< 掘る > 化石探して土掘っていたらマンモスの頭の化石を見つけた…小学生の時の夢だ。 今度は本当の話。確か、今の葛飾区役所のある場所に赤土がむき出しの土地があった。小学校の放課後そこへ行って、手が冷たくなるまで1人で掘っていた。仲間の誰かが最初そこで化石を見つけたうわさが広まったものと思える。ぼくのお目当てはもちろん化石を見つけること。周りに友人はいなかったような気がする。手にも何も道具を持っていなかったような気もするし板切れを持っていたような気もする。石膏の塊をちょっと柔らかくしたような土の感触、それを適当なところで割ると中から運が良ければ、アーモンド型の、いかにも葉っぱと言う感じの、葉っぱの化石が見つかる。夕方遅くまでやっても同じだ。出てくるのは葉っぱの化石ばかり、2、3時間があっという間に過ぎる。 割った、一方のほうにくっきりと、もう片方はうっすらと少し赤みを帯びた葉っぱの形が葉脈とともに鮮明に残っている。 葉っぱの種類も同じ。1週間ぐらい通ったと思う、多分1人。パカッと適当なところで割ると化石が出てくるともうそれだけでワクワクした、、、1人で遊べる子、、、今だったら名前がつくだろ、、、多動なんだけど…時々何かに没頭してしまう、、それが僕の普通の1人遊び。 近くに泥池があって泥鰌がいっぱいいた、ほじくり返していっぱい取って家に持っていった。この時はニつ上の先輩がいたかもしれない。父が朝どじょう汁にして食べていた。僕は泥鰌が味噌汁の中から茹で上がった白い目玉で僕のことを見ているので1匹だけ食べて後は食べなかった。おいしいともまずいとも感じなかった。2、3回続けて食べればおいしいと感じたかもしれない。マグロの刺身もおいしいと感じた事はなかった…要するに子供だった。積極的に評価する気がなかった。他の楽しみが先行していた。子供なんて疑問の塊だ、そうあってほしい。大人になっても疑問の塊のような人の方が僕は何か信用できる。 発掘する、と言えばフィールドワーク、たちまちなんか勝手にロマンを感じる。深掘りするのは研究者。かいぼりが好きなのは我が兄。昔夢にまで見たそうだ。小川をせき止めて中の魚とかエビを掻き出す。何が出てくるかわからない楽しみだろう。研究者が熱中するのも多分それだな。資料の中に首を突っ込み手がかりを引っ張り出す。 掘るとは直接関係ないが、、、 掘る、のイメージと重なるのは砂浜で蟹と戯れた石川啄木や、土と格闘した詩人の大関松三郎。小学校の担任がよく松三郎の詩を読んで聞かせてくれた。(担任の先生が読む松三郎の詩は好きだったけど担任の先生はいまいち好きになれませんでしたね。教育熱心が高じて見せしめみたいにして女の子とおしゃべりしていたぼくにいきなり平手打ちを食らわせました。子供ながらに大人気無いと思いました、ませてましたね。父兄には評判が良い先生だったと思います。「杉っ子」なんていう文集を作って、ぼくのたわいない詩も載せてくれました。 穴を掘ったことありますか。穴っぽり、はそれなりのコツがいるとおそらく土工も経験した若い人に教わりました。スコップでリズムを良く腰を使って土を上に放り上げながら掘り進む、まぁ重労働だと思う。 北海道の永久凍土にはスコップなんかでは歯がたたなかったろう。最近読んだ詩人の吉田一穂の、詩壇から距離を置いた自分の意思を貫き通した強靭な意志もそんな厳しい環境に育った背景が関係しているらしい。 掘る、と言えば…井戸掘り。研究者が資料を読み漁り真実に肉薄していく深堀りも、水脈求めて掘り進める井戸掘りも重労働…こういうのも我田引水と言って筋道を付けて水を流すと言う意味では、、掘る。 このテーマ掘り下げられなかったけど、穴っぽり、掘る、ここまで。
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うーん、今、きれいな多角形の教師思い出しました。良い先生なのですが立ちはだかる壁のようではありませんでした。 東大出の上司に工業高校出のぼくが、、東大生って、平均点がいいだけですよね、って冗談めかして言ったら、そうだよ、ってこともなげでした。その人がある時僕が忙しそうにフローチャートを書いていたら…僕はそんなの仕事と認めない…労働だ、、、つまり知的作業じゃないと言うわけです、、、あーそうですかとさらっと受け流しました。一区切りついたらやめるつもりでいたので軽口がきけました。そばにいた秘書人の人がやきもきしてました。またある時話の流れで…今度戦争やる時は(僕らが)うまくやる…とのたまわりました。一兵卒を理解しない人は尊敬できませんので「壁」でしたけど迂回しました^_^ 大当たりはやはり偶然にしかないみたいですね😌