< 不機嫌と不安 >
明治以降西洋の影響もろに150年以上受け続けている僕らの国のスタート時に悩んでくれた日本の代表的日本人、夏目漱石と森鴎外を主に取り上げ、その悩みと不安が何だったのか…ちょっと前に手に入れた今回の本が解説してくれました。
山崎正和著「不機嫌の時代」新潮社1976年刊
エピソードから行きます
夏目漱石は神社の境内で開かれていた射的場の的当てをやると言ったので、いざ許可したら、モジモジしてやらなかった自分の子供をステッキで激しく何度も打ちすえた。下駄ばきのままで踏む蹴る頭と言わず足と言わず手に持ったステッキをめちゃくちゃに振り回して私の全身へ打ちおろす(同書44〜45ページ「父夏目漱石」夏目伸六・・孫引きを略記)
また森鴎外は自分の家で不機嫌を表に出さないように(見栄を張って?)して良い父親を演じていたと娘の1人小堀杏奴は語っていたそうな、、、本当の幸福と呼ぶにはいささか人工的な明るさを帯びすぎていた(同書70ページ)
森茉莉は自身の著作「甘い蜜の部屋」に出てくる父親を、傍観者として淡々と書きしるしていて、僕は独断的に小説の中の父親のイメージは森鴎外その人でないかと思いました(僕の記憶)。
また、著者の山崎正和は、漱石の、未完に終わった「明暗」の主人公、津田が昔の訳ありの恋人清子と再会するときの心情も「成行きまかせ」「怖いもの見たさ」の傍観者のそれではないかと類推していました(同書175〜176ページ)。
森茉莉の小説の中の主人公の父親にもこのような、心の中ぶらりんがあったのではないかと…これは僕の類推です。ここまで強引なこじつけをしたくなってしまうのは漱石と鴎外が抱えていた時代気分は現代でも形を変えてそのまま引きずってきているから、なんて偉そうなこと考えてみました。僕にしたって場面によっては状況を人に託してしまう事は結構あります、この人だったらどう対応するんだろうと言う突き放した態度、処世。そこは話し合いの場面だろうと思うのに…話し合いの前に、話し合いのしんどさを予想してしまう弱さ、というか手抜き?
漱石の「それから」の主人公、代助の立場を今ならこう言える「インテリで居続けなければいけないという精神的な足かせ、手枷、迷い、、、時間だけがある高等遊民」、、、どう生きる?メンターもいなければモデルもいない。あれーこれって今の高齢者の中に該当する人いっぱいいるんじゃないだろうか?
国家の事から家族の事まで同じ比重で悩む、そんなアクロバティックな、軽業師のようなビヘイビア、行動、行為を肉体的にも精神的にも日々の暮らしの中に織り込んでいた当時の知識層のしんどさ、その悩みの深さをつい考えてしまいますね。
さて、何の根拠があってこんな偉そうなことを喋っているんだと思った方はこの先読まないほうがいいです…多分もっと偉そうなことを言い始めますので😒
立場変わって今僕らは中国やアメリカのことを考えなくていいんだろうか(ちょっと大袈裟かな?僕だって悩みたい… 10年後僕らはどうなってんだろうって、、、強くならなきゃ舐められる…怖がらせなきゃちょっかいを出してくる、違う?)それでなくても災害フレンドリーな国に住んでいる僕らは危険がいっぱい、丸腰じゃいられない。あ、話の流れはどうなってたっけ?
夏目漱石や森鴎外が生きた時代背景と今を比較してみようかな、偉そう😓
徳川の260年に及ぶ治世がひっくり返って明治になった。国はどうなる藩はどうなる家はどうなる。ちょんまげ切って洋服着て大砲揃えたからって時代が変わるわけじゃない。女も男も自分の頭の中が変わらなきゃいけないことだけは強迫観念のようにして持たされた時代、なんて言っちゃっていいんだろうか。
明治維新から20年30年40年日清日露戦争勝って高揚していく中、表面上はともかく、来し方行く末を考えて、気持ちの平安なんか、なかったろうと思う。近代化へ大きく舵を切り、やるかやられるか、欧米社会と切り結ぶために社会構造と人間の意識改革が必要、でもどうやって?、、、と言ってみると現在の状況と強引に重ねられるような気がする。
年功序列と終身雇用と言う、一時的とは言え夢のようなシステムがあったことを覚えている高齢者にとっては、IT社会に対応するための乗り越えなければいけない落差、そしてITネイティブと言われる生まれた時からITに囲まれている世代のこれから望まれる資質の自己確立のためのモデル探し、メンター探し。今の時代を生きる若者と高齢者をこの後で明治時代と強引にオーバーラップさせてみる。
待っていればきたるべき時代は誰かが作ってくれるのか?これからの高齢者はその落差を埋めなければいけないのか?他の選択肢を考えることなく問題のありかはそこにあると決めてしまっていいのか? 与件、前提を疑わなくていいのか?(何か言わなくちゃと思って無理して言ってみました、自分でもよくわかってない事でも口に出して言う事はとても大切なことだと思っています)
さて、また振り出しに戻って…漱石や鴎外は何を悩んでたんだろう?
山崎正和は先の本の第四章II不機嫌と実存の不安、224ページから246ページで、「それから」の代助も引き合いに出しながら…自分探し、、、猿のらっきょうの皮むき、、、の解説をしています。ここで僕のあやふやな実存哲学の聞きかじりの解説をしても始まりません。…漱石や鴎外の不機嫌はここに関係しているらしいと著者は言いたいらしいのです。さらに、その不機嫌は解決を見ないまま現在の日本人の感情生活を蝕んでいるように思われてならないのです…と結論しています(僕の独断と偏見)
漱石も鴎外もこんな「不機嫌を含む不安な気分」と向き合っていただなんて、なんて先進的な人たちだったのでしょうか。表面はいくら装っても不機嫌を隠すことも不安を振り払うこともできなかった明治時代のインテリたちの悩み。華奢でちゃちな頭ですけど、インテリでも何でもない僕も僕は僕なりに、インターネットが普及して20数年経った今、これからの社会に対応するために何を悩むか決めて?ちゃんと悩んでみたいと思いました。先輩たちが悩んでいた悩みを引き継いだ上で現況を悩む、、、そんな壮大な悩み…インテリ出てこい!と叫びたくもなります。いずれにしてもきちんと悩むことの難しさを痛感してます。
ふ〜しんどい、次回は多分もっとしんどい(松岡正剛…何者だ?)しんどいけど、、、
本を読むって本当に素敵なことですね(明日から決めゼリフ省略します、ちょっと無理があります😅)
私、山崎正和の本はわりと読んでいるのですが、「不機嫌の時代」はまだです。それと「闘う家長」も。こちらは手に入らなくなっています。
鴎外は功成り名遂げた作家の典型というか文壇でも頂点にいたようなイメージがありますし、官界でも軍医として一目も二目も置かれていたのに、丸谷才一などに言わせると「詰まらぬ連中の悪口を異常に気にするたち」だったそうです。孤高の作家という印象がある人にしては、と不思議ですが、森茉莉も、自分の父は人にやたらと気を使うところがあり、家庭の不和(自分の母と妻との)が耐えがたかったらしいと書いていますね。グズグスと考える性質?うーん、あんまり男っぽい人ではなかった、というか。でも当時男っぽい作家なんかいたのかなあ。
漱石も私にはどうもとっつきにくくて。名作と言われる本はほぼ読んだのですが、全く覚えていない。「三四郎」の美弥子とか、感じ悪いなあと思った程度。それとこの作家ののろいテンポがどうも。後で、もともと新聞小説と聞いて、なるほどと分かったのですが。それにしても、不機嫌というよりひどい癇癪持ちで、家族はたまらんかったでしょうなあ。
男らしいといえば、正岡子規なんかどうでしょう。この人の闘病日記は溌剌としていて(まるで矛盾のある表現)好きですけど。