< 私の話 >
(タイトルは上記と同名:鷺沢萌著:河出書房新社2005年刊)
一昨日コトリカフェのワークショップでやった、りつこさんのヴィーガン講座で手作りのわっぱ飯をいただいての帰り道、ごーぎゃんさんとぶらぶら歩きながら帰宅した。その時、話の流れでサギサワモエなる小説家の名をごーぎゃんさんが口にしました。耳の悪い僕は何度も聞き直し、それが鷺沢萌(サギサワメグム)とわかったので早速アマゾンに注文したら昨日ポストに柳美里の本とともに届いていました。寝しなにちょっと読んで今読み終えました。彼女の自伝と言っていいと思う。40歳を待たず夭折した小説家、とググって知りました。
またかいと叱られるのを覚悟で172〜173ページから引用します(つい最近…日本ってある種の原理主義国家だなぁと思ってた僕は…このパラグラフに突き当たったとき納得できました、エラそう、エラ張ってます😅)
、、、民族や家族をフィクションであると考えている私にとって、ましてや「国家」は大いなるフィクションである。このフィクションもまた、人が渇望する「帰属感」に所以するところが大きいと思うが、現時点では「国家」と言う概念がなくなる、という事は考えにくいだろう。けれど近い将来、もしかしたらそういうことが起きるかもしれない、などと想像するのは私にとっては楽しいことだ。
「国家」が一緒だから、「民族」が一緒だから、この人たちと一緒にいるのだ、と言うよりも、自然に愛情を感じられる人たちと一緒にいられたほうがいいよね、と言うふうに。(引用ここまで)
こんなふうに茶飲み話で話すような軽口で、このセリフが吐きたいが為に、、、170ページまで自分を問い、追い詰めていったのだなぁと僕は思いました。彼女もまた異端を感じつつ(または感じさせられつつ:彼女は4分の1を朝鮮半島の血を引いている:この言い方120ページより引用(ざっくりいうと日本人は遺伝子的には80%位誰でもその血筋とか聞いたことがあります) )平坦ではない彼女の道を歩ききった「文学者」(言葉に頼って表現する人:私見)だったんだと僕は思いました。中上健次をちょっと思い出しました。ごーぎゃんさん、ご縁をありがとうございました。
(昨日ポストに入ってた柳美里の本は、そのうち取り上げる、「セックスと超高齢社会」…の著者、坂爪真吾が18歳の時に読んで影響を受けた人だということで、当「本の木」につながってきました)
(余談ですが昨日あんまり耳鳴りがひどいので近くの耳のお医者さんに診てもらいました。鼓膜がきれい…と言われて…すっかり安心しました。補聴器を勧められそうになったのでやんわりお礼を言ってもっと悪くなったら伺いますとお答えしました。僕の見立てでは「正常な老化」の範疇ですので「相当(耳が)悪いですね」と言われましたが、「一生この耳鳴りと暮らしていく」と言う覚悟ができましたので、優しそうな女医さんに微笑み返しをして帰ってきました)
(あ、そうだ思い出した、このホームページの他のシリーズで取り上げたクジラにまつわる話の中にテーマとして出てきたものが、今日取り上げたものとリンクするところがあるのであっさり触れておきます。若い2人が結ばれるまでの話なんですが…彼女がマレーシアの16分の1!の血を引くために結婚できないのです、法律によって。無理に結婚すると刑務所行き。ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国にアパルトヘイト撤廃法を導いた199I年!まで存在したであろう法律です。民族間問題は根深く、複雑に絡み合っていますね。今回取り上げた著者が最後の方の172ページで言った部分を引用してありますがそこに、今も残る深くて重い意味が見てとれるように思いました)
子供は小さく見えるだけで中身は大人ですよね!こっちが見えなくなっちゃってるところも見えてると思うことがよくあります。 セルフリスペクト?セルフエスティーム(自己肯定…使い方あってますか?)とハルモニ(おばあさん)への愛を貫いた古風な女性で…僕は著者をリスペクト(舌噛みそう)しています。三島由紀夫も本当はこんなふうにして結末をつけたかったんではないだろうかと、ふと思ったことでした。人の生き方そのものが小説だと強引に仮定してみると…小説の結末としては僕は彼女の方が分かりやすかったです。西原さんてなんか昔漫画見ましたよ痛快だったことを覚えてます^_^
おばあちゃんのことは、もうよしとくれね。こんな風に穏やかに言われる方がはるかに恐ろしく、身をさいなまれる思いだったでしょうね。
この話で、西原理恵子のことを思いました。この人も退学やら何やらお騒がせ少女、義父には自殺されるわ、離婚・再婚の夫には死なれるわで波乱万丈の人生だったのですが、お母さんはちょっと劇的な人だったようで、漫画やエッセイにも登場します。それで娘の理恵子さんに、「私のことを書くのは止めろ!」と怒鳴ったそうですが、すると理恵子さんの息子さんが、「そんな風に怒っちゃいけない。お母さんが僕たちのことを書いて、それでこうやっておいしいご飯が食べられているんだから」となだめたとか。何とも世故長けた子供ですね。
西原理恵子は同郷で、彼女の特徴は良くも悪くも土佐女を代表しています。週刊朝日に「恨ミシュラン」が掲載されていた90年代から彼女のファン。その言行録の中で気に入っているのは、土佐の女は玉の輿など望まない、欲しいものは自分が働いて手に入れる、という言葉です。子供時代から「繊細」に蓋をして生きてきた。そして生き残った。
おばあさまのこころざしと作品としての自伝を守りたかった…その方法として命を断ったことが…いろいろ取り沙汰されているなぁと思いました、後には応援できなかった多くの読者の悔恨が取り残されるばかり。
元新日本文学会員の林浩治という人の愚銀のブログで、鷺沢萠『私の話』
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-8e97.html
と柳美里『人生にはやらなくていいことがある』(2017年1月26日)を取り上げています。
このブログで、鷺沢がなぜ自殺するに至ったかについて、適切に分析されていると思いました。
「ただ、アイデンティティを探す若くて可愛い作家というだけで、ちやほやされがちな立場を、少し苦々しい気持ちで眺めていたことは事実だ。…まともなもの書きであれば誰でも突き当たる壁に彼女は突き当たっていた。書くことによって傷つく人々の存在。酒井順子が書いているとおり。「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」という祖母の一言に「頭を鈍器で殴られる感覚」を受け、恥じ、恐れた鷺沢萠。
鷺沢萠はスタイリッシュで健康的な、可愛らしい作家などではなく、賭け事(麻雀らしい)や飲酒(煙草も吸ったらしい)に身を持ち崩し、シャワーも浴びず、化粧もせずに二日酔いの頭と下痢腹を抱えながら外出するような無頼な作家だった。繊細で生きベタだったのだ。…作家としての自己を恥じるということが、作家としてどれだけ大切なのか。そういう意味で未来のある有望な作家だった。」
2日違いという近い年齢で親しい関係だったという柳美里とは対照的な二人の生き方と文学の秘密に少し近づけるような2冊の本だ。