狐と棲む:大原富枝著:中央公論社1971年7月初版
わずかばかりの年金を引き出して小口口座に補充し食事の後岡島書店に寄ったら、この本の題名が気に入り100円払って店を出るときにふと見るとルネサンスの絵画集の古本が500円で出ていたのでその大型本を店に戻って買い求めた、復古趣味。
今朝2時ごろ目が覚めてそのままこの本を読みだした。ぱっと開いた短編集の中程に…白い小さい踵、、なる作品が出ていてパラパラとその後に続く短編集を読んだ。東京の目黒界隈の事とか自分が住んでいたところの思い出話のところにたどり着き…最初のページに戻り、別れのとき、、という短編を最後に今読み終えた。その短編…以前から自分(主人公)も少し知っている女に子を宿していた(老いた両親もその女が世話をしていた)男と別れその後、クリスチャンの伯母と同居することになりその暮らしを通して自分自身と向き合うことになり…長い時間をおいて「別れのとき」に至る。長い時間をおいて知る自分自身と相手の気持ち…ここに至らないことも考えればこれはこれで男と女の長いそれぞれの旅路(普通は日常生活の忙しさにかまけてここまで考える余裕は無いかもしれない)。
(女が生まれながらにしている持っている「荷物の分量」について考え込みます。抱え込まされている荷物は男も理解したほうが面白いと思いました。お互い少し寛容になれるかも。
この短編「別れのとき」に男と女のすれ違いの典型的なシーン(回顧シーン)が描かれていると思いました(時代遅れ?)ので引用いたします。
108〜109ページ…中略…
「女のことなんぞどうでもいいけど、仕事にまるで熱のわかないのに全く参っているんだ」と憂鬱そうにしていらしたものでした。そのころ、あなたの長い間のお勤先は軍の狂気沙汰で解散を命ぜられ、あなたは腰かけ的に新聞社にはいっていたもので、仕事の面白くなさは私にもよくわかっていたのですけど、こんな悪い時代の、恐怖のさ中に生きていても、あなたを愛することで幸福でいた私は、あなたが私との恋愛から何の仕合せをも、生きる熱をも抽出しようとしていらっしゃらないのがよくわかって、心の底から淋しくなってしまったのでした。しかもそんな熱のなさがこの悪い時代のせいではなくて、あなたの若い日々と共に、国の文化としても一種の黄金時代ともいえる一時期を含んだ、あなたの18年のジャーナリストの生活さえ、格別熱も持たないで「いやいやながらずるずると来てしまったんだ」と聞かされたときは、私はあなたの顔が正視できないでうつむいていたのでした。いいようなく淋しい心持ちでした。私はあの空襲のさ中にさえ、人を愛して生きる幸福さ、ものを書いて生きる張りのあるたのしさ、未来に要求する雲のような希望で、自分の心が両手に支えきれないような女だったのですから。
「淋しい方ね、それじゃ何も人生に要求をお持ちにならないんですの?」
「ないね、何にも…まあ、そっとしておいて欲しいくらいのところだ、煩瑣が一番嫌なんだ」
…日常生活の煩瑣から逃れて美食と読書と魚釣りだけがあれば沢山だ、とおっしゃるのでした。私へのあなたの在り方も、あの女(ひと)へのあなたの在り方も、こういう世界の外のものではなかったのでした。引用以上。
あはは、全くその通りですね…ドライブかけられて…コントロールしやすくなって誰が得するんでしょうか?
硬派、文学の世界にも無論いますね。和歌だとアララギは硬派、明星は軟派になるでしょうか。伊藤佐千夫とか長塚節の与謝野晶子批判は、頭が固くて意固地な学校の先生みたいな感じ。もちろん硬派の良さもあるのだから、他の派をどうこういうより自派の個性を磨けばいいのに。
あ、そうだ、先日調べていて、板垣退助に従って自由民権運動を推進した植木枝盛も土佐の人だったことを思い出しました。34歳で早世したためもあって余り有名にはならなかったのですが、この人の「自由は土佐の山間より」という言葉を今も記憶している人は(まだ)います。でもぶっちゃけ、土佐の山間も全国至る所にある過疎地と変わらなくなってしまった。第一、山の学校も次々廃されて、残った子どもがいればみんなスクールバスで統合された学校に通うし。今の世の中、個性など迷惑なシロモノらしいです。グローバル化の前にオールジャパン化。詰まらんのう。
大原富枝、以前和歌についての本を読んだことがありました。
戦中派の女性の文章(考え方?)は風流でしっとりとしていますね。それだけで小説としての面白さはあります。
ありがとうございました早いとこ読ませていただいてよかったです アメリカの次期政権のことを考える暇がありませんね 手が打てないとなると…時期は共和党?
まあ、すごいですね、女としては全く参ってしまいますね。男はこういうの聞いてどう思うのだろう。煩瑣が一番いや、ふ~ん。
すぐに思い出したシーンがあります。向田邦子原作のドラマで、題は忘れたけど、娘が結婚したいと連れて来たヤクザっぽい男(小林薫が演じていたと思う)について、父親が猛反対し「あの男は人生というものを舐めきっている」って言うの。
全部見なかったのでその後の展開は知らないのですが、こんな男と出会ってしまったことが不運だったのでしょうね。でもフランス人って退廃とかアンニュイというのが大好きだから、こういうタイプはフランスではやっていけそう。フランス人が一般に最も馬鹿にするのは「一生懸命」の人間です。
ちょっと脇にそれて申し訳ないんだけど、先日話題になったアメリカの移民の件でわたくしめが持ち出した新聞記事。翻訳しましたので、以下に紹介してもよろしいでしょうか。翻訳の質はさておき、少し長いのが難。
以下は2022年2月11日の新チューリッヒ新聞の記事を訳したものです。せっかく訳したからと、ここに載せていますが、著作権その他の問題があるなら後日私が消去しますのでおっしゃって下さい。
押し寄せる移民の前に為す術のないバイデン
何百万人というラテンアメリカ人(中南米人)が汚職まみれの母国に背を向けている。その大混乱に輪を掛けているのが、この地域における米国の政治・経済政策の失敗である。この趨勢を変えるには途方もない努力が必要とされるだろう。
トーマス・ミルツ、リオデジャネイロ
バイデンが大統領に就任して1年経つが、南の国境の問題を解決するプランは見つかっていない。昨年1年で2百万人の不法移民が国境監視員に逮捕された。これはドナルド・トランプ政権下の一昨年の4倍に上る。国内政治において、この事態は来年に予定されている南部の選挙でバイデンを打ちのめしかねない。さらに、9月にテキサスのデル・リオでハイチからの難民を国境のリオグランデ川に押し返した騎馬警官の写真に見る通り、政権の無能と非人道主義は覆うべきもない。
バイデンは選挙戦で「公平で人道的な移民制度」を謳いあげていた。しかし「メキシコに留まれ」というフレーズで知られるトランプの移民保護規約は現在も有効である。移民たちは犯罪集団の暴力の危険にさらされながらメキシコで難民手続きを待たねばならない。さらに疫病禍のアメリカにおける移民の入国を禁じた「タイトル42」は依然議論の的になっているが、それは今も有効であるため不法移民の強制送還が可能である。
パートナーの欠如
バイデンが選挙に勝利したことで、トランプの言う「野蛮なラテン系集団」という表現は消えて、中南米の貧しい人々の間に新たな希望を呼び覚ました。約束の地アメリカは再び手の届くものとなった、ということは、バイデンのもとで南の国境は越え易くなったわけだ。移民の案内を商売にしている連中がそういう噂を流し、政権に批判的な米国のメディアが、バイデンは移民が国境を越えるのを黙認するという印象を意識的に植え付けた。かくてバイデンの人道的移民政策は人々を狂喜させたのである。
バイデンは副大統領のカマラ・ハリスに国境と移民危機の解決策を探るように委託したが、彼はかつはオバマ政権で副大統領として「豊かさの同盟」の実施を担当していたことがある。その目的は、数百万ドルの支援で「北の三角」と呼ばれるホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラにおける難民発生の原因を根絶することだった。しかしその資金の大部分は腐敗したエリートの懐に納まることになった。
バイデンは課題の難しさを知っているわけだが、ハリスの案も彼のそれと似たようなものだ。ただし、予算は数十億レベルにまで増えた。中核を成すのは汚職の撲滅と「良き統治」である。政府は「法の規定」の強化なしに進歩はありえないことを十分に承知していた。しかしハリスのプランは失敗に終わった。まず、エルサルバドルの場合には米国がナイブ・ブケレ大統領の政府の独裁主義的な統治を批判したことが原因で、目下対話はできない。またホンジュラスの前政府の場合にも、米国の法廷がヘルナンデス大統領の弟に麻薬取引の有罪判決を下したために氷河期に入ってしまった。新たに左派政権が誕生したことで展望が明るくなったかどうか、様子を見るほかない。
昨年半ばにハリスは必要に迫られて自分のプランをグアテマラで発表したのだが、自身が汚職スキャンダルに巻き込まれているアレハンドロ・ジャマテイ大統領は、米国主導のタスクフォースによる汚職撲滅のための提案にはほとんど関心を示さなかった。ジョージ・W.ブッシュとバラク・オバマが既に始動させていた国連の無罰則に抗議する委員会は、その前にグアテマラのエリートの反抗とドナルド・トランプの無関心とで頓挫していた。ハリスのグッド・アイディアに残されたものは、唯一、中央アメリカの住人へのやけっぱちとも聞こえる「お願いだから、来ないで」という呼びかけであった。これでも世界の大国といえるのか。
強制送還の写真が脅しの効果を持たなかったと同様に、彼女の言葉も虚しくこだまするだけであった。中央アメリカには南の国境を越えることのできた移民の話が流布している。だから母国で希望のない日々を送るよりは、米国へのさすらいの旅の方がまだマシだと考えるのである。
少数のエリートと貧困・絶望の海から成る中央アメリカとカリブ諸国とは、世界でも最大の社会不平等を抱える地域に属している。アメリカ国民による麻薬消費で数十億の商売に成功したコロンビアとメキシコの麻薬大カルテルが触覚をその地域に伸ばして以来、汚職の問題はさらに増大した。麻薬で稼いだ金は武器取引から選挙運動、さらには教会の全コミュニティに至るまであらゆる目的の資金源となっている。政治家、法律家、軍人、警察、全員が賄賂をもらっている。
国民の方は連日の暴力の前にただ途方にくれるばかりだ。犯罪者集団はハイチでテロを起こし、大勢の人々を外国に追いやっている。「北の三角」ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラでは若者グループが、メキシコでは残忍な麻薬カルテルが、ニカラグアとヴェネズエラとキューバでは左派政権が、人々を追い払っている。小規模農家は大規模なプロジェクトによって排除され、先住民は土地を奪われ、法に訴えることもできない。さらには気候変動でハリケーンの頻度が増し、他方では中央アメリカの大部分が旱魃に苦しんでいる。
評判がガタ落ち
ラテンアメリカを自国の「裏庭」と見なすことは米国の常識とされてきた。しかしその場合に念頭にあるのは、自国の経済的な利益を前面に押し出して米国に好意的な政権を維持することだった。米国はホンジュラスとパナマには9回、ニカラグアには8回、ハイチには6回、介入した。1961年のピッグス湾の上陸の失敗と1962年のロシアのミサイルを巡るキューバ危機を数えると、米国はキューバに9回介入したことになる。中央アメリカとカリブ諸国の中で、米国の兵士が足を踏み入れたことのない国はほぼ皆無と言ってよい。
今日に至るまで、冷戦時代にアメリカが果たした役割はラテンアメリカ人の記憶に深く刻まれている。クーデターが起き、介入があって、人殺しの独裁者が支援された。社会の不平等に対する貧しい国民の正当な反抗は共産主義的な脅威と見なされ、根絶が図られた。ロナルド・レーガンのファルコン(F16戦闘機)は、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラでのその汚れた戦争により今日に至るまで米国の評判に打撃を加えている。それはまた同時に、左派政権が暴力で自分たちの権力を守るための口実を与えてしまった。
このようにしてラテンアメリカのエリートは今でも、差し迫った米国の介入に抗するという口実で自分たちの破壊的な行動を正当化している。ニカラグアの独裁者ダニエル・オルテガは、ヴェネズエラの腐敗権力者と同様、自国の人民を貧困に陥れる政策はヤンキーの危険のせいだと言う。キューバ政権は60年代から同国に課された禁輸措置を口実に、自国民を閉じ込めている。
こうした経緯や現状にもかかわらず、ラテンアメリカ人の多くにとって米国は依然として丘の上に光り輝く町なのだ。アメリカ式のライフスタイル、ポップカルチャー、大きな車、ジャンクフードまでが憧れの的である。多くの家族には米国に住む親戚がいる。ラテンアメリカでは仕事が無いのに、米国では違法移民すら、故郷の親族を助けられるだけの稼ぎはある。「北の三角」では3戸に1戸がドル送金を受け取っている。この送金の割合は当該地域の国の国内総生産の4分の1に上る。持続可能な社会福祉の欠如がこれによって補われている。言うまでもないことだが、肝心の政権は大量移民を阻止することに何の関心もない。
ジョー・バイデンはディレンマに直面している。彼は先任者のドナルト・トランプに負けず、メキシコと「北の三角」に政治的・経済的な圧力を行使して、移民を留めておくよう強制することも可能である。しかしそれは長期的な解決策にはならない。長続きのする政策を望むなら、暴力のもとに極度に苦しむ地域を対象としたインフラと安全保障のための投資を含め、この地域に向けた政治・経済のマーシャルプランが必要であろう。加えて米国は、それを望むすべてのラテンアメリカ諸国に開放された自由貿易圏を開始するべきである。地域全体の共栄によって初めて必要な法治国家のプロセスが動き始め、腐敗したエリートを戒めることができよう。
法治国家たることは、ラテンアメリカが渇望していて、また米国が提案すべき強力なソフトパワーである。丘の上に輝く町の灯は、その地域をあまねく照らさねばならない。自分たちの裏庭を清掃することは米国固有の関心事である。今や中国という野心的な強国がこの地域に強い影響を駆使しようとしている。ヴェネズエラ、キューバ、ニカラグアの左派政権は増大するロシアの力が米国を脅かしていることにほくそえんでいる。
そのためバイデンは自己隔離のアメリカ・ファーストの政治とはまさに反対の政策を推し進めねばならない。そしてそれは光り輝くヴィジョンを前提とした一か八かのゲームとなるであろう。これまでのところ、バイデンがそれを遂行できると思わせる兆しはまるでない。
(写真は国境のリオグランデ川のメキシコ側河畔から遠くのアメリカの灯を眺める親子)