内向的人間の時代:スーザン・ケイン著:古草秀子訳:講談社2013年5月発行
(この本を兄のところにいながら夜中ぼちぼち読んでいると…思い込みによる誤解、僕もありそうだと結構はっとさせられました。例えばブレインストーミング…仲間の友好度を高めるためには少しは役に立つかもしれない…が、実験的には…良いアイディアを生み出す源泉にはなりにくい、という指摘。
曰く、外交的人間の際立つ場面がある…受動的な人々の中にいる時で、仲間を鼓舞し、目的を遂行する時だ。
閉じこもっている内向的人間が息抜きのため仲間たちとくつろぐとき、アイディアをもらえることもある。
…長い間にわたり外交的人間が社会に飛躍して行けるというアメリカ人の思い込みを修正するのに役立つだろうと思いました。
多数によるインターネット交信がグループシンキングの効果をあげているように見えるが、一人一人はしっかり孤立している(内向性は保たれているという事実は見逃されやすい、などなど、落ち着いて考えてみれば納得のいくことばかり、また、落ち着いて気を確かに保っているつもりでも人間は自分のシステムの中に気がつかないうちにドライブを受ける性質があることなどの指摘も見逃せない)
第1章は…誰からも好かれる人の隆盛…外向型はいかにして文化的理想になったのか…
と、始まりました。貧しい農家に生まれながら創意工夫してカリスマ的な話し方を身に付け一世を風靡したデール・カーネギー、新しい経済に適応するためにセールスマンという、これまた新しい職業に活路を見出した彼は数年間の後に弁論術の講師を始める。
36〜37ページ
他人に見られる自分を意識する時代…
農家の少年からセールスマンへ、そして弁論術のカリスマへと変身したカーネギーの物語は、外向型人間の理想像の出現を象徴する物語でもある。彼の変身の道のりは、20世紀への転換期に頂点に達した文化的変容を反映していた。この文化的変容は私たちのすべてを変えた。すなわち、私たちがどんな人間であり、どんな人間を崇拝し、就職の面接でどんな態度をとり、どんな人間を雇い、どのようにして結婚相手をさがし、子供を育てるか、そういったすべてをすっかり変えたのだ。著名な文化史学者であるウォレン・サスマンによれば、アメリカは「人格の文化」から「性格の文化」へと変容した…そして、不安というパンドラの箱を開け、もうけっして元には戻れなくなったのだ。
「人格の文化」においては思慮深く、規律正しく、高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも、自分がどう振るまうかが重要視される。「性格(personality)」と言う言葉は18世紀まで英語にはなかったし、「性格が良い(good personality)」という言葉は20世紀になってから広まった考え方だ。
だが「性格の文化」が広まると、アメリカ人は、他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は、演技者(パフォーマー)としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。
この文化的進化の背景には、アメリカの工業化があった。草原に小さな家が点在する農業社会から、「ビジネスこそがアメリカの道である」とする工業社会へと急激に発展したのだ。初期のアメリカでは、大半の人々はデール・カーネギー一家がそうだったように、農場や小さな町に住んで、幼い頃から知っている人々とだけつきあっていた。だが、20世紀になると、大きなビジネスや都市化や大量移民の嵐によって、人々は都市へと引き寄せられた。1790年には都市の住人はアメリカ人のわずか3%、1840年には8%だったが、1920年には人口の3分の1以上が都市生活者になった。…引用以上。
(こうして自己啓発の伝統、が始まったというわけですね、カーネギーの出現と活躍は…ある意味この時代の必然で、、38ページ…自己啓発の伝統を振り返れば、人格の文化から性格の文化への転換がまさに歴然として見える。その中でデール・カーネギーは非常に重要な役割を果たした。自己啓発本はアメリカ人の心につねに大きな影響をもたらしてきた。引用以上。
、、外交的人間がもてはやされるアメリカ社会の素地がこうして作られた…なるほど、、さて、そんな社会に竿指すのは、内向的人間ということになりますね、アメリカの公民権運動の発端となったローザ・パークスが取り上げられていました。実は彼女はバスの運転手からあからさまな人種差別を受ける12年前にも同じバスの運転手からひどい扱いを受けていたのですね。バスに乗ることを控えていた彼女がたまたま同じ運転手のバスに乗ってしまったことから…歴史的なストーリーが始まったというのです…内向的人間の「力」をこの本の著者はこんな方法で説き起こします)
さて、、本題に入る前に…同調圧力…の影響については最近でも日本で取り上げられていましたがこの本でも言及しています。集団に個人の判断が左右されるという実験の例は昔から多く現在でも心理学者の頭を悩ませているようです。
117 〜118ページ…中略…
集団がまるで幻覚誘発物質のように作用することを示唆している。集団が答えは Aだと考えれば、あなたはAが正当だと信じてしまう傾向が強い。「よくわからないけれど、みんなが Aだと言っているから、そうしておこう」と意識的に考えるのではなく、「みんなに好かれたいから、答えはAにしておこう」というのでもない。もっとずっと思いがけないことが、そして危険なことが起こっているのだ。バーンズの実験→
(※ バーンズの実験:2005年、エモリー大学の神経科学者グレゴリー・バーンズはアッシュの実験(※アッシュの実験:1951年から1956年にかけて、ソロモン・アッシュと言う心理学者が集団心理の危険性に関する、現在ではよく知られた一連の研究をした))
→で集団に同調した被験者の大半は、「思いがけない偶然で意見が一致した」から自分も同意見だったと報告した。つまり、彼らは集団からどれほど強く影響されているか、全く意識していない。
これのどこが社会的な恐れと関連しているのだろう? アッシュの実験でもバーンズの実験でも、被験者全員がつねに同調したわけではないのを思い出してみよう。一部の人々は周囲からの影響に負けず正解したのだ。そして、バーンズらの研究チームは、それについて非常に興味深い発見をした。正解した被験者の脳内では、拒絶されることに対する恐れなどの感情を司る扁桃体が活性化していたのだ。(つまり…拒絶されることに対する恐れ、は人間にとって意識している、または考えている以上の恐れ…ということだと思う)
バーンズが「自立の痛み」と呼んだこの現象は、深刻な意味を持っている。選挙や陪審裁判から多数決原理にいたるまで、重要な市民制度の多くは意見の相違があることによって成立している。だが、もし集団が私たち一人ひとりの認知を文字通り変化させることができるならば、そうした制度の健全性は一般に考えられている以上に脆弱なのかもしれない。
引用以上。
(この話のキモはこうした同調圧力に対する内向的人間の役割の伏線だと思います、この本のテーマの進め方そのものが、そもそも内向的人間っぽい慎重さだと思いました)
内向型人間が外向的に振るまえる時、というのが263ページに出ていました、、内向型なのに外向型?、との項がそれでした、、、
…中略…つまり、内向型の人は、自分が重要視する仕事や、愛情を感じている人々、高く評価している事物のためならば、外向型のようにふるまえる。内向型の夫が愛する外向型の妻のためにサプライズパーティーを仕掛けたり、娘の学校でPTAの役員になったりするのは、自由特性理論で説明がつく。外向型の科学者が研究室でおとなしくしているのも、物わかりのいい人物がビジネス上の交渉では頑固になるのも、つむじ曲がりの叔父さんが姪にはやさしくアイスクリームを買ってやるのも、すべて説明できる。自由特性理論はさまざまな状況で適用できるものの、特に外向型を理想とする社会で生きている内向型にぴたりとあてはまる。(※自由特性理論:ブライアン・リトル教授の自由特性理論によれば、私たちは特定の性格特性を持って生まれるが…例えば内向性だ…自分にとって非常に重要な事柄、すなわち「コア・パーソナル・プロジェクト」に従事するとき、その特性の枠を超えてふるまえるのであり、実際にふるまっているのだ)
(通読してみて…いちどに話すのは…2人か3人が限度の僕にとってこの本の指摘は思い当たる事が多い。ひとりでいる時間が十分に取れないとたちまち不安定になるのは最近兄の家に出たり入ったりしていて特に感じる。寝る時間を4、5時間にしてでも1人の時間は確保したいのが本音です、自分で呼びかけて立ち上げたグループにしても活動し始めると距離をおきたくなるあまのじゃく、、こんな僕に、、、お前みたいなのがいなければ始まらない話もあるよね…といつも支持してくれるのは我が兄です、ゆっくりと年老いてほしい…僕自身もまた、、)
冷やす→みます
0113 が 2 つあったということもコメントが消えたということもよくわかりません。コメントはログインした本人かサイトの管理者(クレマチス)でないと削除できないとおもいますが、私は削除した記憶はありません。
前にも言いましたが…多分…言付けを頼まれて…途中他の職場に寄って用件をすっかり忘れてしまってとぼけているわけでは無いのですが、つらーした顔で帰ってしまって上司は呆れて怒る気もなかったみたいです…ついたあだ名が…文学青年、ま、夢見心地って意味だろうと思います、呑気な会社があったもんです🤭
えええー、何書いたかよく覚えてないわ。えーっと、私みたいにひねくれた性格でも孤独ではなく周りに人がいるのは、「自由特性論」を無意識に実践してきたためかもしれない・・・なんて。
他に、小学生の頃通信簿に「誰にも愛される人になりましょう」と書かれて、私が学校で嫌われているに違いないと信じた母に不当に叱られ、以来、人に愛されることがますます厭になった話とか。
あ、そうそう、子供の頃に家に「人を動かす」というカーネギーの本があったけど、私は読まなかった、嘘八百のお話なら読んだけど、なんてことも書いたなあ。
ハハハ、報告表の書き直した方を捨てる?おもしろ。そういう社員を愛してくれる会社こそ、世の賑わいってもんですけどねえ。
えー本当ですか!失礼しました教えてくださいコメントお願いします頼みます気をつけます^_^会社勤めしていた時もこんな調子ですから会社が務まる訳がありません、書き直した報告表かけ直した方を破り捨てるなど僕にとっては普通のことでした、勤め人には向かない人間です😅
0113が二つあって、多分間違いだろうと一つにコメントしたところ、それが消えてしまっています。ま、大した問題じゃない・・・かな。