< ささやかな日本発掘 >
(青柳瑞穂著:新潮社1960年10月刊)
本の読み方にもいろいろあって…昨日読み終わったナオミ・クラインの本のようにメモを取りながら読みたい本(そのメモも結局誤操作で失ってしまいました)もあれば、気持ちを落ち着けるためもあって読みだした今日、取り上げるような本もある。
この本もつい最近買った数冊のうちの1冊です。
古本屋の店先に並べてあった100円均一の本でした。LINEトークに何気なく写真を載せたらクレマチスさんが気がついてくださいました。60年前の新潮社の初版本、掘り出し物、と教えていただいた。
3分の2位読み進めたところから焼き物の話に入り思いがけない人が頭をよぎってきた。李朝の壺に詳しかった韓日系新聞社の社長の秘書がその社長から李朝の割れたツボをもらったと喜んでいた、その顔を思い出した(典型的な悪文ですね、最後の「思い出した」の前の省略された「僕は」が主語で、それが長い目的語にかかるんですもんね😓)。
その女性が、話の中で、ゴスが強いだのなんだのとわけわからんこと言ってたっけ。呉須、つまり焼き物に施すコバルト青の染料のことだ。あ、それで何だっけ、、、あ、昔勤めていた会社の女性の顔を思い出しつつ、、本を読んでいたら石皿のことが出てきた。それで、、いつぞやLINEトークでクレマチスさんが、僕の写真に写っていた皿について…「気になる」とおっしゃってたその皿がこの本に出てきた石皿だと今、気がついた(文字の乱れは認知症かもしれないけれど、このまま参ります) 石ザラとは、今は呉須、がなくなってしまって焼かれなくなったけど、昔ならどこの台所にもざらにあったような僕が持っている皿のことだ。褐色に縁取りされた鶴亀松桜?が大振りのお皿に描かれている。何度捨てようと思ったろう。残す理由が見つからない。残す理由を考えた…めでたいものなら何でも描き込んどきゃいいや、という、適当ないい加減さ、その自由奔放さをかうことにした。合理的な庶民感覚…面白いな…もうちょっと、とっておくか…それをクレマチスさんに褒められた…それが今では珍しい石皿であると分かったのだ。(すれ違って、あれ〜?と振り返ってさっき出会った人の顔をしみじみ見た感じ、ってどんな感じ?あはは、我ながら適当)
著者は田舎の台所から、知り合った友人を介して国宝級の焼き物をいろいろ発見している人だ(悪文承知)
どんな人かと言うと…こんな文章を書く人です… 210ページ
、、、石皿にしても面にしても、その美しさは、けつして珍とか奇とかいふ種類のものではなくて、あくまで素直で、本質的なものだった。それでゐて、それは初めて知る美しさであり、驚きだった。
ボオドレールのいふbeauté inattendue(思いがけない美しさ)の要素も多分に含んでいたかもしれない。確かに私たちの周囲はそういふ<思ひがけないもの> <思ひがけない美しいもの>で埋まってゐるのだ。210ページ引用終わり。
その昔、自由の庭の路地を通りに出て、左の2、3軒先に小さな古道具屋がありました。昔は探せば結構あったような気がします。今も仲見世にあったような気がする。古道具屋とか古本屋とかあったほうがいい。時間をたっぷり吸収した品々が僕の気持ちを少し落ち着かせてくれる。
(本日の文章は…メモをコピペしているのであちこち飛びます、飛びます飛びます、この本の最初のほうに飛びます)
最初の項「かけら」が7ページ目から始まって、10ページ目に詩集「悪の華」のほんの断片に美の予感を起こさせることがあると言う意味のことが書いてあった。もちろん僕はすぐにスマホでボードレールの詩集「悪の華」を、違う訳者と出版社で、3冊ほど予約した、ついでにアマゾンへ英語仏語版も1000円ほどで手に入るので発注しました、また「本の木」の枝が伸びた!分かれた?)
((悪の華、には堀口大学の訳もあり堀口大学は青柳瑞穂の先生であることが152ページの記述で分かった)
読みだして15ページ目にこんな項が立ててありました…「掘出しということ」(掘り出し物を話題にしたらすぐこれだ ! )、、、でもこれは一流品の掘り出しに関するコメントなので119ページの「真偽の難しさ」から引きます。
・・・白桃よりか、名前は落ちるだろうけれど、ほんの短期間しか姿を見せない、あの巴旦杏(はたんきょう)や杏子など、安物の方が、どんなに生きのいい、正直な味を持っているか知れない。…中略…総じて、一流品は堕落してしまったのに、二流品、三流品は、その本来の矜持を保っている。私は偽物の一流品よりはニ流品、三流品でも本物の方が好きだ。そして書画骨董でも、食品でも、ひょっとしたら人間様でも、ここに掘り出しのコツがあると思ってゐる。(引用これまで)
さて、行きがかり上引用文がところどころ出て来ます。彼の鑑識眼が冴え渡り、見栄えのしない青梅街道沿いにある古道具屋で手に入れた肖像画が真性の尾形光琳の筆になるある人物のものだと判明する、いろいろあって肖像画が描かれた背景を知るにつけ、、、光琳によって描かれた肖像画の人物、中村内蔵介、そしてその妻の菩提を弔い、、、(引用) 私にとって、内蔵介も、光琳さえもが、今に生きてゐるような気がしてならない。、、、と感想を漏らします(224ページ)
こんな目利きの著者ですが…あくまで謙虚なのです。有名な東大寺三月堂の金剛像を専門家と見たとき一向に感動しない自分を振り返って…私たち素人は、感動を失ったら、後は何も残らない。感動でのみ知ることができるのだ、227ページ。前ページ226ページで…
、、、またかういふところに、玄人と素人の違ひがあるとも言える。専門家は、心臓の感動を失ってからでも、頭脳で感動することが出来る。よし感動はしなくても、考へることが出来る。調査することもできる。
彼らは執金剛を何度見てもあきないだらう。何かを見つけ出すことが出来る。一すぢのヒダ、一點のノミの痕、これだけでも充分であらう。
(ついつい著者の口吻が伝えたくなってしまって、今日も引用が多くなってしまいました、さてうまい具合にちょうどお昼となりました♪)
あ、次回予告は、、、しましたよね…悪の華、です。図書館にリクエストしたあと1冊がきませんが、スタート切ります、やほー、少し興奮します。どんな詩なんだろう、僕でわかるのだろうか?題名だけ知っていて50年以上ほったらかしになっていた詩集!
(今食事終わって…よく見たらあと数ページ読み残していました。そこには京都に嫁いだ娘さんのことが出てました…と言うわけでこの娘さんのことに触れないわけにもいかなくなり?…適当に立石図書館にリクエストしました。噂は前にクレマチスさんからお聞きしていて、、ピアニストであり随筆家である…へーどんな人?)
追伸 : ちょっと雑用が溜まってきたので次回はちょっと間が空きますが再会の折にはよろしくお願いします。
久しぶりに午前中にちょっと出かけるので、遅れてはいけないと少し緊張して床に就いたら、6時過ぎに目が覚めたのです。あ、今、お迎えが来た。じゃあね。
皆が認めるもんなんてありきたりすぎて面白くないですよね、なんちゃって、あれもしかして早起きですか…?ま、余計な詮索でした…いつも駄文を見ていただきましてありがとうございます😊
ボードレール、もちろん名前も詩集も聞いたことがあるけれど、どんな詩があるか全く知らない。ランボーとかアポリネールならいくつかは知っていますが。(フランス語の教科書に出てきました。)あと、全くのちんぷんかんぷんがマラルメの詩。でも詩集は持ってます。おいしそうな名前だから買いました。
昨年の今頃、足が悪いこともあってずっと家に籠っている友人が、呆け防止に「海潮音」を声を出して読んでいるというので、うちにもないかなとガサゴソ探したら、ものすごーく古くて分厚いのが見つかりました。値段は何銭とかだった。その中にボードレールもあったはずだけど。
そうそう、骨董品の話。一流品、二流品といわれても、これまた全然分からない。分かるのは気に入ったかそうでないかだけ。私の昔の上司が言っていましたが(誰かの受け売りだそうで)、子供のときから最高の物、本物、一流品だけを見続けていると、偽物やくだらぬ作品が混じっていたらすぐそれと見抜くことができるそうです。
人間の場合もそうでしょうか、と訊いたら。さあ、それは、との返事でしたが、でも、そもそも一流の人とばかり付きあうような身分じゃないし、世の中は玉石混淆だから面白いのよね。嫌いな一流、好きな二・三流、確かにありますね。