富の福音:アンドリューカーネギー著:田中孝顕監訳:きこ書房2011年2月発行
(この本を読んだのには訳がある。カーネギーのエピソードと共に1人の恩人のことをまた思い出したからだ。この本が100年前のアメリカの人々を力付け資本主義のダイナミズムの精神的支柱になったであろうことは想像がつく。働くことの喜び、誇り、友情と信頼の確認、成り上がってゆくエナジーの素、100年後の僕らが彼を批判する事は簡単だ(簡単か?)、テレビのアイドルのようにアンドリュー・カーネギーはもてはやされた、織機が手工業を駆逐し、電信が情報の先駆けとなっていった時代、流通が世界を縮めていった時代。富の力をまざまざと見せつけられた時代、アメリカ人に勤勉と工夫を鼓舞した1冊の本…時代背景を思えばやはり日本人にとっても感慨深い本だと思う。今こういう本を家庭の書棚に見つけて嫌な気分を起こす人も多いだろう。資本主義に押しつぶされそうになっている大多数がそうだと思い切って言ってしまって良いかもしれない。富の別の一面に立ち会っているからだと思う。そもそもは家庭の幸福を築くための富が今世界をゆがめている、、という展開は別の機会に、、今はこの本を小説のように楽しもう、何が、どんな言葉が当時の人々を揺さぶったか。目次から。
序章 実業家への道
第1章 富の福音
I 富はこうして生かせ
II 富を社会に還元
する最良の方法
第2章 富に対する誤解
第3章 トラストに関する幻想
第4章 労働問題と経営者の見解
第5章 アメリカの興隆と帝国主
義
I 国家間の同盟は頼りに
ならない
II 「神」の名による侵略
は愚行
14ページ
はじめての給料…
アメリカに渡った私たちの家族4人は、ピッツバーグの対岸の街、アレゲニーに着き、そこで父は紡績工場に勤めることになった。私もまもなく同じ紡績工場に、週休1ドル20セントの糸巻工の見習いとして就職した。こうして、私の実業家となる道を歩む準備が始まったのだが、このとき私はまだ12歳の少年だった。そして就職した最初の週の終わりに、私は生まれて初めて、自分で働いた賃金を手にしたのだった。
最初の1ドル20セントの給料を手にしたとき、私がどれだけ自分を誇らしく思ったかはどのようにしても言い表すことができないだろう。私が世の中で役に立つことをしたかったからこそ与えられたお金なのである。また私は、家族に寄与する一員としても認められたのである、もう父や母に全面的に頼らなくても済むのである。
思うに、少年のうちに真の男らしさの芽がいかなるものであれあるならば、家族や社会のために役に立っているのだ、という自覚ほど少年を大人にするものはないのである。それは、正直に肉体労働をしたことに対するまさにその報酬として与えられたものであり、その報酬は一生懸命に働いた1週間の代価であった。
あの日から今日に至るまでの間、私が取り扱った金銭は合計でどれほどになるか、自分でも計算できないほどの巨額である。しかし、収入を得てこれほど素直にうれしいと思ったことはなかった。この1ドル20セントで得た本当の満足に勝るものはないだろう。(生活に苦労している両親に対して胸をはれる気持ちにもなっただろう)
(その後キャリアアップを重ね…)
24 〜27ページ
私は4度目の転職をした。スコット氏(※鉄道建設事業の総監督で、アンドリューを電信会社から引き抜いた?人物)が約束してくれた給料は、月額35ドルだった。ちなみにスコット氏は125ドルであった。私は18歳になって、ピッツバーグの市民としては一人前以上の収入を得る地位につくことができたのである。鉄道の将来性についての私の予想は完全に当たったが、私自身について言うのなら、それは予想以上のものになったと言えるだろう。私はペンシルバニア鉄道に入って6年後、スコット氏は副社長に昇進し私はその後釜としてピッツバーグ地区の総責任者となった。
25ページ…初めての株式投資…
ペンシルヴァニア鉄道に就職してしばらくたってからのことだった。スコット氏は私にある日突然、「君は今、500ドルの資金を調達できるか?」と尋ねた。…(この後、家族に相談し家を抵当に入れてお金を工面しこの会社の株式を買って月1%の配当を初めて小切手で受ける…その小切手を友人に見せる…)
27ページ…
私がどうしてその配当を受け取れるようになったのかを説明すると、友人の1人は、私にこう言ったのだった。
「アンディー! 素晴らしいぞ。君は資本家になったんだ! 」
(このときの友人の喜ぶ顔、アンディーが心に焼き付けなかったはずはありませんね、…というわけで、彼の気質、というか性分、は確認できたということにして…その後の活躍は大幅に省略します
(この時、意識の底でアメリカの仕組み、成り上がれる仕組み、つまり今でいう資本主義の全貌を直感したのだと思いました、いずれ世界はアメリカのようになる…誰も束縛しない束縛されない自由の国アメリカ、あはは、ちょっと先走りましたが、ついでにこの先の彼の活躍大幅に省略し、彼のその後の発言の核心をチェックしていきます…くれぐれも100年前の発言である事に留意してください、つまりその、我々は生まれていないのですから発言、反論? のしようがない…これは冗談です)
46 〜48ページ…間違った思想
現在の社会が不平等であることに不平を唱えて、アメリカの社会組織に非難攻撃を加える人たちがいる。過去から現在に至るまで人類が経験してきたさまざまな社会組織と比べるなら、現在のアメリカ社会は優れたところはあっても、劣ったところを見出すことはできないのである。
そして、今日、アメリカ社会に氾濫するさまざまな改革案は、提唱者の言うような素晴らしい結果を生み出すという何の保証もないのである。
人間の文化は、歴史もさだかでない古い時代に、より勤勉に働く労働者が、無能で怠惰な同僚に対して、「蒔かぬ種は生えない」と自らの収穫の平等な分配を拒絶したことから始まっている。こうして原始共産主義を葬り、働く蜜蜂と働かない雄蜂を区別することによって、生産力が向上して、社会組織が生まれたのである。したがって、その社会組織を根本からくつがえそうという社会主義政党や無政府主義政党の主張は、単なる体制の変革ではなく、人間の文化の歴史を、根本から破壊しようということと同じなのである。
偏見を持たずに考えてみれば、現在の文明がすべて「私有財産制度」に基礎をおいていることに誰もが気がつくはずである。労働者は貯蓄銀行に預けている数百ドルの預金を守り、増やすために勤勉に働き、富豪は同じように数億ドルの財産を守るために心を砕くのである。
アメリカ社会のバックボーンであるこのような個人主義を改めて、共産主義社会を建設しようと運動している人たちに私は警告したい。あなた方が夢想する共産主義社会は、人類が過去にこれを試みたのである。そして、一歩一歩、その古い組織から脱け出してきたのが、今日ある人類の文化史なのである。
富を生み出す脳力と忍耐を持った者が富を蓄積したことで、人類に利益を与えたことはあっても、害を与えたということはない。いま仮に一歩譲って、個人主義を廃止することが人類の利益であるとしよう。そして、すべての人が自分のためにだけ働くということはせずに、仲間のために働き、仲間とともに労働の果実を公平に分かつことが実現するのなら、それはたいへんけっこうなことである。
しかしそれを実現させることは、社会の進化というような穏やかなものではなく、過去のすべてを断絶した革命だと言わなければならないだろう。
このようなことを成功させようというのなら、単に社会体制を変えるだけではなく、人類の天性そのものを変えていかなければならないが、そのようなことは、とうてい50年や100年の間に成し遂げられることではないのである。…中略…
49ページ
社会体制をたとえば果樹にたとえるのなら、人の力の及ぶ限度は、樹はそのままにしておいて、良い果実を結ばせるために、少しばかり枝ぶりを整える程度である。
そうした改良、改善を考えずに、いきなりその果樹を、根抜きにして、どのような果実を結ぶかわからない苗を植えようというのは、無謀を通り越した犯罪行為だとさえいえるだろう。
50ページ
富はどのように使うべきか…中略…
富めるものが富をどのように使うのかということに注意を向けることは、現在の社会体制を是認するためにも、きわめて重要なことなのである。
巨額の富を処分する方法は大きく分けると次の3つがある。
第一は、富を遺族や子孫に残すことである。
第二は、社会公共のために富を委譲することである。
第三は、富の所有者が自分の生存中に自らの経験を生かして、公共のために運用することである、
52ページ
富の遺贈について
富の処分の1つの方法として、財産を公共機関などに遺贈することがある。しかし今、子細にそれを見れば、満足できるような結果をあげているものはほとんどないといってもよい。仮にある程度の結果をあげているものがあるとしても、もし、遺贈者が生前にその富を適当な機関に寄付して、自らその運営に責任を負えば、なお見るべき効果をあげられるのである。富の運用は、その富を蓄積した者が、もっとも多くの経験と知識を持ち、もっとも多くの結果をそこから引き出すことができるものである。
富を運用することは、富める者の権利であるとともに責任でもある。なぜなら、蓄積された富を真に社会のために役立つように使うことの困難さは、富を蓄積する困難さと比べて少しも変わりはないのである。
57ページ
富を持つものの幸福と義務…
人の一生で、富を求めるためにめぐり会える機会は、決して多いとは言えない。しかし、そのような中でも、富豪でなければ味わえない満足と幸福がある。その幸福とは、自分が生きている間に、公益を目的とする財団法人を組織し、基本財産を寄贈することで、そこから生み出す利益をもって、社会に永久的に利益を与え続けることを自分の目で確認できるということである。そのような行為が、富豪の生涯を高尚なものにし、神聖なものにすることができるのである。
主イエス・キリストは、「汝ら、兄弟のために働け」と教えたが、その心を忘れなければ、富める者がその富と自己の能力を使って、貧しい兄弟たちのために働く方法はいくらでもある。引用以上。
この発言を裏付けるようにこの本の監訳者は、111ページから112ページの注意書きで述べている、、、カーネギーは67歳になった1901年に実業界を引退、自分が創業してアメリカの鉄鋼生産高の50%を占めるまでになったカーネギースチールを、約5億ポンド(当時の交換レートで約20億ドル)でモルガン財閥に売り渡している。
しかしこのとき、カーネギーがモルガンから受け取ったのは現金ではなく大半が年5分利付きの社債だった。モルガンにそれだけの現金を調達する力がなかったと言うわけではないが、仮に現金で支払いを求めたら、モルガンは買収したカーネギースチールをいくつかに分割して、一部を切り売りする必要があったんだろう。
カーネギーの社会事業への寄付は、この社債をそっくり基金として寄付し、社債の生み出す金利を、それぞれの社会事業の恒常的な支出に当てるように配慮したものだった。「企業の倒産を顧みず、すべてを現金にかえて、社会事業に寄付する」ような無謀なことはいっさいせず、寄付を贈られる側にも自立を促すように配慮したのである。引用以上。
(ここまで読み進めて…今日富を得たものは財団を作りファンドの金利で組織を運用しているシステムは世界中に普通にある、ことに改めて驚きます、それにつけても今カーネギーが生きていたら、巨大企業がゴーイングコンサーン:企業の継続、、という前提についても何かアイデア、というか「考え方」を出してもらえたかもしれませんね、青少年たちが未来を作っていく気になるような「考え方」。それは100年後も金:かね(ビットコインというようなものも含めて)が行き交うという前提の世の中なのか…100年後も戦争が存在する、装置としての戦争(ショックドクトリン?)が存在する世の中なのか…嘘の情報がいまだに跋扈している現状で、国民全体が人質になっているという自覚もはぐらかされる時代、、…国民の集合知、にすら信頼がおけない時代は…未来に聞くよりは過去の歴史をさかのぼって…信頼できる先人たちを生き返らせて?!議論してみるようなシュミレーション真面目に検討してもらいたい…もう誰かやっているなきっと…あはは、笑っている場合じゃない。
たっぷりのおまけつけときます、当時の世界の趨勢と考え方が垣間見られるからです、これが、書かれたほんの20年後にロシア革命が起こるとは…)
…第5章 アメリカの興隆と帝国主義(※1899年の記述だと思われます)
168ページ…I 国家間の同盟は頼りにならない!…極東の領土と戦争の危険…
私はいくつかの理由により、極東の領土は危険をはらんでおり、アメリカにとっては不幸をもたらすもの以外の何ものでもないと思っている。
最近では1週間が無事に過ぎるのはまれで、次々に入ってくる驚くべき報告は、列強間の戦争の兆しや新同盟の締結、そして同盟相手の鞍替えなど、戦争に向けての情報ばかりである。世界の造船所、銃砲製造所、装甲製造所が昼夜兼行で忙しいのは、この極東の問題が原因となっている。まさしく極東に落雷の恐れがあり、嵐はそこで起きるのである。
日清戦争で日本が中国に勝ち、の中国領土の一部を譲り受けてからわずか4年しか経っていない。そこで登場したのがフランス、ロシア、ドイツの同盟で、彼らは日本を中国から追い出してしまった。ロシアは勝ち取った土地の一部を手中に収め、ドイツものちにその近くの領土を手に入れたが、日本はすべてを取り上げられた(訳注:三国干渉を指す)。
列強の中でもっとも力のあるイギリスは中立の立場をとったが、もし、イギリスが日本の肩入れをしたならば史上最大の戦争が勃発したかもしれない。
ドイツが中国の特定地を譲り受けると、イギリスはいち早く首を突っ込んできて、ドイツは中国領土の「門戸開放政策」を維持すべきだと要求した。同様の要求がロシアに対してもなされた。両国とも仕方なしにこれをに同意した。極東はダイナマイトの宝庫であり、いつ爆発するか分からないのである。しかもアメリカは、戦争が起こればこれに参加しようとしている。そのようなことになれば、日本が中国領土の一部を取り上げられたのと同じように、アメリカもフィリピンから手を引かざるを得ないくなるだろう。
…中略…
172〜 179ページ
国家間の同盟は頼りにならない!…
デイヴィス議員の主張※→
(※「私はアメリカ、イギリス、日本の同盟条約に賛成であり、これは三国における赤道以北の利益を保護するものである。その他の各国はわれわれらに対して健全な恐れ、言い換えれば尊敬を抱くようになるだろう」)
→デービス議員の主張は正しい。つまり、スペインからフィリピンを取り上げるのはイギリスによって許可されたのである。極東における私たちの立場はイギリスの継続的援助または同盟しだいである。これはアメリカが屈辱的な立場にいることを示している。
とはいえ、アメリカはイギリスとの同盟に頼ることができるだろうか。国家間の同盟はヨーロッパにおいては目まぐるしい早さで変貌している。
フランスとイギリスは同盟してクリミア戦争で戦った。両国はアメリカがマニラを勝ち取ったようにセバストポリを勝ち取った。両国の国旗は仲良くその日にひるがえったが、この事実によって領土要求の権利が双方にあることを意味するとは、どちらも思わなかった。
今日、ロシアとフランスは固く同盟を結び、イギリスや他の国々に対抗している。ドイツはオーストリアと戦ったが、今日ではともに三国同盟(訳注: 1882年ドイツ・オーストリア・イタリア三国間に結ばれた秘密軍事同盟)を結んでいる。イタリアはフランスと同盟してソルフェリノの戦いを戦ったが、今日イタリアは三国同盟に加入してフランスと戦っている。ヨーロッパはいわば万華鏡である。同盟国は変わり、決裂し、ふたたび同盟して、さまざまな事件によって別の形を形成する。
最近までドイツとイギリスの間に存在していた深刻な不和は、トランスヴァールにドイツが干渉したのが原因だったが、この1週間の間に変化を遂げた。そして「両国は多くの点を理解し合い、将来はよりいっそうの協調を期待する」との発表がなされた。この原稿を書いている今朝はといえば、フランスとドイツは共通の目的のために同盟を結ぶかもしれないと報じられている。これは少し前ならまずありえないと思われていたのだが、ドイツとフランスが中国から日本を追い出すためにロシアと同盟した事実を政治家はよもや忘れてしまったわけではないだろう。
まったく調和しえないように見えても、不可能な同盟や将来にも結ばれることのない同盟などは存在しない。その国家の手近な利益や野心を満たすためには、同盟の可能性やそれをキャンセルする可能性はどちらも存在し得るのである。デイヴィス上院議員は、自国のためにイギリスや日本と同盟を結ぶことに満足ないようだ。仮に今日、同盟を結んでいたとしても、それは一晩たてば一文の値打ちもないものかもしれない。
したがって私は、アメリカの政治家はどんなことがあっても、強靭な軍事力で自分を守ることができない立場に自国を置いてはならないと思う。今のところはその軍事力は、たいして頼りにならない。軍艦81隻は、考慮にいれるにはあまりに微々たる数である。では陸軍はといえば、正規兵万6000人が何になるというのか!アメリカ陸・海軍は自国より強い列強に、やすやす痛撃されるか崩壊させられるくらいしかないのである。
アメリカが極東に置いて頼りにしなければならないのがイギリスらの保護である。なんともか細い糸である。アメリカは、次々と位置を変える砂漠に置かれた同盟の上にしか、基礎を築けられないのである。(さらに長くなりますが続けます…)
175ページ…アメリカは帝国主義列強と同じ振る舞いをしてよいのか?…
私は、一人立ちができるほどアメリカは強くなれないとか、アメリカは帝国主義の強国となれないがイギリスの弱い子分ではない、などと信じる人々の仲間ではない。
アメリカ自身が帝国主義で強国となるには、帝国主義強国と同じような振る舞いをしなければならない。他のどんな列強の海軍にも勝るとも劣らない海軍を作らなければならない。さらに、海軍に協力する何十万人もの陸軍の正規軍が必要である。
もしアメリカがひたすら休むことなく、イギリス海軍に匹敵する海軍を作ることに専念するとしよう。他の列強の思い通りにされまいとするならば、海軍は絶対に必要である。そうすると1年に20隻の軍艦をつくったとして20年以上の計画となる。今までのところ、アメリカの海軍は1年に6隻しか造っていない。20隻であれ6隻であれ、これらの船に乗組員を配置するには、そのための教育をしなければならない。
間違いなくアメリカにはこの能力が備わっている。海上であれ陸上であれアメリカ兵士には、他国の兵士と比較して控えめに見ても同等の力があるのは否定できない。それよりも、私はアメリカの職人とりわけ機械工が、世界でもっとも腕ききで、多才であることを知っている。海上での勝利は甲板上の砲兵もさることながら、その大砲を作る職人の腕にも同じくらいかかっているのである。
いま世界でアメリカの砲兵にかなうものはいない。アメリカ軍艦が無傷でスペイン無敵艦隊を撃沈させたのも、私にとっては何の不思議でもない。
私はこの前の冬を海外で過ごし、カンヌに集まるヨーロッパ諸国の著名人の社交界に加わった。彼らは共通の意見として、しばらくはスペイン海軍がアメリカの優位に立つだろうが、アメリカはそのうちに絶対勝つはずだと認めた。
そこで私は世界のどの軍艦であれアメリカ海軍と戦えば、必ず他国の船が沈むだろうと言った。その理由は2つある。1つはアメリカの軍艦は最新であること、そしてもう一つは砲台の後に控える兵士がどんな人間かを私は知っていたからだ。
万一、アメリカが工業の理想を捨てて戦争遂行の道を歩むならば、アメリカは世界のトップに立つ。これは間違いない。この悲劇的な情勢から生まれる兵士は、あらゆる兵士の中でももっとも屈強・敏捷・多才であり、アメリカ人の中には世界中のどのようなライバルにも劣らない組織力が存在する。
しかし私たちが認めなければならないのは、アメリカは適切な海軍もなければ兵隊も持っていないということである。それゆえに帝国主義的な政策をとるためには、アメリカは保護者が必要であり、極東で頭角を現そうとしたところで、現状ではどうひっくり返っても帝国主義強国にはなれないのである。
帝国主義とは、当然海軍と陸軍を持っていることを指す。道徳、教育、文明社会などは帝国主義を支えるものではない。これらの道徳はより高い文明を作り上げるためにもためのものであり、アメリカニズムのためのものである。帝国主義の基礎は野蛮な物質的強さであり、物質的軍隊、軍艦、大砲を駆使して相手を沈黙させることである。(この後数ページにわたり戦力の同盟は、ときどき生じる問題いかんで締結と破綻を繰り返す例が述べられる)…中略… 178ページ…イギリスとロシアの例を見てみよう。たった1年前にイギリスの政治家は、自国でロシアに反対する運動をあおっていた。政治家たちは、太平洋に向けてのロシアの拡張を防ぐ提案をした。ロシアにとって太平洋は同一延長線上の領土であり、自国は手堅いままでアジアの領土を吸収してロシアのものにできるからである。
ロシアは遠く離れた領土を無防備にさらすような愚行はしない。ロシアは常にアメリカの友人であった。南北戦争のときにイギリスの首相だったパーマストン卿が南部に注目せよと提案すると、ロシアはニューヨークに艦隊を送って北部、の私たちを支援した。ロシアはアメリカにアラスカを売った。今のアメリカにはロシアと敵対する理由がない。世界中でこの2国だけが有史以来団結し、固く結びつき、そしてゆるぎない大国なのである。
そしてその理由は、それぞれが同一延長線上の領土を発展させたからである。ロシアとの貿易をとってみても、わが国の輸出は驚くべき早さで増大している。大量のアメリカ製機関車、鉄橋電気機械がロシアに向けて港を出る。アメリカが最高を誇るもの、またはいずれそうなるものは、すべてロシアに渡る。仮にイギリスとロシアが極東で衝突し、アメリカがイギリスと同盟を結んでいるとしたら、アメリカは最良の友人の一人と戦争をすることになる。(もうすぐ長い引用が終わります…)
179ページ…
すべての国との友好…
フランスとアメリカは当初から友好関係にあった。アメリカ国民は革命のときのフランスの援助を忘れてしまったかもしれないが、本来は忘れてはならないのである。フランスの利害のいくつかがスペインと合致していた。フランスの金融界がスペインの債務を留保していたのである。フランスの信仰はスペインの信仰である。しかし、フランス政府はアメリカとスペインの戦争ではアメリカに味方をしたのである。
アメリカがイギリスや日本と同盟を結べば、フランスと敵対する危険性がある。そのような危険性をはらんだ同盟には私は賛成できない。予想しうるあらゆる状況の下でも、私はどの列強とも同盟を結ぶことに賛成するつもりはない。アメリカはすべての列強と友好を保たなければならないのである。これが当初からアメリカの政策であったし、そのまま維持すべきである。
デーヴィス上院議員の言う「世界がわれわれに健全な恐れ、言い換えれば、尊敬を抱くようになる日」がくることは、アメリカにとっては望ましいことではない。つまり、すべての国とは友好状態にあるべきで、それは「健全な恐れ」ではなく「健全な友好」なのである。引用以上。
(ルースベネディクトの菊と刀、が「日本人の分析」であったのならこの本が今でも「アメリカ人の分析」として読まれてほしいと思いました、世界の捉え方の悪用として使っては欲しくないですね、、例えばいまの中国における帝国主義的海外進出、、。ここまで読んでくださった方ありがとうございました)
カーネギーについて読んでいたら、いろんな名言の中に次のような逸話がありました。
<今回のカーネギーの名言で印象的だったのが、「私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。>
最近聞かなくなりましたが、ジェフリー・アーチャーという娯楽小説作家の作品に「ケインとアベル」という長編があって、そのドラマ化を見たことがあります。ポーランドからの貧しい移民のアベルがウェイターをしているレストランにケインが客としてやって来る。アベルは優秀なウェイターぶりを発揮してケインを感心させる。アベルは後に富豪になりますが、そのレストランのシーンを見ていて、そのころカフェやバーガーチェーンでふくれっ面でサービスをしていた若い娘たちに説教してやりたいものだと思いました。
見どころのある人間は、どんな職業に従事しても最善を尽くす。「本来なら私はこんな低レベルの仕事をする人間じゃないんだ」という態度の人間は、どんな仕事に就いても成功しない。
親戚に30歳過ぎても親のもとでのらくら暮らし年金や健康保険の掛け金も親に払わせている娘がいて、私が「マクドナルドで時給800円の仕事をしても、1日8時間月20日働けば、それくらいは自分で全部払える」と言うと、「うちの娘をそんなところで働かせられると思うか」と怒鳴られた。そんなところ??どんなところならいいの??
あ、それと蛇足ですが、また0116が二つありますよ。どちらを消しても私のコメントは残ると思いますけど。これもきっと、「エラーが生じました」というので再送信したら、最初のがちゃんと送られていた、ということでしょう。私の方でもそういうことが割とよくあります。
そうですよ、何十年・何百年かの後に、通って来た道を振り返って批判するのは簡単。その功罪が遠くからよく見えるから。でもそこを通っているときはただ夢中だし、他の道のことは思い浮かばない。
ウチの古典的ダンナは「働かざる者食うべからずという諺が幅を効かせていた時代が懐かしい」とよく言っています(この諺はドイツにもあるけど、フランスにはないと思う、多分)。
カーネギーという名を初めて知ったのは例の「カーネギー・ホール」から。アメリカには富豪によって設けられた大学・図書館・美術館・庭園などがたくさんある。ドイツにはないね(政治家の名をつけた通りはあるけど)と言うと、亭主曰く、ドイツは税金が恐ろしく高くて企業家がそんなに金を貯めることはできない、のだそうです。代わって政治家が「俺がやってやる」と、国民の税金を使って自分の功績のように威張っている。
企業家というのは通常政治には口をつぐむことが多いですが、カーネギーさんは国家間の同盟とか侵略とか、いわゆるオールラウンドの人だったのですね。