思いつく→自由の庭、事始め 僕の40歳代始めの頃に作った絵本のコピーをもとに鎌倉図書館で僕の絵本展を企画して開催してくださったKO Iさんが、、20代半ばの若くてイキのいい人がいます(もちろんKO Iさんは上品な方なのでもっとスマートな言い方をなさってましたけど)と、S Fさんに、当時の葛飾市民活動支援センターの二階でやってた何かの市民活動の集まりの時、紹介していただいた。 2014年の10月27日、立石の家 (その頃までは確か10工房(いちまるこうぼう)とふざけて呼んでいた)で、何かの弾みでS Fさんと話し合う機会ができた。話はあちこちへ飛び深更に及んだ。テーマは「家を開く」。S Fさんの繰り出す話題の切り口に惹かれだんだん家をもっと大々的に開いてもいいかな、と気持ちに傾いてきた。ちょっと会話が途切れたその刹那、ある意味、、、家を手放そうと思いました。大げさに言うとアハ体験(aha!moment)…瞬間的に重荷を下ろした気がしました。この家が自分の家だと思うからややこしくなる。もともと借り物だと思えばどうと言う事は無い→ (土地は国家からの借り物だ、使わなければ返すべきもの、、と言う意見の先輩がいます、ご存知のように相続者がいなければ国庫に返還されますね。土地は国民管理の要諦(私見)で勲功挙げた武将に分け与えるべき領土がなくなり、仕方なく財宝や美術品を分け与えた話もありますね、ヨーロッパのかつての血で血を洗うような宗教戦争も戦利品の分捕りあいの一面もあったろうと、、、ゲスの勘ぐり) →その時の気持ちを今追憶して説明すればそんな感じです。僕がわかった、と言って(何がわかったか彼には、ろくに説明していないのに!)数秒後、S Fさんが、、、 今日は10月28日ですね…(じゅう)じゆう自由(10)の庭(28)と読めるな、、、 いいなーそれ!とぼく。と言うわけで、自由の庭の命名者はS Fさんなんですがそれを知っている人はもうほとんどいない。S Fさんには悪いけれど、そうなってほしいと思っていた。命名者が誰かなんて気にする人もいない、開いた人が誰かなんてものも気にならない位長続きするといいなと思っていたからです。 それからのS F さんの八面六臂の活躍は、この人ほんとにお勤め人?(専門書を出版している会社にいらっしゃると伝え聞いた)話が多分前後していると思いますが今日のところは1つだけエピソード…ある時読売新聞の城東欄だかにどっかで見たことのある場所でどっかで見たことのある人が編集長として結構なでかい記事になって載っていた。自由の庭の2階で漫画みたいな編集室?とかの名札を置いてちゃっかりおさまっている。ヨコガオ編集長のS F さんだった。なにこの人? それと前後して、いちまる工房時代の先客、秋山さん、野村さん、クレマチスさん、水戸さんたちが入り乱れ、そのうち、秋山さんにごーぎゃんさん、イワトミさんが合流し、水戸さんも時々お手伝いして板張り工事その他を引き受け、内装が仕上がるにしたがい、仕上がる前から連日なにがしかの催しが始まることになったと記憶しています。ジャズ演奏会とかハープ演奏会とかやったって言うんですけど…音をどうやって控えめに出したのか謎です。アーティストがいかにもプロっぽい趣向で自由の庭にぽつんと1枚だけ人物画を飾りがらんとした感じを出して展示していたイベントもあった。そんな仕掛け人の1人が先日のNHKの日曜美術館でパフォーマンスをしていた。岩井さんとおっしゃる芸大出のアーティストが普通の作業服を着て床にモップをかけている、何かを表現してるんだけど…なんだか聞き損ねた。この人からインタビューを受けた。自由の庭にまつわる話かと思ったら僕自身に興味を持ってくれてI Cレコーダーで記録を取られながら、下町喫茶あみちえ、の店の奥の席で、適当にお答えしてた。確か下町らしさに聞かれたので、、、 下町の人なんか人情がどうこうなんて言ってるけどそれは幻想です、どっかのそこら辺の地域と同じようにこすっからくてせこいですなんて答えてました。そもそも僕にインタビューしてまともなことが聞けると思うのは間違いです…、こちとら中身がないもんだから、父が紙芝居やってた話をしたりしてサービス?しました、、、後で記事を見たら…アナーキストぶりに呆れた、とのコメント拝見しました、あはは。 自由の庭で皆さんの思いつきが形になるのを見ているのは楽しいです。母が亡くなって間もない頃、水戸さんと知り合って…水戸さんに家をもっと大々的に開放する話をすると…なんか面白くなりそうだね…と、にこっとされた顔を今思い出しました。 何かをポンと思いつく、思いつきがポンと形になることもあるし、その思いつきが何かの拍子で人に伝わり、さらにひょんな事から他の人の口の端にのぼり、思いついた人が思いついたことすら忘れている頃…どこかでその思いつきが形になっていることもあるだろうさ、世間て、そんな力もあるんだぜ、、ここ寅さん口調。
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かちねっと、にぼくは救われましたね。良い意味で母とちょうど良い距離が取れました。密着していたらわからなかったと思います。祖母と母との関係も最近やっと少しずつわかってきました。祖母が亡くなったときの母の落胆ぶりも今なら理解できます。母亡き後もかちねっとつながりのおかげで何とかバランスがとれたと、最近になって分りました。