< なぞる > → まねる → 観る → 追体験する ドラクロワの「アルジェの女たち」を画集から拡大コピーして模写していたときのこと。その日は明日が休みであるのをいいことにちょっと時間を忘れ気が付いたら夜中。何か胸がざわざわする。 30号Fサイズ位(90 × 70センチ)のキャンバスに升目を入れその升目に対角線を入れる。名画の写真を拡大したものにも同じように升目と対角線を入れる。あとは油絵の具をとりあえず、写真の色に調合して升目と対角線を頼りに1コマずつに色を乗せていく、まぁ小学生でもちょっとコツを覚えれば誰でもできる作業だ。ペンキ屋の僕はそういう作業には慣れている。 そんな模写でも出来上がっていくに従ってだんだん面白くなってついつい明日は休みと言う気安さから夜中になってしまったと言うわけです。模写も大体終わりに近づいていました。 横たわる女性の瞳を模写して仕上げているとき、大きめの目の表情をよく見てなるほどなぁーと思った。本物の絵もかなり大きなはずなんだが、横たわった女性の顔はそれほど大きくは無い。眼に至っては絵から3、4メートル離れてみるとするとなおさらその表情は読み取れない。だからうっとりとした瞳を読み取ってくれとばかりに工夫を凝らしている。目論見通り、絵の鑑賞者が距離を置いてみても、印刷物の写真の中にも気だるさの中の恍惚は読み取れる。ハイライトなしで画面の中の女性たちの目が語っている。 にわか絵かきとしては何か新しいものでも発見したような気になって…そろそろ寝ようかと思ったとき、あっと声を上げそうになった。さっき胸騒ぎがしたわけはこれか。巨大な女性器が模写した画面に現れた。もちろん僕の見たイリュージョンなんだけれど中央に横たわる割れた裳裾と衣服がそれを構成していることに気がついた。 その気になってみると他にも画面の中にその暗喩、隠喩がちりばめられている。作者が意図したものだと確信した。絵はもともと鑑賞者を意識している。もちろんわかる人だけわかれば良いと言うメッセージだ。もしかしたらピカソが世界で一番美しい絵と言ったのはこの絵のことではなかったか? (ルーブル美術館や他の美術館は館内の絵画の模写を許しているのかな。僕は小学生の頃、床の間にあった猫と牡丹の掛け軸に描かれていた猫をよく真似して描いていたのを今思い出した) 時系列は多少前後するのですが…絵繋がりで、次回は、< 描く > (今気が付いたんだけど…なぞる、は 謎る、ともなぞれる?)
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模写オーケーでしたか、模写してる現場を見物人がチラ見するだけで、展示された作品もまた精彩をますような気がします。
ドラクロワ、好きでした。今も好き。「アルジェの女」は異国情緒そのものですが、もっと激しく異国的なのは「サルダナパールの死」。これ、アッシリアの王様が敵に囲まれてもはやこれまでというとき、自分の愛妾や馬を全部殺させて、そして悠然と死に赴く、という話。本能寺の変とはだいぶ違うなあ。確か1967年に上野でドラクロワ展があって初めて見ました。おのぼりさんの私の思い出です。ルーブル美術館に最後に行ったのはもう13年ほど前ですが、当時は模写OKでしたよ。