< 悪の華 > ボードレール
が4冊揃いました。堀口大学訳(1953年新潮社)安藤元雄(1983年集英社)阿部良雄訳(1983年筑摩書房)、と、英仏版(アマゾン版:外国には日本の青空文庫に相当するものがないのかも。著作権切れを良いことにさっさと印刷してできた本と言う感じ)
英仏版は、、、情緒がなさすぎ。というか力不足で詩歌として楽しむ余裕がない、まして仏語など。でも堀口訳を読んで興がのったら気に入った部分だけでも、せめて仏語の音おんだけででもどんな感じなのかトライしてみます、ボードレールはフランス語で書いたでしょうから。で結局、文体と言葉のリズムから堀口大学訳のものを読むことにしました。ゆっくり楽しんだ後感想を述べたいと思います。では後ほど、ってか、多分だいぶ後…。
ありがとうございます、今コメントにも書きましたけど、ちょっと前に金子光晴訳あること気が付きました、他の情報もありがとうございました😊
追伸、、、今筑摩書房の訳者、阿部良雄の緒言ちょっと読んだだけで大体想像がつきました。さらに本文より何倍ものボリュームの解説見ただけでその意味が素人の僕でも理解できました。時代背景に肉薄していく研究の凄まじさに恐れをなすほどです。安藤元雄の訳業にも全幅の信頼をこの第二段落目で漏らしています。 、、、分けても先般刊行された安藤元雄訳「悪の華」は正確さ(原文への忠実さ)および訳文の美しさの点でボードレール邦訳史上の偉大な頂点をなすものであることを、特筆しておかなければなるまい。(引用以上) クレマチスさんのヒントで気になるところがあれば他の2冊も参考にしながら楽しめます。先程のお願いはもちろん諦めます、ご放念ください。あ、それと、悪の華は、金子光晴も訳しているんですね、探しましたけど図書館にもアマゾンにもありませんでした。悪の華、、、ヤクザな香り?だけ嗅いで済まし、その奥までは、危険な匂い?がするので、分け入らないことにします😑まだ1ページも読んでないんですよ…こんなこともあるんですね…本の木は花盛り状態です♪
もし余裕がありましたら、フランス文学界では長く惡の華の邦訳のスタンダードとなっていた(二人の師匠筋にあたる)鈴木信太郎訳にも目を通されるとよいと思います。もっとも大村さんの好みからいえば金子光晴訳も見逃せませんでしょうね。わたしの好みを言わせてもらえば福永武彦訳(『世界名詩集13 ボードレール 悪の華』平凡社なら必ず図書館にあるでしょう)です。
悪の華は、この作品に魅せられ、あるいは編集者に乗せられた?(そういう翻訳者も中にはいるかなと…編集者はそのぐらいの力があるのではと思います、ゲスの勘ぐりご勘弁)何人もの人が翻訳に挑戦するに値する詩集なのだろうと思いました。僕が堀口訳を選んだのは…読みやすさ、がその一つです。作品は詩、なので、とりあえず雰囲気を味わいのと、後はこの悪の華、を読むきっかけが例の青柳瑞穂の本であること、青柳の先生が堀口だったことなどが堀口のものを選ばせたのだと思います。つまり「本の木」の事情、というなんとも安直な舞台裏があります、ちょっと大げさ(個人的には翻訳と作品は別物と言う捉え方をしています)それよりまずはクレマチスさんのコメントが引き出せて大成功です。悪の華は安価で手に入るなら同じものを取り寄せて少しずつ読み進めたいと思っているので…そのあとでクレマチスさんのこのコメントと、各出版社、訳者の説明とを再度じっくり読みたいです。まずは作品を寝転がったり野原や公園で読んだりしながらいろいろ楽しみたいと思います。(この行為そのものがシュール、あるいは悪趣味そのものですよね…もしかしたら命を削るようにして生まれた作品を寝転がって読むだなんて…「動画」をはるかに超える悪乗り、あるいはドキドキする冒険だと思います、これも大げさ😓)。 時代、国、文化そして人間関係が全く異なる人による翻訳という作業…これまたこの意味を問うだけでも一大文化論に発展するのではないでしょうか。日本の明治維新を知らず既にボードレールは亡くなっているんだと思うと、もうそれだけで時代を超えた翻訳と言う作業の難渋と奥深さが僕のようなものでもわかります。それにつけても日本の翻訳文化は年季が入っているなぁと思いました。 クレマチスさんのこのコメントもなるべく多くの人に読んでいただきたいです。深夜にお手洗いに立つときスマホをちょっと見たら…すっかり目が覚めちゃった位嬉しくなったことを告白いたします。あ、ちょっとだけ今お答えできます、えーと、悪の華、の「華」は、悪の花、より曼珠沙華のようにはなやかで、はながあり、絵になるからだと僕は思います♪ それからこれはお願いですが…同じ年に悪の華、の出版が集英社と筑摩書とでバッティングした内部事情…明かしていただくわけにはいきせんか?、、、仁義上?明かせませんでしょうね、あはは🤓😅
翻訳は絶対的に後出しじゃんけんが勝るのは宿命でしょう。ここで堀内大学訳がまだ現役ということで取り上げられていますが、これは後の2冊と同じ土俵で比較されるのには違和感があります。時代が古いということの限界はもちろんありますが、翻訳の概念がひどく変化していて、黒岩涙香の鉄仮面のように翻案とでもいうべきで、ほとんど創作にちかいものです。これを現代の基準で批判すると「平岡公彦のボードレール翻訳ノート」https://kimihikohiraoka.hatenablog.com/entry/20130616/p1
のようなことになります。
同じ1983年に安藤訳と阿部訳が集英社と筑摩書房から出ているのは偶然ではなくそれなりの理由があるのですが、…。
阿部良雄さんは英文学者の阿部知二の息子でフランス文学者としてはもっとも深くボードレールを読み込んだ方であることは、平岡公彦氏のブログの通りです。一方安藤元雄氏は学者というよりも多彩な創作活動を重ねた実作者としての実績があり、筑摩書房の大事な執筆者の一人でもありましたが、遅筆で編集者泣かせでも定評がありました。
長い惡の華の翻訳の歴史で華の字を使うのが伝統になっており、いずれの翻訳でもタイトルは先達の例に倣っていますが、私は昔からなぜ花でないのか引っかかていました。
へーそうなんですか!羨ましいですね、それうかがっても、僕の力じゃ、じゃって気にはなりません、グスン(T-T) で、アマゾンの抜け目のなさには恐れいります、1000円の投資で済んでよかったです♪ありがとうございました。今寝転がって読みだしたんですけど…外は曇って来ちゃったし…耳鳴りはするわで、今日は諦めました、そちらの天気はどうですか…あ、すいませんコメント誰も見ていない気になってついついなれなれしく、、、せいぜいがんばって書きますのでよろしくお願いします^_^
青空文庫の英仏(独)版、ありますよ。英語版は児童文学でかなり利用しました。「小公女」とか「不思議の国のアリス」とか。ドイツ語はDigibib(Digital Bibliothek)。最近シュトルムの「白馬の騎手」を探して読みました。