< 地球が燃えている >
地球が燃えている:気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言:ナオミ・クライン著:大月書店: 2020年11月刊
この本の題名はグレタ・トゥーンベリーが言うところの「自分の家が燃えているかのように行動してほしいのです。だって燃えているのだから」335ページ、、、から来ています。トゥーンベリーはまた別のところで「いろんな点で、私たち自閉症者は正常であり、他の人々はかなり変だと思います」23ページ。
びすこさんがちょっと前にコメントで引いてらした… Only those who become grown-up and remain child understand life.、、、子どものような豊かな感受性で世の中を洞察できる大人の1人である著者は、グレタを理解する優れた活動家だと思いました。
グリーン・ニューディールについて…訳者解説346ページから引きます。
米国ではオカシオ・コルテス下院議員とマーキット上院議員によってグリーン・ニューディール決議案が議会に上程された。ヨーロッパでも2019年1月にはDi E M25から発展した「ヨーロッパの春」と言う政治連合体が欧州版グリーン・ニューディールを提案した。カナダでも…以下略。
つまりグリーン・ニューディールは既にスタートしている、という認識でいいと思う。と言ったからといって安心するのはまだ早すぎる。僕らの決心はどうなのかということがつけ突き付けられている。
ちょっと前に読み終わっただけなのでどこから手をつけていいのかわからない。あ、やっぱりありきたりだけどざっくりした説明をします。でも。今お昼前でお腹が空いているので僕の力では無理です。ご飯食べてからではなお無理です。と言うわけでご飯を食べる前に、作っておいたメモでお茶を濁します。
330ページのエピローグから…
エピローグ:「グリーン・ニューディール」推進の要旨
①グリーン・ニューディールは大量の雇用を創出する
②グリーン・ニューディールへの支出は、今より公平な経済を創り出す
③グリーン・ニューディールは火事場の馬鹿力を引き出す
④グリーン・ニューディールは先延ばしができない
⑤グリーン・ニューディールは不況にも負けない
⑥グリーンニューディールはバックラッシュ(反発)を起こさない
⑦グリーン・ニューディールは幅広い支持者を集めることができる
⑧グリーン・ニューディールは新しい同盟関係を築き右派を出し抜く
⑨この瞬間は私たちのためにある
引用ここまで。
エピローグの1番最後の4つのパラグラフを引用します。
1987年、イギリスの首相マーガレット・サッチャーは、インタビューの中で「社会とは誰のことか」と問い、公共サービスに対する容赦ない攻撃を正当化した。「社会などというものはない。個人としての男と女がいて、そして家族があるだけ」
これは人間に対する、非常にわびしい見方だ。私たちはバラバラに細分化された個人と核家族の集合以上の何ものでもない、手を携えて価値あるものを創りだすことなど、戦争以外には何もないと言うのだから。しかしこの見方は、非常に長いあいだ大衆の想像力を支配してきた。私たちが気候変動の脅威に対して立ち上がることなどできないと、多くの人が信じていたのは無理もないのだ。
しかし、それから30年以上が経ち、氷河が融け、氷床が崩れているのと同じほど確実に、「自由市場」のイデオロギーも溶解しつつある。それに代わるものとして、人間性のあるべき姿についての新しいビジョンが出現してきている。それは街頭から、学校から、職場から、そして議会の内部から出現している。それは、私たちみんなが一緒になって、社会の基礎を構成しているというビジョンだ。
あらゆる生命の未来がかかっているいま、私たちに達成できないことなどないのだ。
引用以上。
(最後のパラグラフ…私たちに達成できないことなどないのだ…どっかで聞いたなぁと思ったら先日のバイデン大統領就任100日目の演説でそう言ってましたね。1930年代のフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策、さらには、今回のグリーン・ニューディール提言を意識していますね)
あまりに引用が多いので僕のコメントを少々、といってもこれまた引用です、あはは。僕らは要するにコントローラーに舐められているんだ。コントローラーとは… 58ページ:世界の温室効果ガス排出量のほぼ50%は、世界の人口の中で最も豊かな10%によって生み出されている。最も裕福な20%が、70%を生み出している、、連中の中にいる頭の良い連中のことです。この中にはもちろんの政治家もいれば大企業の幹部連中もいる。石油メジャー(最近では炭素メジャーと言うのも出てきたらしい)はその最たるもの。
67ページ:グレタ・トゥーンベリーは言う。「あなた方が宿題を終えたら、新しい政治が必要だとわかるはずです。新しい経済学も必要です。それは急速に減少する、非常に限られた炭素(カーボン)予算に基づいた経済学です。でも、それだけではまだ不十分です。私たちは、まったく新しいものの考え方が必要です。…私たちは互いに競争するのをやめなければなりません。みんなが協力して、この惑星の残った資源を公正な形で共有することを始めなければなりません」
今年73歳になる僕は17歳の彼女に…はい、とせめてしゃきっと返事しなきゃな、と思いました。行動はいつ?
(日本と言う方法…を、この本に展開しようと思いましたが…少し先延ばしいたします、大きな口をきいて後悔しております)
今つらつら思ってたんだけど、僕らが、いかに動かないか、という事について、現状にどっぷり浸かって、過去を顧みない、いわんや将来など知ったこっちゃない、そんなこと全然思ってないんだけど…結果的にそういう状況を招来している。この本はそういう僕らでもシナリオ作りに参加できる希望を持たせる本です。今度の選挙前にぜひ読んでいただきたい一冊です。
こんなときにはエピソードだな。46ページ
1943年のアメリカでは2000万世帯(人口の5分の3)が自分の庭に「ビクトリーガーデン」(家庭菜園)を持ちその年に消費されたすべての生鮮野菜の42%を栽培していた。(そういえば水戸さんもおっしゃってたっけ。ご近所さんで2坪位の土地で生鮮野菜を自家栽培していて年間6、7割がた家庭用の野菜は賄っていたと言う話を聞いたことがあります)
地球規模の空気とか世界全体の環境というとどうしても観念的な議論になりがちですが、環境とは具体的なものなので、研究者や評論家も実験や実経験に基づいた提案をしてくれないと、説得力がないですよね。エリートならではの理論を押し付ける環境主義者はフランスにとても多く、特に農家の人が「あれもだめ、これもだめ」の政策に怒って市庁舎の前でデモをすることが増えています。ドイツでは牛乳をホースで大通りに撒き散らしたり。「テメエら、額に汗して野菜作って、牛を飼って、という俺達の苦労は何も分かってねえくせに」という腹立ち。
ところで温暖化はマクロな観点からいうと問題だらけでしょうけど、ミクロな田舎の暮らしでは悪いことばかりじゃありません。おかげで私の郷里でもマンゴー、パパイヤが栽培できるようになり、都会に出荷する量も増えて新しい商売になっています。もう、自分は熱帯に住んでいるんだと言い聞かせるほかないですね。とにかく7月末からの一か月半を凌げば。どこかの国で氷河が解けても水位はほとんど上がらないし。
森林問題は、田舎で親しい人の親戚が市役所で働いているのでそこで聞いた話として教えてくれましたが、今では不在も多い森林所有者の問題(税も払わない)に対処するため、また森の荒廃が進むとともに、グローバルな炭素吸収の必要性が叫ばれていることに対応して、いずれは個人所有の山林を国が引き受けるらしいとのこと。予算の関係で買うことは難しいので、ほぼ無料でというのですが、私は別に売ろうとは思わないけど過去27,8年に払った税金は返してくれないかなあ、と言っています。(まあ、これも大した額ではありませんけど。)
今では林業で収入を得るなど夢みたいな話ですが、環境というなら、針葉樹を植えてより多くの炭素を固定させる必要性と、広葉樹を増やして雨水を吸収させるという治水の問題とのバランスをとる必要がありますね。
ここだけの話、営林署って普段はものすごく暇なんです(最近森林管理局と名称を変えたみたいだけど)。その近くに住むお婆さん(私よりだいぶ年上)が、いつ覗いても(窓から)、碁を打ったり饅頭食べたりしてるって言っていました。問題山積なんだから、ちょっと真面目に考えてくれや、と言いたくなります。