< すぐ死ぬんだから >
内舘牧子著:講談社2018年8月刊
LINEトークで荒川さんが内舘牧子を読んだとお聞きしてすぐ図書館にリクエストした。著者紹介で著者が僕と同い年だと知り親近感を覚える。ところでこれから読む人のために…ネタバラシをしないままこの本のことを書く方法があるだろうか?
この本の題名を見たとき…僕が考えた事はこうです。どうせ死ぬんだから→好きなように生きる。
読んでみたら、まぁまぁそういう本です、と言っては身も蓋もない。何か著者と違うことを言おう。ましてや僕はすでにこの本を読んだのだから。こうすればネタバラシをしないで済む。
20歳の時40歳になったときの自分を想像できないように60歳の人が70歳は想像しにくい。70歳の人が80歳の人は想像しにくい。昔母に言われた…お前も95歳になればわかるよ…その時僕は65歳。もう一声いこう… 50歳の人は60歳の人のことをわからない。もういいでしょう。人生100年時代ざっくり後半の50年間が問題だと言ってみる。織田信長は人生わずか50年と言って舞って見せた、映画によく出てくるシーンですね。50歳で一回死んだ気になればもう一回人生をやるようなものか…ちょっと強引。さて、、、
51歳は2回目の人生の1年目。さて何をしようか。これからの50年を生きるためのプラン。そんなの立つわけないじゃないですか。20歳も50歳も90歳も同じ。いつも先のことはわからなかった。経験値が増したからといって先のことがわかるわけではないと思ったほうが面白い。
子供の頃おばあちゃんに言われたもん。雷様におへそ取られるよ。雷様なんかいないも〜んと僕。いると思ったほうが面白いよ…とおばあちゃん。
先は見えてる…先が見えないと思ったほうが面白いよ。小説を書く楽しみも絵を書く楽しみも楽器を鳴らす楽しみも…どんな筋に仕上がっていくかどんな絵に仕上がるかどんな音が出るか…やってみなければわからないと思ったほうが面白い。
言い訳を1つずつ潰していこう。体力が落ちた。頭の回転が悪くなった。容姿が衰えた。歳をとるのはつまらない。歳をとるのを面白いと思った方が面白い。
内舘さん若いなと思った。なぜそう思ったかと言うと一昨年の6月に僕はいちど死んでいるんです。内舘さんも本気で死んだまねしてみればよかったのにと思いました。僕の場合、その時から人生がまったくの儲け物になっちゃって要するに達観しちゃったんですね。なんたって儲け物なので朝起きて気分がいいんです。あー今日も生きてる…なんてレベルじゃありません。お腹が空く。うれしい。とても嬉しいのです。とりあえずお金に困らない。最高に嬉しいです。朝起きてやることがない。気絶する位…あ、もういいですね。とにかくやることがない。こんな嬉しいことがあるでしょうか。ここまで冗句を重ねてきたのには理由があります。若い時からの夢だったのです。朝起きてやることがない。あちこち体がまだ動いて今日何をやるか考える。時々涙が出そうになる。幸せすぎて。多幸症というのがあるそうです。多幸と症と相容れない意味の漢字が1つの意味をなしている。一病息災と言うじゃありませんか。これもそうですよね。病を得ると言うじゃありませんか、これもそうですよね。人って考え方1つで気持ちが明るくなったり暗くなったりする。多幸症の僕はこれだけで涙が出そうになる。病気になろうと言っているのでは無いのです。あ、わかりやすい出来事を1つ思い出しました。なんでこんな気持ちになっているのか…かなり前から準備ができていたことに今気が付きました。32 、3歳の頃、将来僕の仕事の上での相棒となる彼に言われました…旅に出るってさぁ…退屈しに行くことなんだよね、いちまるさん、、。20歳位の時会社にいた同じ高校の先輩から言われました、僕に言ったわけではありません。会社の3時のお茶の時間(こんなの勝手に取ってたんですよね)、その先輩(部署は全く別)の声が聞こえる、、あのさぁ有給休暇ってさぁ…朝起きるじゃない…あー今日会社行きたくないなぁ…と思った時に取るものでしょう?周りの人は先輩の性質と有給休暇は事前に許可をもらう規則を知っているので、ニコニコ聞いていました。ここに、「暇な時」をどう考えるかの遠因があったのですね、つまり暇は作るもの、ちょっと前に気が付きました。だ、か、ら、努力せずしてたくさんのヒマを持てる事はこれはある意味とても贅沢ですよね。
さてもう一つ、あんまり長くなりませんように…長いと嫌われるから。以前話したかもしれませんが、池袋の絵画グループでヌードを描いていた時にひどい乱視に気が付きました。油絵をやっていたのですがこの乱視がきっかけで断念することができました。なんとしても描きたいと言うほどの意欲がない…つまり命と引き換えにしたいほど描きたいほどの意欲がなかったから乱視を理由に区切りをつけたことがありました。ことのついでに乱視がどの程度のものか調べてもらって、黄斑変性症が発見されたのです。放っておくとどうなりますか?えーとだんだん見えない範囲が広がる。白内障もだいぶ進んでいる。今考えると僕の質問の意味が分かります「放っておくとどうなりますか?」、つまり、老化の進み方のスピードを聞いていたのですね。あの頃から徐々に構えを作っていたんだなぁと今朝気が付きました。進み方が遅いのならいいやと、つまり老化が遅いのなら放っておけばいいや、の気持ち。正常な範囲の老化と一緒に生きていこう。2年前の僕にとっては事件(死にそうになったときその自覚もなくて医者に行く気が全然起こらなかったこと)あの頃から「その気」が醸成されつつあったのだなと。忙しくてそれどころではなかった方たちに声を大にして言いたい。ゆっくりやればいいんです。正常な範囲の老化ならゆっくり見守っていけばいいんです。そのうち死んじゃうから…と僕は思っているんですねきっと。ま、今丈夫だからこんなことが言えるのはわかってて言ってます。おかしくなったらその時考えればいいんです。この発言も今丈夫だからこそ言える発言だと思っています。
内舘さんのこの本を読んで世知にたけた人間観察、言葉のやりとりは楽しいものがあります。でも僕こういうの好きじゃありません。こすっからい自分を見せ付けられているようで嫌なんだと思います(それでもついつい本に引っ張られていくのがこの著者の凄い所)。この説明をするとまた話が長くなりますので今日はこの辺にします。
(本を読むって…やっぱり面白いですね。塊(かたまり)で「表現」ってやつを味わえるんですもんね。僕は塊でしかなか理解できないのです。あーでもないこーでもないと言葉をたくさん費やしてもらってその中からうっかり口が滑っちゃったり考えてもいないことが漏らされたりするのが普通の会話じゃないですか。そこが面白いわけですよね。ところが面白いことに…エッセイとか本は「何かある」ことが明らかなので鈍い僕にとってはすぐ考えるよすが(縁)になるのです。縁と書いて、よすが、と読むんですね、なるほどー。内舘牧子さんにもお礼を言っておこう、内舘さん、本を読んだおかげで僕のことがまた少しわかりました、ありがとうございました)
やったー、本の内容ばらさずに今回書けた。一読を勧めたいような勧めたくないような。と言うのはこれは1つの考え方であって…違う言い方をしよう…これはこの人の考え方であって他にも方法はたくさんある…と思った方が面白いと僕は思いました。自分に合った生き方は個性の分だけ数がある…と思ったほうが面白いと思いました。孤独に死ぬ事は悲しいけれど…必ずその孤独を聴く人がいてその人の物語も語り継がれていくと思うのです。誰に看取られずになくなっていく方もその人の声は聞かれるのです…まるで、クリスチャンみたいなこと言ってますけど…無神論者の僕はそう思うのです。これはスピリチュアルなこととかと言うものではありません。とにかく2年前に1回死んでいるのでこういう気楽なことが言えるわけです。「そういうもの」だと思うのです。奇跡を信じるとか信じないとかスピリチュアルがどうしたとか僕はおかしくてしょうがありません…ただ立っているだけでこの世の中全てが奇跡だと思えないことがおかしくてしょうがないのです。見える人には見えて聞こえる人には聞こえる…それがスピリチュアルなことでしょうか、単なる現象だと思います。僕らは奇跡の真っ只中にいるのでその話はあんまり面白くないのです。だってそれって…奇跡の中のほんの1部しか見えてないわけじゃないですか。見える人には見えて、見えない人には見えない…そうなんだなぁと言う位の話にしておけばいいじゃないですか。そういうものなんですから。取り立ててそれを言ったり、何かの説得材料にするから角が立つ、話がこじれる。それは見えない人は腹立ちますよ…それは心に秘めておけば良いのです。そんなことより奇跡は満ちあふれているわけですから。あるいはよもやま話でこんな現象があったよと、近所のプチ情報として話せば良いのです。まぁこの話もえらく長くなりそうなのでこの辺で。さて気を取り直して小説に戻ります(あれー、また再開してる!)
で、、なんだ、、生き方を小説に指南してもらわなくても自分の生き方は自分で決める…僕はそのほうが面白いと思いました。1度想像上であの世に行ってみる、そうやって悟ったふりしたり、あるいは本気で悟った気になって往復しているうちに気がついたら死んでいたというのがなんか自然な気がしますね。え〜、あの人死んじゃったの…と長話。長話が続いたり時々思い出したりする事は…「あの人」は生きている。と言うわけで、いくらでも長くなってしまいますので今日はこの辺で。あ、なんか結論いいます。内舘牧子がなぜ人気があるのかは僕でも分かりました。マジ、素敵な人です。それは読んでのお楽しみ。荒川さん、おかげさまで内舘牧子さんに会えました、ありがとうございました。では。
びすこさんの「体験」だからなぁー、不思議な体験ですね。 そして読むべき人に伝わった…素敵なお話だと思いました。 (今素敵と言う言葉を使いたくなくてコメントしましたが抹消しました…でも僕には素敵な話に聞こえたので、やはり気持ちのままにコメントしました)