃、有名なファールンの銅鉱山はヨーロッパで最大の生産量を誇っている。
アドルフの娘クリスティーナ女王(在位1632〜54年)はフランスからデカルトを宮廷に招いた。しかし厳しい冬の気候に耐えきれず、デカルトは風邪から肺炎を併発して、1650年にストックホルムで客死した。デカルトの来訪は、やがてスウェーデンにも啓蒙の波が押し寄せる前兆であった。
クリスティーナの跡を継いだカルル10世グスタフ(在位16 54〜60年)と、その子カルル11世(1660〜97年)は絶対王政を確立したが、この2人は短命であった。
鉱山師の家系
エマヌエル・スウェーデンボルグは、1688年にストックホルムで生まれた。父イェスペル・スウェードベリ(Jesper Svedberg)はエマヌエルが生まれたとき、カルル11世に仕える宮廷専属のルター派の牧師だった。のちに中部スウェーデンのスカーラ教区の主教、ウプサラ大学の神学部長となっている。母サラ・ベーム(Sara Behm)は、裕福な 鉱山所有者の娘であり、父イェスペルとの間に九子をもうけた。エマヌエルは次男だったが、長男が早世したため実質的な長男として育てられた。母ベームはエマヌエルが9歳のときに、30歳で病死している。引用以上。
17〜18ページ
幼き日のエマヌエル
スウェーデンの讃美歌の作者としても知られ、時には天使とも語り合ったというシャーマン的素質を発揮したイェスペル・スヴェードベリは、その2番目の息子をエマヌエルと名付けた。その名前は「神がわれらと共に在す(います)」を意味する。神がわが子を愛し有為な人間となるように、とのその父の願いは空しくは終わらなかった。
ごく幼い頃からエマヌエルは、心霊的な感受性を持ち合わせていた。あるとき両親は、庭でひとりで遊んでいる息子を見かけた。ところが彼は、「遊び友達と一緒にいたよ」と言う。そのため両親は驚いて、「この子は天使と話ししている」と語ったという。スウェーデンボルグ自身の後年の述懐によれば、4歳から10歳までの頃には絶えず神や救い、人間の霊的な病といったことについて考え、6歳から12歳にかけては、信仰や愛について聖職者たちと語り合うのを好んだという(友人のバイエル博士への手紙、1769年)。
引用以上
(とにかく若い時から「普通じゃない」子供だったようですね)
第5章 普遍宗教への道
164〜167ページ
2…「救済神」イエス・キリスト
キリスト者としての内部批判
スウェーデンボルグの宗教は、宇宙の根源に一なる神を認める一神教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一神教であることは周知の事実である。しかしキリスト論という、イエスの神性と人間性とをめぐる解釈の違いが、この3つの宗教を分かつ標識になっている。キリスト教以外は、イエスの神性を認めていないからである。
原始キリスト教は、イエスが墓から甦り、聖霊が使徒たちに降ったことから興った。彼らは始め、復活したイエスを信じ、兄弟愛や友愛に基づく共同体を形成していたが、やがてパウロの信仰を中心にした教義や神学が徐々に確立していった。そしてキリスト教がローマの国教になったのち、ニカイヤ総会議で、父なる神と子なるキリストの同質性を強調したアタナシオス派の主張が正統派と公認され、それ以外の教説は異端として断罪されたのである。
スウェーデンはルター派を国教としており、スウェーデンボルグの父はその有力な聖職者だった。しかしスエーデンボルグ自身は、父の教派にもカトリックにも与(くみ)さず、キリスト教の基盤そのものへの原理的な批判を試みている。特にキリスト論において、彼の神学は伝統的な神学と袂を分かっている。
現在、一般にキリスト教の特色は何かと訊かれるなら、誰もがまずイエス・キリストを思い浮かべ、次に三位一体という言葉や、イエスが人間の罪のために十字架にかけられて死んだというドグマにゆきつくだろう。それからまた、最後の審判とかキリストの再臨といった言葉を漠然と連想するだろう。
スウェーデンボルグは、キリスト教以外の何らかの宗教を自ら唱道して、キリスト教を外側から批判したわけではない。彼はその内部から、キリスト教という名のもとに付着した不純な要素を告発し、それを除去することによって、消えかっていたキリスト教に灯を点け、その真の姿を復元しようとした。そして、そうすることはそのまま、「普遍宗教」あるいは「原宗教」と呼ぶべき人類の唯一の宗教の復元につながったのである。これを明らかにするのが本筋の目的である。
キリスト教の贖罪観
さて、彼によれば、教理や神学や教会が出来上がった4〜5世紀頃から、キリスト教は大きく横道にそれてしまった。彼はニカイア会議以後に反対派を封じ込める目的で作成され、正統派の信条として広く流布した、アタナシオス信条そのものが誤りであると言う。彼はその信条を、正しい三位一体を教えるものではなく、父・子・聖霊をみな独立した神とする三神教である、と見なしている。そして彼は、この三神教が信仰の対象を分断してぼかしてしまい、その結果、キリストによる代理贖罪という誤った教理をつくりあげてしまったのだと言う。以下、順を追って、伝統的な教理と彼の教説の相違点を述べてみよう。
カトリックもプレステスタント諸派も、大雑把に言って次のような贖罪観を持っている。
正義それ自体である父なる神は、人類の堕罪(これはアダムが犯した罪、つまり原罪を指す)を罰しないわけにはいかない。しかし神はまた愛でもあるから、人類を救わざるをえない。しかし、堕落し原罪を持つ人類は、もはや正義の神の要求を満たせない。そこで神の側で、その愛する独り子を世界に遣わし、これに人類の罪を負わせ、自分の子が十字架上で苦しんで死ぬのを見て、正義から発する自らの怒りをなだめた。以後、神は、この贖罪の業を信じるものに対しては、まったく一方的な恩寵によってその罰を免除し、原罪をから救おうとした。その救いを現実に遂行するのが、聖霊の働きである。
むろんキリスト教の信仰がこれほど単純に図式化できるわけではないが、スエーデンボルグは正統派の信仰をしばしばこのように要約している。
私たち日本人にはなじみにくい「贖罪」という言葉について、まず考察しよう。贖罪とは、罪を贖うことである。贖うとは、償うと同義で、金銭や物で罪や過失の埋め合わせをすることである。「贖罪」は英語でredemptionであり、「買い戻す、取り戻す」を意味する。この「贖罪」という言葉は、「出エジプト記」や「レビ記」に多く記され、犠牲や供物に関して使う動詞「償う」(atone)とか、「和解させる」(reconcile)に由来すると言われる。
もう一つ、聖書に出てくる「救済」という言葉を考えてみよう。この言葉は「救い出す、解放する」を意味することは明らかで、「罪からの救済」というように使うと、「贖罪」という言葉はとはかなりニュアンスが違う。しかもギリシャ語の「救う」という動詞には、「癒す」「健康にする」という意味が含まれている。
キリスト教において、イエスは贖罪者(the Redeemer)とも「救済者」(the Saviour)とも呼ばれる。ニ通りに呼ばれるのは、ヘブライ語に由来する「償い」「和解」という観念がギリシャ語の「救済」という観念に混入した結果と思われる。
…中略…
スウェーデンボルグの贖罪論
169 〜172ページ
それではスウェーデンボルグのキリスト論や贖罪論は、伝統的な解釈とどう違うのだろうか。以下、彼の教説を概観しよう。
スウェーデンボルグの霊魂に関する基本的な理説の一つに、人間の霊魂の内部は父に由来し、外部は母に由来するというものがある。イエスは、処女マリアが懐胎した神的霊魂として、自然的・歴史的世界に生まれた人間である。イエスの心ないし霊魂の内部は神自身であったが、マリアから受けた外部は私たちと同じ人間であり、私たちと同じように生まれ、成長し、また同じような意識を有していた。私たちの霊魂の内部は父から遺伝したさまざまな人間的欠陥や不純な傾向性を持つが、イエス霊魂の内部は無限の愛である神的霊魂であった。
科学は処女降誕を否定する。しかし処女降誕は、無限な神的霊魂が有限なものへ受肉するための、生物学的・心理学的必然性だった、というスエーデンボルグの主張は簡単には切り崩せない。なぜなら、こうすることによってのみ、本質的に罪のまったくないイエスが、私たちと同じようにあらゆる罪の誘惑や試練を受けることができる基盤を形成しえたからである。このようにして得られた基盤こそが、私たちの救済のための必須の手段になったのである。「主(イエス)」の生涯はその幼年期の初めから、この世で最後の瞬間まで、絶えざる試練と絶えざる勝利にほかならなかった」(「天界の秘義」1690)。
イエスはなぜ地上に生まれなければならなかったかの理由は、当時の世界がはらんでいた全面的な霊的破滅の切迫に求められる。当時は、霊界での善悪の均衡が崩れ出し、悪の力が優勢となっていため、人類の自由意志への神の介入がなければ、人類は霊的に滅びる寸前の危機的状況にあった。贖罪とは、霊界つまり天界と地獄、ひいては自然界の秩序の復元である。それは「地獄の征服、天界の秩序ある配置、および新たな教会の創設である」(「真のキリスト教」115)。
無限で全能の神といっても人類を救うために、有限な存在者に適用される法則性を無視することはできない。無限者である神が地獄に近づくことは、太陽が直接氷に触れて、これを一瞬のうちに解かしてしまうようなものである。地獄の霊たちを教え、諭し、彼らの悪を緩めるか、善の方向へ撓めるかするには、神は有限な「人間性」を身に帯びなくてはならなかった。当時、人類の一部が陥っていた地獄の深みに、こうすることによってのみ神は接近することができたのである。
それでは、霊界や自然界の秩序を取り戻すために地獄を征服し天界を再編成したとは、どういうことなのか。スウェーデンボルグは、それは人間の霊的な自由の回復を図るためだったと言う。
人間は善と悪、真理と虚偽を選択できる自由な状態に置かれるのが本来的な状態であるにもかかわらず、当時は悪の力が増大して霊的な善悪のバランスが崩れ、「霊たちの世界」だけでなく、天界の社会までもが地獄の霊たちの勢力によって侵害され始めていた。この霊的な危機から霊界と自然界の人類を救済するために、創造の神ヤハウェはイエスの中に自らの「人間性」を取得し、これを手段として、地獄の霊たちを、人間の自由を侵害しない程度にまで服従させたのである。
このように一般に贖罪とか贖いと言われる神の業は、唯一神ヤハウェ自身の、人類への完全な愛からなされた神的な行為であった。それは、イエスという歴史的な人格における、現実の悪や罪との戦いと勝利によって達成されたものである。十字架の試練はその最後の現実的な戦いであり、イエスは十字架の死によって人類の罪の身代わりになったのではなく、その試練をも克服して人類を悪と罪から解き放ったのである。引用以上。
真の三位一体とは
174〜175ページ
スウェーデンボルグが復元した真の三位一体とは、次のようなものである。
創造者なる唯一の神は、人類の救済のために受肉して地上に降り、自らを私たちと同じような心と肉身で覆うことによって、救済者イエス・キリストと成った。それゆえ、イエス・キリストにおいて神は神人であり、神は一人格である。別言すると、イエスの人間性に内在する神的霊魂は、同時に創造者・救済者である、唯一の無限なる存在者である。
ここから、真の三位一体は明らかになる。すなわち、父とは神性それ自体であり、子とは神的人間性であり、聖霊とは、無限の神性が神的人間性を通してすべての被造物へと発出する、神的発出である。そして「父・子・聖霊は一なる神の三つの本質的な要素であり、この三つは、人間において心・身体・活動が一つであるように一つになっている」(「真のキリスト教」166)。
イエスは伝統的な贖罪論が唱えるような、人類の罪の身代わりとして父なる神に罰せられた神の子ではない。イエスは、新生のプロセスにあって自らに信頼を寄せる人間を、新生させる者、聖化する者、つまり聖霊として導き助ける救済神である。こうした積極的で力強い救済観は、愛する独り子の十字架の苦悩と死を、自己満足の混じった悲しみをもって眺めて自らの怒りを静める神といった、自虐的な贖罪観とは雲泥の差があると言えよう。
178〜179ページ
信仰とは「絶対愛への信頼」
…前略…
まずはっきりするのは、彼の説く信仰が、キリスト教会で広く教えられる代罰や代理贖罪と言う観念と結合した、いわゆるイエスの十字架への信仰とは異なることである。スウェーデンボルグの言う信仰は、決して神秘的なものでも謎めいたものでもなく、もっと直接的で体験的なものである。
彼の説く信仰は、ひとことで言えば、自分を常に愛し導く絶対愛の神への信頼である。ドイツの宗教哲学者シュライエルマッヘルに倣ってこれを「絶対依存の感情」と呼ぶこともできようが、スウェーデンボルグにおいて信仰とは、神への直接的な信頼という言葉以上のことを意味しない。そして生ける神への不断の信頼こそ、救いの根本条件であると彼は考えるのだ。
信仰と救いについて、別な観点からのスウェーデンボルグの教えもある。彼は信仰と愛をペアにして考察することがある。信仰は「真理」に属し理解力に関係するのに対して、愛は「善」に属し意志に関係する。この視点に立てば、救われるためには信仰だけでは不十分であって、信仰に必然的に伴い信仰の生命とも言うべき愛が実践されねばならない。
私たちが神を信頼し隣人を愛するのは、それによって神の正義を委譲されたり、未来の抽象的な天国に入る条件を獲得したり、最後の審判の際に天罰を免れるためではない。人間は、自らの創造主・救済主なる神を信頼し、その導きに自らを委ね、自己愛に死に隣人愛に生きること自体が天国であり、そこにおいてこそ、確固たる内なる平安と幸福が実現する、とスエーデンボルグは断言する。引用以上。
最後の第6章…晩年の日々…スウェーデンボルグに魅了された人々…219〜221ページ抜粋引用します
イギリスでは、詩人のコールリッジやブラウニング夫妻、アイルランドの詩人イェイツ、アメリカでは、開拓時代にリンゴの木を植えた男として民話のヒーローになった、ジョニー・アップルシード、ドイツでは神智学の創始者のO・F・エティンガーをはじめ、ゲーテ、シェリング、ショーペンハウエルなど、フランスでは、バルザック、ボードレール、ヴァレリーがスウェーデンボルグに注目したとありました。ロシアでは、ドストエフスキーへの影響が顕著である。「罪と罰」のスヴィドリガイロフの性格描写や「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老の説教に、スウェーデンボルグの教説の反映が見られる(…カッコ内省略)。ちなみに、ソ連連邦崩壊後、ロシア、ウクライナをはじめ東欧諸国では、スウェーデンボルグの著作の翻訳が急増しているという(以上抜粋による引用)。
(前にも言いましたが…ドストエフスキーが言ったという…僕は真実と共にあるよりはキリストとともにいたい、その発言の意味をずっと考えていました、僕はドストエフスキーがシベリアの流刑地で…キリストの行動にしびれたのだと思いました、愛に全存在をかけたキリストに寄り添うような魂、それがたとえ大いなる虚構であったとしても到達し得た人間の奇跡を讃辞し、こうべを垂れる、偉大な作家の感性を見た思いです)
あると思えばあるないと思えばない…禅問答のようですがさすがパスカルですね、とても大事なことを言っていますし考えさせる説問にもなっていると思います
スウェーデンはよく知られた国ですけど、歴史でスウェーデン史を習うことは滅多にありませんね。デンマークの方は、英国を侵略してアルフレッド大王に撃退されたという話が西洋史のかなり早い時期に出てくるのですが。実はスウェーデンはドイツを結構虐めた時期があるのです。この前の私のブログで触れた三十年戦争、そのときプロテスタントの癖にカトリックのフランスから財政支援を受けてカトリックのハプスブルク家を攻めたりして、もう誰が誰の敵で誰の味方だか滅茶苦茶になった時期がありました。
でも基本的にドイツとスウェーデンは友好的にやっています。今の王妃がドイツ人(ハイデルベルク出身で、国王とは彼女がコンパニオンをしていたミュンへン・オリンピックで知り合ったんですって。どこかで聞いたような話。長嶋夫人でしたっけ)であることも大きいらしい。
欧州の例にもれず、スウェーデンも今の国境はかなり新しくて、ノルウェーと一緒だったりバルト国をその領土にしたり、今でもフィンランドの国語はフィン語+スウェーデン語なので、北欧4国はよく分からない親戚同士という感じです。北欧史の本って見たことがない。
スウェーデンはだいぶ前、2004年にゆっくり廻りました。古都ウプサラも。うちの亭主はそこのリンネ植物園を見せたかったらしい。英国のキュー・ガーデンなどに比べると小ぶりで可愛らしかったという記憶があります。ファールンその他の鉱山にも行きました。銅に加えて銀山もかなり多いんですよ。スウェーデン人ってよそよそしい感じですが、鉱山案内はなぜか若い学生さんでみんな親切でした。サーラだったか、先代の国王が見学に来られ地下の闇(まさに真闇)の中でさすがプロテスタントだけあってルター作曲の「神はわが櫓」を歌ったそうで、私たちにその賛美歌を聞かせてくれました。何だか懐かしいなあ。
デカルトはストックホルムで亡くなったのですか。知りませんでした。客死ですね。なんでまた冬に北欧へ。当時は地球温暖化も無く、暖房設備もお粗末で、どんなにか寒かったでしょうに。
神学の研究というのは、(私から見て)とても不思議なことに、この21世紀においてもドイツではかなり盛んなんです。研究って、どんなことを追究するのでしょう。どんな理屈・理論も神様を対象にして証明することは難しいでしょうに。もっとも証明できない分野といえば文学だって同じで、論文ったってはっきり言えば「感想」みたいなものでしょう。でもドイツでは神学部を卒業すると聖職に就けて、しかも公務員として一生保障されているせいか、人気があります。給料の原資は大部分「教会税」です。私は時々このドイツという国が分からなくなります。有機体ドイツのある部分は、完全に進化停止に陥っているという印象です。
信仰となると私などは何も言えません。これが宗教史なら面白い側面もあるのですが、信仰なんて上記の通り証明できない、さらにそれで他人を説得するのも無理。
なんですけれど、私が何とか折り合いをつける上で参考にしているのが「パスカルの賭け」です。デカルトの同時代人で、結構互いに論争もあったらしいパスカルがとても面白いことを言っているのです。
・神が存在すると信じて、本当に神が存在したら、その人は天国に行ける。神が存在すると信じたのに、神が存在しなかったら何も得るものはないけれど、その損失は限定的なものである。
・神は存在しないと信じて、実は神が存在するとなったら、その人は地獄に落ちる。神の存在を信じず、そして神が実際に存在しなかった場合、損も得もない。
ということで、あの世での身の(いや、魂の)安全のためには、神の存在を信じていた方がいいよ、というのです。
もちろんこれは少なからぬ哲学者や神学者から批判されたり馬鹿にされたりしましたが、私は「うん、これは言えてる」と気に入っています。