売る → 買う
人類最古の売買と言って、売春を挙げる人がいる…はあ?
資本主義の根底を支えるものは売ることと買うことと言ってはダメなのかしら?
かのシュンペーター先生は資本主義のこのダイナミズムを買っていたような気がします。
ここへきてプラスチックマネーから、やっと次の進化をとげそうな勢いですが100年後貨幣そのものがどうなっているかにはちょっと興味があります。相変わらずお金に振り回されているのかそれともお金の呪縛から少しは離れて暮らしているのか。個人的なことではなく人類全体の話。
いっそのこと生まれた時に一定期間、ふんだんにお金を各自に配ると言うのはどうでしょうか。あ、つまりそのお金の心配をしなくていいような暮らしを保障してあげる。そうだなぁー20歳位まで、そうやって一人一人が思うがままに空想の翼を広げ、試したりくじけたりしながら20歳でさっさと一応、大人になってしまう構想、試行錯誤の効率的活用による促成栽培、少なくとも今のシステムより数段優れていると思う、本人の納得と言う点でも。スタートの平等をある意味保障する。
この時点でかなりお金の価値が下がりますよね。下がらないかな、下げたいのですお金の価値を。お金の価値を下げて相対的に人間の価値を復活させる。
売ったり買ったりするからすべてのものに価値がつく。オークションみたいにして値段が釣り上がって金にものを言わせたほうが勝つ。需給量で値段が決まるのもこの理屈。このシステムを崩すためには…売買行為をなくす(バカバカしいと思わずに、と言ってもイライラは募るでありましょうがバカバカしい話も聞く度量を示していただき、ぜひ最後までお読みください、ヨタ話すぐ終わりますので)
さて、話はここで急に小さな話になります。具体的な話になると話と言うものは小さくなる傾向があります、竜頭蛇尾。
何でもかんでもお金で済ます傾向をなんとかその一角でもくずしたいのです。子供の頃お父さんやお母さんに発行した「肩たたき券」を復活させる、と言うのはどうでしょうか。その試みとして、個人個人のパンフレット(その個人の取扱説明書)の最後のページに切れ目の入ったサービス券をつけると言う案です。ぼくの場合でしたら…
住まいの修繕券、ご近所お使い代行券、かなづち(泳げない人)克服請負、ひとり暮らしの知恵伝授、、、といったところでしょうか。このシリーズが終わったら早速、ぼくに関して…恐る恐る着手したいと思っています。このシステムの良いところは…サービス券は売買は禁止ですが人にあげたりすることができる流通性と融通性にあります。サービス券発行までは広い日本の事ですからどっかで既にやってるかもしれませんが、この券の使い勝手の良いところは、使い途がない人は使いたい人にあげてもよいし、使い途の異なる券同士を交換しても良い、と流通性と同時に融通性を持たせることにあります。(路上生活者の方にももちろん券を発行していただきます。どんな券を発行していただいたらよいか昨日参考書を用意しました、堀切の青木書店で求めました、「ホームレスになった」:大都会を漂う:金子雅臣:築地書館: 1994年刊、、、先ほど読み始めてことの重大さに軽口をたたいた自分が恥ずかしいです。路上生活者の実態把握はいまだにできてない事情を知るにつけ世間は横目で見て通り過ぎる問題であることがわかりました。つまり問題にしていないことが問題)
はい、今日はここまでです。明日も通常の授業?があります。では。
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最終更新: 2021年3月05日
動詞マニア 売る 022
動詞マニア 売る 022
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波風を立てずにある程度時間に委ねる…と言うのはありだと思います。お父様は平和主義者だったと存じます。子供といえども人を観て流通の意義をきちんとお伝えになった立派なお方ですね^_^
自分が商売とは縁のない家庭に育ち、母親は旧士族の出身であることが自慢で士農工商といって商売人を馬鹿にしていたせいで、私自身商業を軽んじていました。あるとき、まだ子供でしたが、母の受け売りのような発言をしたら、父親から物の流通ということの意義について分かりやすい言葉で諭されました。ものをいくら作っても、それを使う人に届ける役割を担う人がいなければ無益である、作った人から使う人に渡す過程でいろいろ面倒なことがある、運ぶのも大変だし、盗まれたり腐ったり壊れたり、そういう危険(今でいうリスク)も計算に入れて値段をつけるんだ、利益を得るからって、何も恥ずかしいことをしているわけじゃない。
はあ、なるほど、と100%素直に納得しましたが、同時に腹が立ったのは、あんた、そういうことを娘に教える前に、なんで自分の妻を教育しないのよ、ということでした。妻は自分の言うことを聞いて波風立てずに家庭を維持していけばそれでいい、という態度は、人として実にけしからん。
あ、そういえば、イスラム教の創始者は砂漠の商人でしたね。