< 描く >
池袋で一水会のお偉いさんが油絵を教えてくれるってんでいそいそと出かけました。初日僕は後ろの方で一糸まとわぬ久しぶりに見る女性を前に…ジョンブリアン(肌色)の油絵具を使い捨ての紙のパレットに絞り出し周りの先輩たちに「ピンクのお化け」とモデルの休み時間に陰口叩かれたのを聞きながら、一番後ろで先輩の肩越しにモデルを覗き込みながら、黙って、下地の木炭画デッサンに薄く色を置いていると、、、
後からT先生(一水会常任委員)が来て…「…かなり(今までに)描いてきましたね」。一瞬にして周りが緊張したのがわかりました。屋台骨もそこそこに上手にさらさらと木炭や絵の具を置いて手際よく形をとっていく、いやでも目に入る先輩たちの達者な絵を僕は無視して、しばらくモデルをじっと凝視しました。後ろの方で前後左右に動きながら体の厚みを確認してから、やっと着手。下手とかうまいとか関係ないよ…描きたいように感じたままを描く、僕はぼく、いきなり集中できました。描きかけの下絵を教室に残しサンシャイン通りをいい気持ちで帰っていきました。描くぞ!
翌週教室に入ると椅子がありません…最前列に空椅子がありました。先輩の一人がそこが僕の席だと指で示してくれました。うれしかったです。絵描きになろうかなと一瞬だけ思いました。
何ヶ月か後、合評会があり、講師の先生方の批評を受けるために、各自作品を持ち込みました。僕の番が来ました。
気走った、昔描いたぼくの自画像と池袋の教室で描いた僕の神経質なヌード絵を並べてH先生は唸っている、しばらく無言。
NHKの油絵講座やっていた小松崎先生を兄弟子と呼ぶH先生の気まずい沈黙に、T先生は、その沈黙を取り持つように…僕の代弁をしてくださった。いちまるさんはいま迷っている(どっちの画風を取るか)んだよねー。
合評会では生徒で気楽に口をきく人はもちろん誰もいない。H先生の歯に衣着せぬ辛辣な、聞くに堪えない言葉がポンポン吐き出される。そんな中で、H先生と T先生が好意的な批評をしてくれた。ぼくにはそれで充分だった。自信を持って生きて行けると心底思った。H先生が僕の自画像を見ている時、それが僕の最初の油絵であることを知っていた仲間がそれをH先生に伝えた、そしたら、、、僕は最初こんなに上手く描けなかったなぁ。(この絵は)何か持ってるね、、、とおっしゃって、…この絵は捨ててはだめだよ、、、ただ、背景をなんとかしなさいよー、と笑った。
(いちまるちゃん、絵が好きらしいけど、、、)絵描きはみんな貧乏よ…と母に言ったという大伯母の声が遠くに聞こえたような気がしました。貧乏してでも絵を描き続ける位の情熱は元からありませんでした。どのくらいの腕なのか試したかっただけかもしれない。結局…もちろん絵描きにはならず、それが大正解で、正気を取り戻した僕は、ひどい乱視を理由に(何でもいいから辞める理由が欲しかった)正業のペンキ屋に戻っていきました。ガーって一時期、気合が入ったので気が済みました。僕の腕はこんなもん、自分の表現に命をかけるほどの絵に対する思い入れなんか最初からありゃしない。
気に入った出来のヌードもあったんですが記念の着衣の一枚だけ残し全部処分しました。捨てられなかった一枚は、腕の長さも左右ちょっと違うし、ちょうちん仕事(ごまかしの小細工)が目立つ下手な絵なのですが、モデルの寂しい心を覗けたような気がして最後まで残っていましたが、捨てると言ったら、友人がもらってくれたのでほっとしています。飽きたらほんと、捨ててほしいと思っています。
それはそうとして、納得の一枚ぐらい描いておきたかったなぁ、とは思います。
(自分の決心が決まった後の作品はもうボロボロでした。緊張がほぐれちゃったらもうだめですね。その着衣のモデルさんも仲間からボロボロの言われようでした。あの子あんな服しか持ってないのかしら…とか、君もう少し股をいやらしく開いてくれないかなぁ、とか、絵描きってどうしてこう正直なんでしょう。
ま、人物画は興味尽きないです。自然の風景そのものだと思っています)
画家なんて自信過剰じゃなきゃやってけるもんじゃないと思います。周りが敵だらけ。名画はごまんとあるわけだし自分で自分を鼓舞していかなきゃ身がもたない、売れてなんぼ。目が出ない人がほとんどの世界で目立つには素人画家、日曜画家に至るまで個性がとんがってなきゃ面白くないと思います。だって、その尖りが気に入ったり気に入らなかったりするわけですからね。
その一方で、誰が見たっていい絵はいいし、つまんない絵はつまらない。文章よりも、写真よりも、上手な巧い絵より、いい絵はいい、単純明快。身近に置いておいて飽きない絵はいい絵、気持ちを明るくしてくれる絵はいい絵、気を奮い立たせてくれる絵はいい絵、そんなタブロー(キャンバスに描かれた絵) 一枚が人生に寄り添ってくれたら最高ですね。その人にとって大切な一枚はかけがえのない絵、ですよね。
無ければ自分で描けばいい(自分に今言い聞かせました)
昨日の吉田博展で僕がちょっと気になる版画の小品がありました。何度も戻って印象を確かめた位です。金魚すくいをしている子供たちを取り囲む人だかり、画面の中央下に左の足の裏を見せながら膝つき金魚すくいをしている女性が丁寧に描かれていました。周りの人だかりがまるで彼女のための背景のような塩梅です。小さな絵なのにその和服の女性の明るい紺色の矢絣(やがすり)っぽい後ろ姿にたしかな重みの存在感があり、そこだけハイライトが当たったように目立つ絵でした。
後で聞いたらごーぎゃんさんも気になる作品だったらしいです。おかしなものですね、重厚感のある大きな作品に目もくれずこんな小品に目が奪われる。気負わずに好きなように楽しんで描いたような気がしていました。こればかりは僕の好みとしかいいようがないと思いましたが、灯台もと暗しの同好者がいてちょっとほっとしました。
昨日国立博物館の常設館を歩き疲れて館内にあるラウンジで一休みしながら雑談してる時、広重の版画がヨーロッパでなぜもてはやされたかについてごーぎゃんさんが語り始めました。
広重の版画には宗教色がなく、木版画の明確な輪郭線があり、このニ点がショックだったと言うのです。
確かに西洋画は当然のこととして宗教の文脈で語られることが多い。また、レンブラントはじめ多くの画家たちにとって陰影こそ命、輪郭線は不要であるし不自然。その根強い伝統に、どっぷりつかっていたヨーロッパの人々は浮世絵のフォルムを決め込む線の力強さに衝撃を受けた、、、ごーぎゃんさんの言わんとするところを僕なりに解釈すればこういうことになる
そしてそれはごーぎゃんさんが自分の絵画理論を木版画に仮託して語ったのだと思った。国立博物館の館内のがらんとしたラウンジの坐り心地の良い横広がりの羽のついた椅子に座りながら僕はちょっと感動していた。
伝統の軛(くびき)を解き放つほどの衝撃こそ、まさにジャポニスムですね。陰影は見る側に委ねられる。そこに誘い込みがあり、いやでもムーブメントを自分で作らなければならない双方向性が生まれる。無理矢理心が揺り動かされる、と言うわけ、たった一本の決めうちの線で、、ま、ぶっちゃけた話、、、下駄を預けられ、気がついたら鑑賞者が絵画空間に紛れ込んでいたと言うマジック。
これはどう考えたって驚天動地、天地がひっくり返る位のショックだったか。なるほどね。包装紙として使われていた浮世絵の皺を伸ばして見たときの衝撃は言って見れば「おちょくとんのか、わりゃ!(すご過ぎる!)
(後からラウンジに合流した麻子さんに、当、「動詞マニア」にお題くださいと頼んだら目をぱちくり、かわいい。クレマチスさんから、うごめく、なびく、ふてくされる、ごーぎゃんさんから、嗜む、捧げる…をいただきました。クレマチスさんがもう一つ挙げてくださったんですが僕が茶々を入れたのでご本人忘れてしまいました、僕の失敗です、悔しい)
top of page
この動作を確認するには、公開後のサイトへ移動してください。
最終更新: 2021年2月18日
動詞マニア 描く 007
動詞マニア 描く 007
2件のコメント
いいね!
2件のコメント
bottom of page
7年前の母の見送りは叶ったことだと思いました。母は自分の今わの際に兄に立ち会ってもらいたかった。1日で戻ってこられるような小旅行しかしなかったといいます。家に来るたびに言い含められていたようです、母の兄に対する思い入れは僕とは違うものがあります、最初の分身、長男。 言葉にして考えたことのないことが今、思い浮かびました。これを言うと母に対して失礼になるのかなとは思いますが、あぁー、小さい頃、おばあちゃんが死んだとき母の情けない位落ち込んだ姿を見て、母の望みを叶えてあげたいと思ったんだと思います。おこがましいのですが子供なりに母を守る。小学生の僕は、母が幼い時、秋田で実母と望まない別れがあったことをもちろん知りませんが背景はともかく感じたものはあると思います。母とすれば…これも言葉にして考えたとは思えませんが…直感的にそれ(僕が母を守ると言ったその態度と意味、これを言葉としてわかったとすると母は忸怩たる思いがしたろうと思います…つまり後悔)がわかったんだと思います、長い時間をかけて。 だから僕の行く末を見守るように兄に頼んだ。この子は私のせいで自分の望みが(つまり僕の望み)が叶わなかったのではないかと言う思いはあったと思います。今僕が口にしたことにその時々の年齢を考えると…漫画みたいです。人生は漫画みたいですねー、こんなことまで言える歳になりました、あはは。びすこさんのおかげで今、ゆうに100歳を超えた母と70歳過ぎた僕と、お互い年齢に不足のない大人の会話ができたかなぁと思いました。あ、もう一つ… これも今思ったことなのですが…うまく言えるかどうかわかりませんけど言ってみますね。 最初の会社を辞めたとき…言葉にして理解はしていませんでしたが多分…これからは自分らしく生きる…と思ってたんだと思います。その思いが叶ったとは思いませんが大体その線で暮らしてきているような気がしていると…これは今朝の気分ですね。今朝の気分が僕の全人生の気分…これはまたゆっくり考えてみたい、、、まさかこんなこと言うと思わなかった、もう人間てめちゃくちゃ人間的で漫画のようです。あー面白かった。びすこさんの<叶う>のお題、これで今日のところは叶ったことにしていただけませんか?ありがとうございました。気が変わらないうちにこのままアップします。
小堀四郎という画家がいたでしょう。若い頃、画壇の無意味な争いに嫌気が差し、師の藤島武二の助言にしたがって表に出ず生涯ひっそりと描き続けた人、なのだそうです。この人のことは森鴎外の次女・杏奴を妻にしたというので知っていました。(彼女の随筆も私は好きなので。)昨年日本で読んだ絵に関するエッセイによれば、その本の著者が小堀夫妻の家を訪れると、庭は草ぼうぼう、屋根からは雨漏り、という古い洋館に老夫婦は仲睦まじく暮らしていたといいます。そうやって二人とも90代まで生きて、杏奴が亡くなった4か月後に四郎も旅だったそうです。こんな幸福な画家もいるのですね。
動詞の一つ、として、「叶う」はどうでしょうか。叶うことはあまりないので、そういう経験を聞いてみたい。