大地:パールバック作 深沢正策訳(ジュニア文学名作選 アイドル・ブックス・28)1971年4月第1刷
僕は読み始めて31ページで涙をこぼしているのに気がついた。序奏で泣いてどうする、次に早くもテーマの全貌が示される… 32〜33ページ
…中略…
ある日、王竜(ワン・ルン)が、日ましにそだってくる小麦に追われて、背中が痛いのをがまんして、こごでうね(うね、傍点付き)を耕していると、鋤(すき)をかついで阿蘭(オー・ラン)が、そばに立っている。
「晩まで、うちには、することがありません。」
かんたんにそれだけいうと、彼女は、彼とならんで、左側のうねを耕し始めた。
夏のはじめだから、太陽は、きびしく照りつける。すぐ阿蘭の顔からは、汗が流れおちる。王竜は上着をぬいで、上半身は裸になったが、阿蘭はうすい着物を肩からかけている。そのうち、それも汗にぬれて、からだにぴったり密着してしまった。ニ人は口もきかないで、同じように働いているうち、いつか仕事の調子が…リズムが合ってきて、彼は労働の苦痛を忘れた。彼の頭のなかには、口にだしていえるような考えは、なにもない。ただ調子の合った、運動があるだけだ。その運動とは、彼らの家をつくり、彼らの肉体をやしない、彼らの土地の神をつくった土地を掘りおこして、太陽にてることである。土は肥えて、黒く耕しやすい。ときどき、レンガの破片や木片を掘りあてるが、それは何でもない。ある時代には、この土地に男女の死体が葬られたり、家が建てられたり、たおれたり、みんな土にかえったのだ。そのように、彼らの家も、彼らの肉体も、時が来れば、土にかえる。だれも、順番にこの土にかえるのだ。引用以上。
(泣いた、のは昔読んで感銘を受けた、素朴な魂、のシーンを思い出したからです。本を読みながらこの2人とともに歳をとっていく自分自身をひしひしと感じました。302ページの年譜、、1931(昭和6年) 39歳「大地」の第一部を発表。たちまちベスト・セラーとなり、世界的名声を博した、とありました。今回有名なこの本を読んでよかったです。70過ぎてしみじみ味わえてよかった。現在の中国の若者たちはこの本を多分知らないのだろう。なんかそんな気がしました。「代」が変われば、世の中も変わっている。引継ぎ引き継がれる両方の世代にあきらめがある、その辺の納得の仕方が…僕自身年取ったなぁと思う。甥っ子たち、そして兄と僕…それぞれ全く違うものを見ている…それがわかる年齢になったという事で…それが歳をとることだと、納得できました…歳をとりました、このシリーズ、ちょっとお休みをいただきます)
「大地」を読んだのは中学生の時でした。当時は13~15歳の子供が読むのに適した本があまりなくて詰まらなかったのですが、図書室で見つけて、夢中で読みました。読んだのが晩冬・早春だったことを覚えているのは、裏庭に当時あったザボンの木から実をもいで、その皮をはいで果肉を皿に山のように積み上げて、それを口に運びながら読んだからです(ザボンに興味を持つ人は家族にいなかったので、木全部を独り占め)。
私は妻のオーランが妊娠したとき、畑でそれを夫に告げる場面に感動しました。「子供ができました」それだけ。
そうですね、たくさん本を読み続けたのでちょっとここらでたので一休みしてもいいですね。でもザシキローノマドの方は続行なさるのでしょう。