< 終わる >
オーストラリア原住民の言語には「品詞」がなく、主要な言語は英語の動詞に似た行動を表すものである…とあり、乱暴な言い方をしますと、そのおかげで既成概念(僕らは一生ここから逃れられない、既成概念のおかげでかろうじて安定している、と言う一面もあるのだと思います)からの自由度が多いそうです(生命潮流、工作社451ページ)
カラスは鳴き声の使い分けで「敵」は空を飛ぶものか、地上を移動するものかを知らせることができると聞いたことがあります。「テキ・トブ」 「テキ・ハシル」みたいなものでしょうか。これに過去と未来を表すサインが加われば行動は動詞10個もあればかなりのことが伝わるんではないでしょうか。岩手県に住む友達が雪道で交わす会話は、長話していると寒いので短い単語で用を済ますと聞きました。名詞+動詞。名詞だけでは行動が示せない。
動詞30個の力を借りて、過去を振り返る良いきっかけになりました。あっという間の1ヵ月でした。この1ヵ月の間にもずいぶんいろんなことがありました。住まいを1階から2階に変えただけでも環境ががらりと変わりました。1日中2階に閉じこもりきりみたいな感じですが気分が少し開放的になりました。引き戸を開ければ路地の向こうに通学路が見えます。今まで見えていた渋江小学校が見えなくなりました。だだっ広い空が建物で仕切られ長四角になりました。食事を2階でするのでちゃんとした料理を作るようになりました。
今、上のパラグラフ →
(260字= 40秒→ 400字詰め原稿用紙を話すと約1分、から逆算・・・ぼくは一人で昔、帳簿組織の標準化、つまり電算化のための事務分析をしてました、(親会社のセガの担当者との連携プレー)そのため約100人の人から人員整理に加担しているやつ、という目で見られていました。伝票の流れに無駄はないか、滞りはないか、内部取引伝票が果たして必要かどうか…について経理部のスタッフに聞き取りと取材していた時…いちまるさんは何の権利があってこんなことしてるんですかと、憤慨した1人のスタッフに聞かれました。いえいえこんな仕事誰でもできます…コンピュータは頭が悪いのですっきりした形でないと電算化できないからです、とあっさり説明したら膨れっ面のまま黙ってくれました。
一区切りついたとき…組合がないことをいいことに、社長室の係長待遇だった僕に上司からある人(ゲームセンター展開担当の学習院出の妻子持ちのもの静かな方でした)の退職勧告(事実上の退職命令→予告解雇 : 1ヵ月分の給料を払って解雇理由を述べる)を伝えろと事実上の業務命令が来ました、伝えました、うなだれてました、これが宮仕えだ。やってられるかよ。
前いた小さな新聞社では不当解雇された新聞記者が僕のところに文句言いに来たので飯田橋の労政事務所を紹介したら、即、出向いて訴えて、あっさり予告解雇手当を手にした、その彼がその後付き合うことになり、いろいろあっておじさんの会社を引き継ぎ、僕をその会社に誘ったのがH Sさんだったから世の中どうなるかわからないものだ、彼の社員獲得方法は奮ってる、上野へ行って当時の路上生活者に声をかけて自分の会社に入社させた、行動力抜群、2度結婚して数人子供がいたと思う、ぼくも最初の奥さんのところで引っ越しの手伝いをした、どさっといろいろ思い出した、やめやめ)
→ たった40秒話すだけで、どんだけ動詞を使ったかというと、15個の動詞、3秒に1回使ってる!
借りる、振り返る、なる、ある、変える、変わる、なる、開ける、見える、見えなくなる、仕切られる、なる、する、作る、なる
だからどうしたって感じですけど動詞を意識していると、行動を起こす時、楽なような気がします。料理を作るためには机にかじりついていてはいつまでたっても料理はできません。立ちます(と、とりあえず命令する)階段を降りる(と命令する、今2階で暮らしてるので)料理の用意する(と命令する)
行動を分解し、動詞を選びますととどうしても尻軽になり、階段を登ったり降りたり忙しいことになります。これが結構いい運動です、、、
ま、冗談はこれくらいにして、そろそろお名残惜しいのですが、、、
この2カ月間、形容詞マニアと動詞マニアを書かなかったら自分の社会デビューから今までのおおざっぱな行動すら一生振り返る事はなかったと思います。
いいね、押してくださった皆さん、クレマチスさん、びすこさん、ろれさん、しょうもないブログにコメントをいただき、はずみがつき、おかげさまで小さなプランの一つが終りました。また新しいプランを立ててご覧いただけるようなものができるといいなと思っています。
当分は後回しになってたくさんたまった読むべき読書に(今書き始めた小説のための読書です、いくら小説といっても真実味を持たせるために多少調べ物があります、三文文士気取り、ご勘弁)没頭して、頃合いを見て、好き勝手に書き散らす100年にわたる過去現在未来小説を書いてみます。
雑文の集積がパッチワーク小説になると証明してみせれば…これは誰でも、その気になれば、その人だけにしかできない特徴ある読み物になるし、お金のかからない大いなる楽しい暇つぶしにもなり、僕が勧めたい自慢できる数少ないノウハウにもなると思っています。
ではでは、、、終わりよければ全てよしと強引に終わります。
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※次回からは、私家版パンフレット「わたしのなかのわたし」シリーズが始まります(第一回目はお試し版で我が兄を取り上げさしていただきます)。
発表は、ご本人の了解が得られ、かつ校正が済んだ順からと言うことになりますので不定期になります。
このシリーズは皆さんのご協力がなければ成り立ちません、よろしくお願いいたします。
私家版パンフレットの執筆、代筆、取材協力者が得られるまでぼくが偉そうにぼちぼち引き続き当フォーラム欄に顔を出します。
執筆代筆取材にかかる経費に関して一言申し上げます。ぼくら職人(ぼくはペンキ職人)の世界では…怪我と弁当自分持ち、という言葉があります、そもそもこのクレマチスさんお手製のHPもそうやって出来上がっています。なにとぞ台所事情お察しの上^_^飛び入り寄稿はどうぞお断りなくどしどしお願いいたします、ちょっと冗談。
では、引き続きお見捨てなく当フォーラムにお気軽にお立ち寄り下さいませ、お待ちしております。
井伏鱒二…恐れ多いことですが 大きな山椒魚も遠くから見れば小さく見えます よくしたもので、、、さよならは見えないので親しめます、、、井伏鱒二だったら何と言うかなぁー さよならを懐に抱いていっぱいひっかけに行くと思います^_^
この時期の定番は、井伏鱒二の漢詩の名訳としてすぐ引用される、
ハナニアラシノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ
でしょうね。原詩を超えた名文句として人口に膾炙しています。
http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/toku-kanshu.html
大村さんは井伏鱒二に喧嘩を吹っかけてません?
私も一杯入ってます。
ちょっとふざけていいですか…冷酒をいっぱいひっかけちゃったもんですから… さよならはない そもそも恋をしたことがないのでさよならはない 別れたことがないのでさようならはない 会うは別れの始めとは思わないのでさよならはない さよならを言うときはまた会うためにさようなら また生まれてくるつもりでいるのでさようならはない でも本当は言いたくないさようなら…こんな人生だったらすばらしいですね、あはは😉
あ、やっぱり。最後は「終わる」だろうな、と昨日考えました。終わって嬉しいものもあるし(コロナとか)、悲しいものもある。でも大体「終わり」と聞くと悲しくなってしまうのではないでしょうか。命に終わりがあるのはもちろん、恋にも終わりがあるから物語が出来るのですけれど。
お話が終わると、それが「そしていつまでも幸せに暮らしました」となっていてもやっぱり残念。でもだからって、続編を書くとロクなことがない。映画でもそうですね。続・○○物語が最初より良かったという話は聞かない。ミヒャエル・エンデの「終わりのない物語」のように、いろんなエピソードの結末について「その話はまたいつかね」で済ませることもできるけど、そんなこと言っているうちにエンデさんは亡くなっちゃったし。あ~、今気づいたのですが、エンデはEndeで英語のEnd、「終わり」という意味の名字だった!
人はやっぱり終わりを思うと悲しくて、それで「永遠」などという概念を創りあげたのかもしれない。でもね、この地球だって何十億年か前にできたっていうし、時期は知らないけど銀河系もそうだし、太陽系も。だからすべてのものには始まりがある、ってことは、すべてのものに終わりがあるってことですね。