味なもの 読売新聞社会部編:現代思潮社: 1953年6月刊
(70年近く前に出版された本ですね。僕は当時5歳。本の中には老舗の味だの市井のたい焼き屋だのいろいろ出てきました。パラパラとめくっているうちにあれよあれよと読み進めてしまいました、、
船に乗り込んで江戸川で網に引っかかった魚で天ぷら、、)
江戸川の夜景を肴に…網徳… えと文 小野佐世男…から引用します
233 〜235ページ…
上野からトロリーバスで白髭をぬけ、亀戸天神から今井の終点に至れば江戸川べりは早間近か、ニ町ほど行けば江戸川堤は今井橋のたもと三代目あみ徳に着く。あみ徳のおっさんは、日焼けがしていて如何にも子供の時から川を友としたお人好しに見えた。
「馬鹿に風が強いね! とんでもなく船に弱いんだが…」土手の葉桜がひるがえるのを見て心配すると、「大丈夫ですよ。この川はひねくれていて、嵐の日でも、ひでえ風当たりのところもあゃア、まるで、おぼこ娘のような静かなところもございやす。がきの時からつき合ってる川でさあ。おまかしなせえませ」と息子さんの四代目あみ徳さんと、ごま油、しょう油、七輪を船に運び、「サアーお乗んせえ」と早や棹に雫。
…中略…
そのぜんといい船べりといい、ふき清められた総檜、まるで数寄屋づくりの料亭のようだ。江戸川は潮みちるたそがれ時、水と空に目醒めるような緑の一線、「今頃はうぐい、はや、かれい、鯉、白魚なぞが捕れやす。廿分もして海へ出ますと、ぼら、いな、芝えび、せいご、こはだなどが、四季それぞれに網にかかって面白いですよ」。あみ徳旦那はともで櫂を操る。息子さんはへさきで、十五畳に開くという大網を水にしめして肩にかけ、キリッと川面をにらんだと思うや、まるで打ちあげ花火のようにキレイに開いた投網がザアーと川面に円をえがく。これが有名な細川流のうち方だという。静かにたくしあげる網の目にキラキラ夕ばえにきらめく銀鱗ニ尾、三尾、ピチピチと生のいい七八寸のうぐいがはねあがる。思わず喝采、幾たびか頭上にパラシュートそのまま網が開くのに、一滴のしずくも落ちない。投網の技術をここに至れば天下一品。太陽はよしの影に赤々と沈んでよしきりがなく…。「へい、今とれましたうぐいのあらい。これで一ぱいやっておくんなせい」
あみ徳旦那は目ざるに氷をひき、その上にすき通るようなあらい、そして茶わん酒、その美味はとろけるようだ。清流に住む魚の味は格別というところ。おだやかに静まり返った夜の水はほの明るく、時々銀色に光るのは、魚のはねる姿か、酒はよし、魚よし、江戸川の網船の情緒は夢のようだ。ジージーいう油のたぎる音、天ぷらだ。「お座敷天ぷらでは、油のにおいで食べないうちに食べたように鼻にきてしまいますが、この川の上の天ぷらは、ご覧なさい、油のけむりは空へ逃げてしまいますよ。さあー、熱いうちに召し上がれ、川の上ではたくさん食べられますよ」白魚、うぐいの天ぷらが皿にもられ、夜明にも食欲をそそる。夜になると夜気の冷気でみっちり揚がるのか、その美味さは何ともいえない。引用以上
(こんな風景が僕が5歳の頃、江戸川に広がっていたなんて。兄にはあの頃近くの小川は澄んでいたなんて聞いていたけれど、江戸川で四季折々の魚が捕れたなんて…びっくりでした。文章もきれい。
今日は夜7時から再開発会議…その前に、こんな文章読んだからには…いただいてきた果物みたい甘味の強いにんじんをスティックにして日本酒いっぱい引っ掛けて出席します、質問はメモにしてあるので大丈夫…あはは)
小説や随筆を読んでいると大川(隅田川のことをこう呼んでいたそうですね)のことは結構出て来ますが、江戸川もそういう粋なところだったのですか。荒川なんかはどうなんでしょう。荒川の堰は仕事で見に行ったことがあります。
宮部みゆきの茂七親分シリーズは本所深川が舞台なので「大川で土左衛門が」なんて話が出て来ますね。永大橋なんかは今もあるし、富岡八幡宮も賑わうのでしょ。
近くの小川の水が澄んでいたというお兄様の思い出、分かります。うちの前にも水路があるのですが、昔はそこに「くみじ」というのを設けてそこで野菜を洗ったり洗濯物を濯いだりしていました。「くみじ」というのは、道路から少し降りた位置、手を伸ばせばすぐ水に触れるところに板で小さなプラットフォームみたいなのを立てて、そこで洗い物をするんです。これは方言だと思っていたら、四国には結構あったということが分かりました。
以下は愛媛県伊予郡松前町のホームページで見つけた説明です。
<各家庭に面した小川には「くみじ」が設けられていました。共同利用もできるように、石垣を組み、花こう岩の石段が設けられ、「くみじ」と呼んだのです。 子ども達が身近に接する水辺は「くみじ」でした。しかし、町内の所々にあった「くみじ」は次々姿を消しつつあり、一部が大間の泉川・長尾谷川すじに残っているにすぎません。>
石段のくみじは、ラインの上流にあるスイスの村で見たことがあります。
写真はわが家の前に今も残る水路です。道路を隔てて右側が我が家です。3,4歳くらいの頃はここで泳いだことも。夏休みに帰省した甥たちはメダカとフナ取りを楽しんでいました。10年ほど前に市当局が川底の砂利を除去しコンクリートにして、様相がすっかり変わってしまいました。水は汚れてはいませんが(家を管理している義弟が送ってくれた最近の写真では、雨が少ない時期だったらしく淀んでいる)、もう昔の趣きはありません。
・葱洗うくみじや水の清かりき びすこ