動詞マニア、やっと半分を過ぎました。2005年前後がちょっと曖昧なので今思い出そうとしています。何しろ2年前の肺がん騒動で必要なものまでみんな捨てちゃったから資料が何もないんです、やれやれ😥 その頃は仕事も他の仕事にちょっかい出さず→ (ぼくのことだから、ちょっとは出した。静かにしていることは、ぼくが「多動」のぼくにとってはある意味異常) → にぼくの自転車乗りの先達のOさんに、彼の同級生の亀有の家具屋さんのWさんを紹介してもらい、ふすま貼りから何から何までいろいろ覚えていただきながら手伝ってもらった。こんな肝心なことを順序だてて想い起こさないと…思い出さないのはどういうことなんだろう。 母も80過ぎまで健康のために墨田区のプールまで連れてって、障害者用の更衣室を借りて水着を着せて深さ1メートル位のプール内で歩行訓練をしてもらったりビート板を持ってバタ足をしてもらっていたこと、近所の方もお誘いしてプールで遊んでいたことを思い出しました。母にそうしてもらうとお通じが良いのです。(便秘で何度通ったか分かりません、病院に…そのたび母はぼくが仕事を中断するので、申し訳なさそうな顔をするのでこちらもいたたまれませんでした)2005年前後は仕事も受注先もお得意先も適当に散らばっていてなんとなくうまくいっていたんですね。なんとなくうまくいくということが1番いいです(大きな事故がないと言う事ですから)そういう事は思い出すのに苦労がいるわけだ…不思議ですね。 その頃のちょっとしたエピソード。西新井にある、その頃の僕の1番のお得意さんとお茶を飲んでいたときの話…いちまるさんよー、うちのやつと(君の事)話してたんだ、、、貯金は2000万位あるな、彼女もいる…どうだ当たってるだろ、、、 僕は全然興味のない話なので話を別の方向に持っていきました。話がうまく流れて、、、 その社長は僕のボランティア活動のことも知っていましたので友達の税理士にさんの話題に。人の腹を探った二千万(そもそもこの予想は…俺のところで相当儲けただろ?のなぞかけだったかもしれません、あと嫁さんの世話とか余計なお世話、そもそも二千万もあったら仕事辞めてらい=辞めて転業しています)の話から…その税理士さんの息子さんが重度障害。税理士さんはそのために自分が死んだ後のことを心配してどっさり財産を残したんだけど、、、と話が続き…補助金しっかり出るんだってな、、、と落ち着く。 (その頃の制度は、最重度障害者には補助金は出します…自分で何とかしてください…ざっくり言いますとそういう制度になってました) その社長曰く…彼(友達の税理士)そんなこと知らなくてよー、一生懸命お金貯めてさぁ…親だよなー。はい(と、ぼく)。 あとは僕が税金、経理の事少しは詳しいと知っているのでたまにそんな話も話題になりました。この社長には…助けていただきました。あ、そうだ社長のお母さんが90歳過ぎて亡くなったとき電話がかかってきて…花輪だしてくれ、、、はい!約10年間、倉庫業が落ち目になるいっぽ手前(流通業の激変も驚くばかりです。半世紀前コンテナなんてものが出てきて横浜の倉庫業者の大打撃を僕の前の相棒が話してくれましたっけ)までさんざんお世話になりました。こんな肝心なことすら都合よく忘れている。恩は石に刻め。一体全体どこまでいい加減な奴なんだろう、ぼく(大切な事柄を、ユングが言うところの個人的無意識の領域に押し込め、自分の心を合理化して次のステップを進んでいった、、、といったところかもしれません) 受注先である立石の不動産屋さんの社長が…ちょっと相談があります…虫の良い相談だと思うんですけど…はい?と何事かと耳を傾けるぼく。 、、、ある人を、見習いというか弟子にしていただけないですか、ま、企業秘密を公開することになるので、ちょっと厚かましい話で申し訳ないんだけど…と仲介役の社長がいいにくそうにそれだけ言ってぼくの顔を見ている。 こっちとすれば、当時忙しかったので、助けてもらえるかなと思った。それに他の仲間にも良い刺激になると思ってオーケー出した。そしたら…衝立の奥から 見覚えのあるKさんが出てきて…お願いします、とペコリと頭を下げるじゃありませんか。小さいけれど洒落たマンション2つ持ってるオーナーさんです。え?! 生まれて初めてその方から師匠呼ばわりされました。ふすま張り、クロス張り、床張り…を一生懸命覚えて…しばらくすると自分のマンションの空き部屋を自分で修繕するようになりました(つまりその分ぼくの分の仕事が減った)。熱心なことこの上ないパワー全開の Kさんでした、盆暮れの付け届けも律儀な、二枚目で恐妻家のKさんを今ふと思い出しました。定年後、何百万も払って空調関係の工事施工を請け負うあるフランチャイズに入りましたがお金をドブに捨てたようなもの、とおっしゃってました) (明日からいよいよ直近の10何年間、動詞に絡めて書いてみます、直近の10何年まさかこんな展開になるとは思いもしなかったです。あれもこれも今思うと「母つながり」です。後半うまくまとまりますように、、、動詞マニア、最後は→終わる…で終わるとして後14個の動詞、どうしよう、まあ何とかなるでしょう、貴重な2、3人の読者の方、最後までめんどくさくてもよろしくお気楽にお付き合いお願いします🥺)
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幸田文さんの文は好きです。やかましやの露伴に細かく言われたんでしょうね。 そうそう、お通じについてはその人に合ったやり方というのがあると思います。おっしゃるように利尿剤と下剤、それと繊維質の多い食事をとって排出する分量を加減する、後その人の内臓の癖?と相談しながら…てところじゃないかと思います。母の癖をつかんでからは、少し楽になりました。
ふすま張りで連想するのは幸田文です。実母が早く亡くなって継母はお堅いクリスチャンだったけど家事能力ゼロ。仕方ない、俺が全部教える、と露伴がプロ並みに育てたのですが、文が結婚するとき相手の家に「ふすま張りはまだ習得していません」と言って、向こうは一体なんという家庭なんだろう、とびっくりしたという話。
老いた親の便秘、うちも大変でした。仕方ないから下剤をもらうのですが、心臓が悪くて水が溜まるといけないので利尿剤も飲んでいる。下剤と利尿剤でトイレにしょっちゅう、でも足元もおぼつかないので、間に合わなかったり。体重が35,6キロになっていました。そりゃそうよね、体の水分が全部出てしまうんですものね。
母にとって姑に当たる人は最後までわりと元気で、老人の看病というのはしたことがない。(70年代に88歳まで生きたから長寿といえる。)だから老いて弱って人さまの世話にならねばならない状況が全く分かってなくて、日がな一日愚痴ばかりで、扱いに困りました。私たちの世代は、不健康・五体不満足で長く生きる老人を見ているから、ある程度は覚悟できているのではないでしょうか