わがアメリカ文学史:亀井俊介著:岩波書店2007年7月発行
ヘンリー・ソロー、マーク・トゥエイン、スタインベック、ぼくが読んだことのある数少ないアメリカの作家の名前に惹かれて手に取りました。アメリカ文学史に「わが」がついているので気楽な感じがして…それは当たっていて楽しく読み進められました。
僕が感じた…アメリカが語られているなぁと思った箇所を引用しておきますね。
36〜 37ページ…わがヘンリー・ソロー… (1)私が推薦する自遊人
中略…ソローよると、人間は1年間に6週間働けば、立派に生きていかれるそうだ。年中あくせく働いても食えないという人は、世間体など気にしたり、不必要な飲食をしたりして、本当の「人生」以外の余分な生活をしているからだという。
彼は2年間、ウォルデンの自然生活を満喫すると、また別な「人生」の実験がしたくて町に出てきた。生涯貧しかったが、さまざまな人生のエッセンスだけを、悠々かつ遊々と、のびやかに生きた。彼の生き方が、そのまま彼の思想だった。嘘と思う人は、ぜひ彼の代表作「ウォルデン 森の生活」(1854年)を読んでいただきたい。
(2)私の生涯の1冊の本
私はこのところ、漫画的ソロー主義者を自任している。ヘンリー・ソローが「ウォルデン 森の生活」で描いた簡素な自然生活を、極めてマンガチックにマネしているのだ。
人生に不可欠なもの以外はいっさい捨てよう。新聞も手紙もたいていは不要だ。水さえあればビールもコーヒーもいらなぬ。世間のおつきあいはむしろ邪魔になる、何ものにも束縛される自分を守り、精神を高く保って、昂然と生きよう。そういうことを、ソローは自由自在な文章で語っている。後略、、
(3)古くなることのない情報…強調され続ける「変化」…
この1月(1993年)、ビル・クリントン氏が「変化」をとなえて大統領になった。アメリカが一挙に変わるような気に、太平洋のこちら側でもついなってしまう。しかし保守色を濃くしてホワイト・ハウスを去ったロナルド・レーガン氏も、8年前の大統領選挙の時、声を大にして「変化」をとなえていた。その前のジミー・カーター氏も、さらにさかのぼればジョンF・ケネディも、大統領選挙でやはり「変化」を強調していたように思う。反対党から政権を奪取する時、「変化」をスローガンにするのは、アメリカではごく普通のことといってよいだろう。そしてもちろん、新しい政権は「変化」を実現することに懸命になる。だがじっさい、「変化」はどこまで達成されたか。「変化」は上っ面の部分で終わらなかっただろうか。
私のように、変化よりも伝統を重んじるはずの文化を研究するものでも、たとえばアメリカ旅行などから帰ってくると、必ずといってよいほど、最近のアメリカはどう変わりましたか、と聞かれる。日本の新聞雑誌が好んで報道するのは、変わるアメリカ、変わったアメリカばかりのような気がする。
ソローの言葉
しかし本当のところ、「変わらない」アメリカの方がはるかに大きい。それは氷山の水面下のようなものだろう。目にはよく見えない。だがそこにこそ、アメリカとアメリカ人の本質をなす部分がかくれているのではあるまいか。後略、、引用以上。
(じゃぁ…変わらないアメリカとは?)
38ページ「変わらない」アメリカ
ではその「変わらない」アメリカは何かといわれると、困ってしまう。氷山の水面下の部分は、見えにくいから、当然、分かりにくい。そのゆえにこそ、本格的な「研究」の仕事があるのだろう。
しかし、一番手っ取り早いところでいえば、皮肉なようだが、いましがた述べた、折あるごとに「変化」を求める気持ち、そしてとにもかくにも「変化」を求めて動く政治や社会の仕組み…これこそ「変わらない」アメリカの1部だろう。しかも重要な一部に違いない。さらにいえば、アメリカ人は伝統的に、「変化」の先に現在よりも良い状態を想定してきた。私たちはそういう思いを「アメリカン・ドリーム」と呼ぶのだが、それもアメリカ人一般の中にあまり変わることなく生きてきた。ただしドリームはあくまでドリームであって、実現するとは限らない。だから本当は、「変化」の中身とその実現の方策が真剣に検討されなければならないのだが、それをする前に「変化」にとびつき、突っ走るところに、アメリカの失敗の原因と、同時にアメリカの力のもとがあるような気がする。引用以上。
(人種構成が大きく動いているアメリカ…それでも上の文章は廃れていないと僕は思いました。
十数年前に発行された本ですが…僕にとっては…ゆったりと、ざっくりとアメリカ文学史を概観できるとても良い本でした)
ソローってトランセンダリストだって習った。「私はこの町にいて広く世界を旅している」と言ったの、ソローじゃなかったっけ。いや、エマーソン?そもそも哲学者ってあまりあちこちウロウロしないんですよね。カントがいい例。自分の生まれ育った町(ケーニヒスベルク、現在のカリーニングラード、ロシアに盗られてしまって返してくれない、クリミア半島と同じ)からほとんど出ることはなかったそうな。
<アメリカ人は伝統的に、「変化」の先に現在よりも良い状態を想定してきた。私たちはそういう思いを「アメリカン・ドリーム」と呼ぶのだが、それもアメリカ人一般の中にあまり変わることなく生きてきた。ただしドリームはあくまでドリームであって、実現するとは限らない>
ほんと、おっしゃる通り。これで保守と進歩という言葉について改めて考えました。人が進歩と信じているものには随分と無駄があるような気もする。一歩進んで二歩下がるのも、暇つぶしにはなるけど。
話が逸れますが、アウトバーンが渋滞でノロノロ運転になると、うちの亭主はあっちの道、こっちの道を探してぐるぐる廻って、そのあげく、渋滞を脱した地点でアウトバーンを忍耐強く運転してきた車に出会う。ガソリンを浪費しただけじゃないの!と私は言うのだけど、静かに待つというのができない。目下ガソリン代が恐ろしく高騰しているから、この際「意味もなく進むことの愚かさ」を学んでほしい。
私は飽きっぽくないので、毎日同じでも構わない(それで呆けても構わない)、そこへ変化・変化と言われると「うるさい!」と感じる。
亀井俊介って私の学生時代に名の知れた人だったから、もうこの世にはいらっしゃらないだろうと思ったら、あら、今年まだほんの90歳で現役ではございませんか。