< 勝つ VS 負ける >
浅草の植木市やほうずき市で…買った買った(勝った)、、、まけろ、、、の声に売り手のお姉さんあるいはお兄さん…「負けた!」
客は(値段を)「まけさせて=勝って」鉢を買う、、、さて、お金を払う段になって、、買った鬼灯の鉢(ほうずきのはち)の値段に色をつけて余分に払う(本来の値段以上に払う)…勝った負けたの言葉の上では客の勝ち、、、定価より余分に払うのは言葉の上だけで良い気持ちにさせてもらうそのチップだ。手の込んだ粋なやりとり。
身に覚えのある人は多いだろう。僕もそのクチだ…客に勝たせる。それでも仕事はもらう。負けるが勝ち。両方メンツが立つ。
世の中はこういう風にできている。勝った気になって、いい気になっていると馬鹿にされる。僕なんかめんどくさいからいつも負けてる。それでもお金は少しずつ残っていく。恨みっこなしで残すためには目立たないようにまめにあちこちから頂戴するのが一番。僕はそう思う。ペンキの仕事を覚えて多分1週間ぐらいしか経っていないのに電話で営業して、面談してその場で仕事をもらいそのまま10年間仕事し続けた社長に支払いを受けるとき最初に言われた言葉、、「いっぺんで儲けようと思うなよ…」。細かい商売していると笑わば笑え、負けるが勝ち。
お金を介在させない商売を今考えている。子供の肩たたき券と同じようなやり方だ。お金がなければ自分ができるパフォーマンスを人に施す、券を渡す。その人が必要なくても受け取ってもらう。その券を必要な人にあげれば良い。その券は他の人の優待券と交換できる。めんどくさいけど人の輪が広がる、水の輪のように。向こう5年間でこの話を広げるのは当分の僕の楽しみ。お金が、1銭もかかるわけじゃなし。あ、そうだ、肩たたき券が受注、だとすると発注する方の「お願い券」もあったほうが面白いなぁ、要検討。
アメリカ人も戦後日本人とよく付き合ったのでその影響からか日本人をよく勉強していると聞く。そういえば昔のルースベネディクト(菊と刀、の著者)の例を出すまでもなく孫子の兵法はつとにテキは研究済みだ。敵を知り己を知れば 百戦危うからず。アメリカに油断するな。がんばれ日本。
ところで皆さんすいません、僕はオリンピックなんか全然興味ありません。選手の皆さん本当にごめんなさい。
みんなの生活の向上の方が興味あります。優先順位をつけるのはお役人さん達の得意技です。頼むよ、がんばれ霞ヶ関、がんばれ、優秀な我らが地方公務員の皆さん!勝ち負けは僕らが決める…まどろっこしい選挙を通じて、、、ね。
要はみんなが負けなければいいんです。負けたと言わなければ負けたことにならない…若い人から僕が教わった言葉です。
喧嘩になりそうだったら謝ってしまえばいいんです。怒らせてしまった私が未熟だったのです…ごめんなさい。たっぷり時間をかけてあげればそのうち相手が気がつく。とは言うものの、裁判になりそうな時は言質を取られないようにしましょう。それはそれ、これはこれ、あはは。
契約がきっちり終わったのに仕事が終わってから難癖つけて値切る客は二度と仕事をしませんでした。最初から払う気のない客の仕事をしてしまったことがあります。その仕事をなかったことにしました。損切りの良さを、喧嘩上等の(売られた喧嘩は買ってやろうじゃないか的気質の)相棒に褒められた(と思う。彼はぼくと違ってやたらに人を褒めない)
小額訴訟制度利用して裁判に持ち込んでいる時間が惜しい。広い東京の空の下、仕事はいくらでもある。事故にあったと思えば良い。それで正解だと思っています。負けるが勝ち。しおれている時間がもったいない。
飄々としていると言われた。褒め言葉だと思っている。とにかく忙しい人だと言われた。仕組んだことだ。忙しそうにしていない人に仕事なんか来ない(やっぱりなんだかんだ言って気合が入ってたんだなぁ)
小さな仕事はとにかく忙しい人が勝つ。まめに稼ぐ。小銭を稼ぐ。これに尽きる。ぼくの商売哲学です。友人から教わりました。一般庶民から金を集めろ。母集団が大きいから手数(仕事の種類)を増大して、数うちゃ当たる、ハズレがない。
不動産業で言えば大きな物件の売買よりは賃貸物件で細かく稼ぐ。今でこそ賃貸物件は大きなサイズの業界になりましたが昔は土地建物の売買がいかにも不動産業と言う感じでした。一回でボンと稼ぐ、かっこいいけど、気長な人が合っている、10年20年ただただじっと待つ、待つことが仕事、当たり前、僕の柄じゃない。
零細企業なんて仕事を辞める時、借金が残らなければ御(おん=上出来)の字。日本企業の悪名高き二重構造が、日本経済を支えてきた。零細企業いじめは今も現存しているだろう、目立たないだけで。
コロナ禍で中小飲食店中小企業が頑張ってる。過日、何十年ぶりかで立石のアーケード内のお店入って1人で飲んでたら広い店内に僕が出て行く時お店にいたのは数人だけ。おいしい手作りシューマイもあるし、唐揚げもある、かと思えば丸干しいわしもある。お刺身もあるし、もつ煮込みもある。ラーメン焼きそばとか言うのもある。おでんだしのお粥と言うのもある。下町は何でもありだ。ぼくはこれを浅草方式と呼んでいる。儲かれば寿司も出せば中華そばも出す。呆れる前に笑っちゃう、あはは。コロナ、もう、終息していいころな。こればっかりは負けるわけにはいかない。
職人のプライドが伝わる…オチもいい素敵なエピソードですね! 集団学習の大切さ痛いほどわかります。女性が聾桟敷に置いて置かれた期間があまりに長いので…男性も協力しなければいけませんね、その、、、学習を見守る、、、もしかしたらそれでもまだドイツの方がその点では先行してるかもしれません、実害を被っている、びすこさんにすれば担当の女性ほっぺたひっぱたいてやりたいでしょうね、、、女性の敵は女性、、、か、あ、あ、余計わからなくしてすいません、これからは…男の出る幕じゃないと叱られてしまいそうです、勉強します!いつもブログにコメント下さってありがとうございます、恐縮しております😓
大企業による零細企業いじめ、もちろんドイツにもありますよ、というか、日常茶飯事です。日本の特にインテリの方々は、ドイツを先進国の模範と思っているらしく、そういう側面に目を向けようとはしませんけど(流行りませんしね)。こっちは零細企業主の女房だから、しょっちゅう経験しています。購買係が変わるたび、新任の部長だか課長だかは、手柄を急ぐ。一番分かりやすいのは購買価格を業者に下げさせて企業への貢献を誇示することだから、値下げを迫る。こちらが既に幾度も値段を下げて、もうぎりぎりの価格で取引していることなどお構いなし。ノーといえば、もちろん発注をしないか減らすか。私の経験では、女性の方がこの点は冷酷です。多分、経験不足と長期展望の欠如から「損して得取れ」ができない体質になっているのでしょう。女の一人一人の社会経験が、コロナで聞かれる「集団免疫」ならぬ「集団学習」になっていないことも大きいと思われます。
「契約がきっちり終わったのに仕事が終わってから難癖つけて値切る客は二度と仕事をしませんでした。最初から払う気のない客の仕事をしてしまったことがあります。その仕事をなかったことにしました。」
これで思い出した物語があります。舞台は19世紀の英国です。日本ではほとんど知られていないと思いますが、ジョージ・エリオット(男性名ですが、女性作家。当時は女が書いて出版することに何かと不便があったから)の書いた「アダム・ビード」という小説の中のエピソードです。アダム・ビードは非常に腕のいい、そして刻苦精励と誠実で知られる大工でした。あるとき彼の優れた細工を見たその村の伯爵さま(とにかく貴族)が、それを買いたいと言います。値段を聞かれて答えると、この殿様が値切った!!そのときのアダムの反応が、「お金は要りません、差し上げます」でした。アダムとしては自分の仕事の結果に自信があり、職人としてのプライドもあります。値段を叩かれてそれで売るくらいなら、お金はもらわない。これで勝負は誰の目にもあきらか。お殿様も自分の完全な敗北が分からないほど無教養な人間ではない。しまった、と思ったのですが、もう遅い。こういうの、日本では一寸の虫にも五分の魂、っていうのかしら。